第13話貴婦人だって暴走するのです!

 傭兵連隊の練兵場は館の北側に位置しております。森へと参りますには、そこから館をぐるっと迂回して、南へと芦毛を走らせなければなりません。


 館の東側を回ると遠回りになるので、西側へと馬首を巡らします。途中、厨房勝手口側の家庭菜園(基本は自給自足ですから)の横を駆け抜けたときに、畑の手入れをしていたコルワートや下女たちが馬を疾走させるわたくしの姿を見て、目を丸くしておりました。口までぽかーんと開けて呆然としていましたけど、私だってやるときはやるのです。


 ――っていうか、こっちの方が本来のエムリーヌよ!

 芦毛も私の期待に応えるかのように、快調にスピードを上げていきます。


 ああ、風を切って走るのって、なんて気持ちいいのかしら。ただ日除け用のつばの広い帽子が風で飛ばされてしまいましたけど、現在は緊急事態ですから仕方ありません。

 あとで誰かに探してもらおうかしら? 気に入っていたんです、あの帽子。


 館の南側まで抜けると、緑の丘陵の先に森が見えてきます。鬱蒼と茂るのはオークでしょうか。

 その時です。後方から呼び声が聞こえて参りました。


「奥方様ー!」


 あの声は、ナムーラ隊長!

 しかも風に乗って聞こえてくる蹄の音は一騎ではありません。姿勢を崩さないように後ろを伺ってみますと、やはり隊長以下三騎、猛スピードで追い掛けてきます。

 なんと素早い。あの場の混乱を即座に抑え、追跡隊の編成を組み、すぐさま追跡を開始する。さすがレンブラント伯爵家の誇る傭兵連隊……ではありますが。

 今は嬉しくない~~!!


 ああ、もう。追い掛けてこないでと申しましたのに!

 

 追い付かれ行く手を阻まれては困りますので、私は芦毛に長鞭を与え、さらに速度を上げました。貴婦人の横乗りと侮るなかれ、でございます。


 

 しかし。

 しかしながら、後方から迫る蹄の音がどんどん近づいてきます。


 私は芦毛を励ましながら森を目指すのですが、迫る蹄の音は、私と芦毛の心を危機感で押し潰そうとします。ああ、(乗馬スタイルのデザインとはいえ)ドレス姿なのが恨めしい。はしたないと笑われようとも、乗馬用キュロットで鞍に跨がるスタイルで騎乗出来ていましたら、もっとスピードを上げることが出来ますのに!


「はいッ!」


 芦毛と息を合わせ、野生の動物の侵入を防ぐための生け垣を乗り越えました。おそらく追ってくる隊長たちは、この高い生け垣前で私が立ち往生するか、スピードを落とすと思っていたでしょう。

 そうはいくものですか。申し上げましたでしょう、乗馬は得意中の得意ですと!

 あ、彼らにはナイショでしたっけ。



 隊長たちが決して私(と芦毛)に危害を加える気が無いのはわかっています。それでも迫り来る圧迫感は、心を縮こませるには十分な迫力。

 捕まってしまえば、もう森へ行くことは許されないでしょう。それどころか館から出ることさえ、もしかしたら部屋に軟禁されるかもしれません。

 都合の悪いことにはフタをしろ、は貴族の常套手段。いえ、蓋くらいだったらまだ良い方です。にされちゃったら、私はこの世から消されてしまうのですわ。

 初夜の床で、切り刻まれ……。

 手綱を握る仔山羊の皮製のエレガントな手袋の中にも、じわりと汗が滲んできました。


 恐ろしい事実を隠蔽するためでしたら、きっと伯爵様は手段を選ばないはず。

 だから、あのお方が私にこんなことをお命じに――。……あわわ、いけません。弱気になってはいけないのです、エムリーヌ。

 恐怖心から逃げたくて、私はさらに芦毛に合図を送りました。


「速度を落としてください、奥方様! 無茶な走り方をなさっては危険です!」


 いつの間にか、私の隣にナムーラ隊長が馬を並べておりました。余計なことを考えている内に、先行していた距離を詰められてしまったようです。

 私の左右に一騎ずつ、さらに真後ろにも一騎。囲まれてしまいました。

 森は、もう目の前です。もうすぐ、そこなのに。


 あそこへ飛び込んでしまえば――!


