第14話森の隠れ家で待っていたのは

 森の中の館は、レンブラント館に比べると小規模で質素な造りでした。オークの森に埋もれそうな、隠れ家のような館です。

 ここが奴隷売買組織から買われた子供たちが、哀れにも切り刻まれている惨劇の舞台。伯爵様の秘密の道楽が毎夜繰り返されている、血と阿鼻叫喚に満ちた場所に違いありません。


 でも、どこか活気に満ちているというか、賑やかな雰囲気がある……ような? あれ?


 木製の扉の前には、リヨンが。前髪で表情は見えませんが、ものすご〜く不機嫌そうなオーラを発しています。こんな場所にいたら悪しき空気に感化され、苛つくのは当然でしょう。

 その上先触れのナムーラ隊長の部下から「奥方様暴走!」の一部始終を聞いて、更なる不快と頭痛の種が増えたと腹を立てているに違いありません。


 そして見覚えのある下女もおりました。あれは今朝コルワートと荷馬車を引いていた女です。ならばあの荷はここに運ばれたということでしょうか。

 頭の中の整理が追いつきません。



 その機嫌の悪ッそ~なリヨン(推測ですわ)が、大股でこちらに歩いて参ります。わたくしの乗る芦毛の横まで参りますと、見とれるほど優雅な手つきで右手を差し出しました。


「エムリーヌ様」


 下馬しろ、ということですね。すでにナムーラ隊長たちも下馬しておりますので、彼の言葉に従わないわけにもいきません。

 その前によく頑張ってくれました、と芦毛の首回りを手のひらでさすり、労をねぎらってあげることを忘れてはいけませんね。ずいぶん無理をさせてしまいましたもの。

 また乗せてね――と言いたいのですが、もしかしたら、私は今夜にもバラバラ死体に加工されてしまうかもしれないのです。

 短い時間でしたけど、楽しかったわ。これからも一緒に駈歩したかったのに。さよなら、芦毛ちゃん。



 鐙から左足を外し身体をグッと反らせ、反動を付けながら鞍から尻を滑らせると、彼の腕の中に舞い降りるようにして馬体から離れます。一瞬だけ宙に浮いた身体でしたが、リヨンはしっかりと私を受け止めてくれました。

 こんな瀬戸際だというのに、彼の意外にも逞しい腕や胸板に、包まれたぬくもりに、どうしてホッとしてしまったのでしょう。愚かな自分の気持ちを隠したくて顔も上げられずにいたのですが、そんな私に顔を近づけ彼はこんなこと申しました。


「お転婆も大概にしてくださいね」

「まっ!」


 カッと頬に血が上り、目の前にあった彼の胸を押し返します。


「寿命が縮むかと思いました」


 そう言われてしまえば、もうそれ以上は申せません。彼に心配を掛けたのは私の短慮のせいですし、それ以上に心配してくれたのが、なんだかとても嬉しくて。

 なんでしょう、これ。



 リヨンに手を取られ、私は館の入り口へと導かれておりました。

 いろいろ聞きたいことはあるのですが、これから死地に向かうのだと思うと、なかなか言葉が出てきません。館の中では伯爵様がナイフを研いで、今か今かと私の来訪を待っておいでなのでしょうか?


 ああ、エムリーヌ。短い命だったわね。

 私の犠牲が、家族の、皆の助けになるのなら少しは報われるのかしら?


