第12話森には秘密があるようです

 傭兵のひとりが、わたくしが騎乗する馬を連れて参りました。芦毛で、四肢が長く、無駄な肉のついていないスッキリとした体型です。耳を小刻みにくるくる動かしているのは、見慣れぬ人間(私と侍女たちですね)を警戒しているからでしょう。


「大人しい気性の馬ですから、ご安心なさってください」


 男から引き手を受け取ったナムーラ隊長は、芦毛を落ち着かせようと首筋のあたりを軽く叩くように触れております。すると芦毛も少し緊張を緩めたのか、表情が柔らかくなりました。

 つぶらな瞳がかわいいこと。


「私も、よろしいかしら?」


 訓練されているとはいえ、馬は元々臆病な生き物です。怖がらせないように声を掛けながら、ゆっくりと芦毛に近づき、灰色の毛並みに触れました。鼻筋や頬を撫で、次いで肩の辺りを優しく叩いてあげていると、口の中でもぐもぐと噛むような仕草を始めました。

 どうやらこの芦毛は、私を受け入れてくれるようです。嬉しくて、ついニンマリとしてしまいました。


「奥方様は、本当に馬に乗るのは初めてですか?」

「ええ、そうですわよ」


「それにしては、馬の扱いに慣れておいでのようですが」


 ヤバっ!

 そうでした。傭兵連隊の隊長をしているような男です、ナムーラの目は節穴ではない。それどころかかなり目敏い。背中に冷や汗が流れました。


「のっ、乗ったことはありませんけど、お世話を手伝ったことはありましてよ。おっほほ」


 我ながら、すごく苦しい言い訳だとは思いますが、それで納得していただかないと。

 ナムーラの太い眉がなにか言いたげに持ち上がりましたが、必殺キラースマイルを安売りしてでも、なんとかこの場を切り抜けなければなりません。


 どうしても確かめたいことがあるのです。


 コルワートたちは、あの大量のパンと食材をどこへ運ぼうとしていたのか?

 リヨンはどうして南の森には行くな、と釘を刺したのか?

 ふたつの謎はあの森に向かっています。南の森にはなにか秘密があるような気がいたします。


 しかし、近づきたくとも滞在するレンブラント館から森まで一・五キロはゆうに離れていますから、ドレスを着込んだ私が安易に足を運べる距離ではありません。

 ですからこの乗馬の練習は絶好の機会。隙を見て、馬であの森まで駆け込もうと企んでいるのです。


 伯爵様は、この館の者たちは、なにを隠そうとしているのでしょう。


 耳を疑う黒い噂は本当なのか。買われた子供たちの行方は。

 結婚の儀まであと十日。新枕を交わす前に、夫の正体を、蛮行の実態を調べなければならないのです。





 右手を鞍に掛けると、左手をナムーラ隊長の右肩に置きます。左足を差し出された彼の手に乗せると、徐々に持ち上げられ、私は馬の背に乗せられた鞍の上にひらりと体重を移し替えました。馬の片側に足を揃え、座ります。

 鞍はサイドサドル、馬にまたがらず横向きで「腰掛ける」という表現のほうが的確でしょうか。横乗りという、ドレスを着用した貴婦人が優雅に騎乗するスタイルですね。


「お見事ですわ、エムリーヌ様」


 これを見ていた侍女たちや傭兵連隊の連中が、やんやと賞賛の声を上げましたけど、まだ騎乗しただけです。ナムーラが引き綱を持ち、常歩と速歩に慣れるところから。いかついお顔に反して、彼は細やかに優しく指導してくれました。

 馬上では姿勢を正し、バランスを保ち、常に視界は広く、胸を軽く開き肩の力は抜いていなければなりません。


「奥方様は筋がよろしいですな」


 ナムーラはそう申しました。表情を観るに、お世辞ではなく、本当にそう思っているようです。というより私が初心者なのかと疑っている……いえ、絶対熟練者だとバレている。

 ほら、チラッとこちらを見る目。穏やかそうに笑っておりますが、時折刺すような厳しいものが光ります。うわぁ、また背中に嫌な汗がドッと溢れてきました。


 そう。実は私、乗馬は得意中の得意なのです。ですから馬の扱いに慣れているのも当然で、初心者へたっぴのふりをする方が大変なんですのっ!


