第6話伯爵様にまつわる噂話(……実は存じていますの)
リヨンのスパルタ教育から解放され、いざ散策に出かけようとドアを開けば、そこにはマルゴが待っておりました。
「ご案内致します」
「まあ、ありがとう」
互いににっこり笑い連れ立って歩き出したのですが、内心は「ええぇ!?」でした。高貴な令夫人(まだ
昨日、ザッと案内していただいたので、大方の邸内の配置は覚えました。案内などなくても歩けます。むしろひとりで歩きたいんですけどー、というホンネはちゃちゃっと隠します。
だって、子リスのように愛らしいマルゴの笑顔を見ると、そんなことなど言えませんもの。
実家のホルベイン家からレンブラント館まで同行した馬車の中でお喋りに興じたこともあり、年齢も近い私とマルゴは大層仲良くなっておりました。
彼女はひとりで輿入れしてきた私が寂しくないかと、親身になり、細々と世話を焼いてくれるのですもの。無下に追い払うことなんて出来ませんわ。
とにかく一旦はリヨンお勧めの薔薇の咲く庭園へ行くことにしましょう。私の内心の葛藤など露知らぬマルゴ。庭園の素晴らしさ、色鮮やかに咲く薔薇の美しさを力説しています。
お喋りに夢中になる彼女の薄茶色の大きな瞳が、くるくるっと動く様はなんてかわいいのでしょう。
「庭師のニコラが、それはもう丹精込めて咲かせたんですよ、エムリーヌ様。ご結婚の儀には間に合うようにと!」
「それは嬉しいこと」
結婚の儀。
あー、ちょっと心がチクチクします。式を済ませたら私は正式に伯爵様の妻になってしまうので、そうなると「妻の務め」を果たさなくてはならなく……。それって、ちょっと……。
出来ればその前に――。
先ほどリヨンから受けたダメージは、以外と重傷だったかもしれません。
最初から承知していたことなのに。承知の上で、引き受けたのに。今更臆すなど、あってはならないことです。
私は知っています。モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラントには恐ろしい噂があるのです。
噂いわく。伯爵は奴隷商人のお得意様で、幼い子供の奴隷を買っては、夜な夜な館で手足を切り刻んでいるらしい――とのこと。
事実ならばゆゆしきことでございます。
この館に来てまだ一日足らずですが、今のところ、そのような不穏な空気は感じられません。ええ。どんなに上手に隠したって、かような悪魔のごとき悪虐を繰り返していれば、建物内の空気は澱み、血の臭いがそこかしこに染みつくものです。
が、私の目に映る限りはおどろおどろしい空気など見受けられないように思います。
根も葉もない噂、なのでしょうか。
ですが伯爵様が領内の港街ペンテルで、奴隷商人と何度も取引をしているところは目撃されております。あまつさえ奴隷らしき子供を連れているところまで目撃情報があるのですが、この館に子供の影はありません。だとしたら子供たちはどこに消えてしまったというの?
流言飛語の類であれば、どれほどよろしいことか!
う~ん。
伯爵様にどのような噂があろうとも、国王陛下がお認めになった妻を、初夜にいきなり切り刻むなどと云う蛮行は、……ないですわよね? ないと信じていますけど?
待って~。昔読んだ本に、花嫁の処女を奪ったあとに殺しちゃうとか云う暴君のお話があったような。
いいえ。たとえ伯爵様がその暴君並みの
あ、なんか違う方向に流れている……。
「だっ、大丈夫でございますか。先ほどからお顔の色が真っ赤になったり真っ青になったり!」
心配してくれるのはありがたいのだけど、あなたの顔の方が真っ青です。マルゴ。
「ええ。少しめまいを感じただけだからだいじょ――」
「あああ、それは大変です。長旅のお疲れが溜まっているのかもしれません。疲労回復に効果のある蜂蜜酒を温めてお持ちいたしますね。身体の芯から温まりますから、すぐに元気になりますわ」
言うが早いか走り出しそうな気配の彼女を急いで引き留めます。
「厨房に行くのなら、私も一緒に参ります。連れて行ってください」
びっくりするのはわかりますが、そんな、大きな瞳が飛び出しそうなほど目を見張らなくたってよいではありませんかぁ。確かに、高貴な令夫人が厨房に入りたいなど、とんでもない話ではありますが。
「ほら、お恥ずかしいながら実家では使用人などおりませんでしたから、私も台所に立っていたんです。ですからどんな料理人が、どんな風に料理をするのか、とても気になりますの。それに下働きの者たちの顔も見ておきたいのですわ」
「あ、はぁ。それは殊勝なお心掛けかもしれませんが、今の時間ですと、昼餐の支度で厨房はてんてこ舞いですから――その」
お呼びでない、むしろ邪魔! だと言いたいのでしょう。わかっています。でも。でも。
しばしの押し問答の末、根負けしたマルゴが渋々承諾してくれました。くれぐれも余分な口と手を出さないという条件付きで!
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