 でも。でも、死ぬのは嫌だわ。まだ、死ぬのは嫌。嫌よ、嫌…………


 大きく開け放たれた扉の横で、かの下女が両手で軽くスカートを持ち上げ腰を折っています。と、その後ろで小さな影が動きました。

 子供です。四~五歳でしょうか。小さな男の子です。

 私がその子に目を留めると、リヨンが嬉しそうに口角を上げました。


「おいで――。

 エムリーヌ様、この子はドニと申します。さあ、ドニ。ご挨拶をなさい」


 するとドニと呼ばれた少年は、恥ずかしげに私の元にやって来て礼を取りました。そのおぼつかない仕草があどけなくて、でも一生懸命で、なんてかわいいのでしょう。


 私にも、このくらいの弟がおります。その弟のことを思い出し、そう、まるでドニが弟のように思えて、彼に飛びつき抱き締めておりました。

 ドニは突然の抱擁にびっくりしておりましたが、やがてそっと、嬉しそうに微笑みながら、私の背に手を回し抱き返してくれたのです。


 気付くと玄関ホールの柱の影や、二階へと続く階段に、子供たちが数人。心配そうな顔で、こちらを伺っているではありませんか。年の頃はドニと同じくらいの子から、もう少し年上の一二~一三歳の子まで。

 もしかして、この子たち。伯爵様が港街ペンデルで奴隷商人から買ったという、違法な人身売買の被害者なのでは。


 人身売買を目的とする組織は、近隣の町や村から子供を誘拐して来ては、奴隷として高値で売り飛ばすのだそうです。そして買い手は年端もいかない子供たちを不法労働に就役させたり、一部は伯爵様のような有害人物の奴隷とされ餌食になったり。

 無理矢理親から引き離され、見知らぬ土地で生を終えることになるのだそうです。


 組織の実態が掴めず、取り締まる役所も手を焼いているのだとも伺ったことがございます。法の網の目を掻い潜って尻尾を掴ませないのは、どなたか大貴族が組織の支援をしているからだとも噂されております。


 そんなことよりも。

 ああ、神様。もしかして、この子たちは伯爵様の狂気の犠牲になるために、ここに連れてこられたのでしょうか!?


 私の弟妹たちと同じ年頃の子供たちが、切り刻まれ、殺されてしまうというの!?


 やっぱり、許せません。伯爵様は間違っています。



 小さなドニをかき抱いたまま、まずは家令のリヨンとこの下女を懐柔しようと思いました。本丸を攻めるには、まずは外堀を埋めることからです。


「リヨン。お願いがございます。

 私は伯爵様の妻ですから、あの方の背徳の犠牲になっても構いませ……んなんてことはないのですが、それ以上にこの子たちが犠牲になるのを黙って見ているわけには参りません。

 この子たちには罪はございませんわ。ですから、どうかあなたの手で、この子たちは伯爵様の魔の手から救ってあげてください。これ以上、罪を重ねさせないで!」

「はい?」


 リヨンが間の抜けたような声で答えるものですから、私はムカッとしました。


「ですから、伯爵様の罪とこの子たちの命を――」

「エムリーヌ様」


「知っているんです。伯爵様は夜な夜なこど……」

「エムリーヌ様!」

「――ねえ。伯爵様はお優しい方だよ」


 小さなドニの可愛らしい声が、ヒートアップした私の頭に冷水を浴びせたのです。


「あのね。伯爵様は悪い人たちから僕らを助けてくれたんだ。ここに連れてきてくれて、ご飯をいっぱい食べさせてくれて、温かいベッドで眠ってもいいって言ってくれたよ。お薬もくれたし、新しい服もくれたし……。あとね、それからね……」


 たどたどしいながらも、必死で訴えようとするドニの表情は、嘘を言っているようには見えません。そも、こんな小さな子ですから嘘をついて真実を誤魔化すなど思いつかないでしょう。

 伯爵様に洗脳されている、のでもない限り。


 戸惑っておりますと、館の中にいた子供たちがひとりふたりと私たちの側に寄ってきて、そうだそうだと言い始めました。口を揃えて、伯爵様は優しい方だと訴えるのです。


「エムリーヌ様、貴婦人が床に座り込んでいてはなりません」


 小さなドニと目線を合わせるために膝を折っていた私を、リヨンが後ろから抱きかかえるようにして立たせようといたしました。


「でも、リヨン。あのお方が、レンブラント伯爵は人身売買組織と繋がっていると……。だから、私……わた……」

「それは噂でしょう?」


 耳元で、心地よいリヨンの声。その声に誘われるように、私の意識も深い闇に溶けていったのです。


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