 早く南の森まで疾走したくて、芦毛に駈歩発進の合図を出したくてウズウズしておりますのに。ナムーラ隊長が引き綱をしっかり握っておりますから、それも出来ません。


「ロバの背よりも高くて、景色がよく見えます。楽しゅうございますわ~」


 自分でも空々しいとは思います。この猿芝居、いつまで持続できるかしら。不安です。


 傭兵連隊の者たちも、マルゴたちも、皆こちらを見ていますわよね。ああ、一挙手一投足が注目を集めているというよりは、好奇の目に晒されているというか、値踏みされているというか。

 あなた方の気持ちは理解できましてよ。でも私、見世物の曲芸をする動物じゃございませんってば! もう! フンだ!


 私を見る目はさまざまですが、この館へ来てからは、いつも誰かが側近くにいます。かしづかれているといえば聞こえはよろしいですが、同時にそれは監視されているようなものです。


 もしかしなくても、傅く侍女たちも、ぎっちりと詰め込まれた貴婦人教育プログラムも、私がこの館を自由に歩き回れないようにするための鎖なのでしょうか。


 それは、なぜ? 私が、伯爵様にとって都合の悪いものをみつけないようにするため?


 館に伯爵様がおいでにならないのは、王都にいらっしゃっているのではなく、あの森の奥でおぞましいことをしているから。子供たちを切り刻むことに夢中で、私のことなど忘れている――のかも……。


 気前のよい伯爵様のウラの顔は、殺・人・鬼ぃぃぃぃ。


 どひゃ~、想像しちゃった! 悪寒が!

 鳥肌、鳥肌ぁぁ~~っ!!


 花嫁わたくしの放置など、もうどうでもいい……むしろありがとうございマスです。

 そんなことより、南の森の奥でスプラッタな光景が夜な夜な(……ええ、もう私の頭の中ではそういう光景が出来上がってしまいました!)繰り広げられているのなら、止めさせなくっちゃ。

 新床で一矢報い……なんて悠長なことを言っていては被害者が増えるばかり、ここは差し違えても止めるのが妻(まだ正式には結婚していませんが)の務め――ええぃ違った、とにかく証拠を押さえなきゃ。


 言い訳できないような証拠を掴んで、伯爵の首根っこ押さえて、あのお方の前に引きずり出して……、とっ、とっと! 焦っちゃダメよ、エムリーヌ。

 こういう時こそ冷静にならねば。


 おそらく使用人たちは、伯爵様の悪行を見て見ぬ振りをしているのです。身分が違いますから、諌言などしようものならお手討ちにされてしまうのでしょう。

 他に諫める者がいないのをいいことに、異常な嗜好を満たさんと、レンブラント伯爵は奴隷商人から子供たちを買い集め、好き勝手しているのですね。

 許せません!!


「ナムーラ隊長、その手を離してくださいな」

「は?」


「引き綱を持つ手を離してください、と言っているのです」

「奥方様、どうなさるお積もりな……」


 私の固い声に、ナムーラ隊長は異様を感じたようです。


「離すのです!」


 私は持っていた長鞭で、芦毛に駈歩発進の合図を出しました。驚いた隊長は急いで手綱を放し、動き出した馬から離れます。


「奥方様!」

「エムリーヌ様!!」


 皆が悲鳴のような声を上げましたが、それに構ってなどいられません。


「どちらへ行かれます」


 怒号のようなナムーラ隊長の問い掛けに、


「付いてきてはなりません!」


 そう返すやいなや、芦毛の鼻先を南に取って返し、疑惑の森へとまっしぐらに走らせておりました。

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