 その時です。

 私と芦毛の前に、一騎、進路を塞ぐように割り込んで参りました。芦毛の鼻先を走りつつ、徐々にスピードを落としております。

 なにがなんでも私の、というか芦毛の脚を止めるつもりなのでしょう。避けたくても、左右、後方全て囲まれておりますから、逃げ場がありません。

 それに馬は自然の中では群れを形成する動物ですから、前の馬に付いていこうとする習性がございます。彼らに誘導されるまま、私の芦毛も徐々にスピードを落とし、森の入り口あたりでとうとう並足程度の速度にまで減速させられてしまいました。


 不満そうな私の顔を見て、ナムーラ隊長は苦々しい口調です。


「この芦毛を見た瞬間に目を輝かせておりましたから、もしや……とは思いましたが、奥方様は想像以上に乗馬の達人でしたな」

「驚きましたよ。そのスタイルで、ご自分の身長ほどもある高さの生け垣も楽に飛び越えましたからね」


 それはあなた方もです、ナムーラ隊長、傭兵連隊の強者たち。

 リヨンが乗馬も巧みだと賞賛しておりましたが、――マジじゃん、上手ウマ過ぎ。そこら辺の騎士団の陸戦の専門家を謳う連中より、よっぽど凄いってば!

 そんな彼らの「とんでもないお転婆だ」と呆れるような視線には、同時に私の馬術テクニックへの讃美も多分に含まれているようにも感じるのは、うがち過ぎでしょうか。


「それで、奥方様。そんなに急いでどちらへ行こうとなされましたかな」

「森です。こちらの森になにがあるのか知りたかっただけです」


 ツンと顎を突き出す私の横で、ナムーラ隊長と傭兵たちが、なにやら意味ありげな視線を交わしております。やっぱり、なにかあるに違いありません。

 ここで引き返すなんて、絶対嫌です!


「森の奥になにが隠されているのか知りたいだけです。伯爵様は、あの森になにを隠しておいでなのでしょう。あの方が、ここでなにをしているのか、私は知らなければなりません」


 しばらくの沈黙の後、ナムーラ隊長が大きく息を吐きました。そして部下たちの顔を見回して、こう言いました。


「このお方は気丈だ。隠せば、それをご自分の手で暴くことさえ厭わない。むしろ承知していただいてくださった方が、伯爵様もやり易かろう。

 ご案内いたします奥方様、付いて参られよ」


 隊長は部下のひとりを先触れとして先発させると、私を囲むような編成で森の中へと馬を進めることになりました。

 途中、ナムーラ隊長が、


「おひとりで森へ入られたとして、その後はどうなさるお積もりだったので? お口ぶりからすると、目的地まではご存じではないと思いますが。

 勇敢もよろしいが無茶はいけません。やみくもに突進して、森の中で迷子にでもなったら狼の餌食ですぞ!」


 そうでした。リヨンが申しておりました。この森には狼がいるのだと。私の前と後ろに傭兵たちを配したのは万が一を考えてのこと、ですのね。急に恐ろしくなってきました。

 彼の戒めにすっかり意気消沈しておりますと、


「まあ、奥方様なら狼も蹴散らしそうな勢いでしたな」


 そう言って大笑いをいたします。もう、もう、失礼でございましょう。

 けれどもその豪快な笑い声おかげで、私は少しだけ元気を取り戻しました。この方は、本気で私のことを心配してくれたのです。ちょっと涙が出てきました。





 森の中には、一本の道が通っておりました。くっきりと二本の轍が残っています。おそらくコルワートたちが引いていた荷車のものでしょう。

 それを辿って5分も進んだでしょうか。いきなり視界が開け、小さな館が現われました。


 扉の前には、リヨンが立っております。

 どうしたことでしょう。彼の姿を認めた瞬間、私はなによりも先に安堵の吐息を漏らしておりました。

 

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