第2話ホルベイン家は窮地に立たされております

 門を潜ってからも、しばらく馬車は走り続けます。


 一向にお屋敷は見えては参りません。整備された馬車道と、小立が続いております。木々の向こうに手入れの行き届いた庭園が見えましたけど、さらにその奥はなだらかな緑地が丘の向こうまで続いています。

 お屋敷の影も形も見えないのですが……。


 心配になってリヨンに確認したところ、


「はい。こちらは全てレンブラント館の敷地内でございますよ」


 と、こともなげに言うんですの。隣に座る小間使いのマルゴまで誇らしげにうなずいていますから、どれだけ広いのよ! と思わず突っ込みたくなりましたが、その台詞は心の中に仕舞って「まあ、素晴らしいですわ」と微笑みます。


 ほら、これでもはわたくしはホルベイン男爵家の生まれ。一応、貴族の令嬢ですもの。猫くらいはかぶれますわ!





 先程から申し上げていますとおり、私の実家は貴族とはいえ決して裕福とはいえず。ええ、はっきり言って貧乏です。

 領地も王都から遠く離れたド田舎。手つかずの自然に囲まれたのどかな……と言えば聞こえはよろしいですが、要するに領民も少なければ、これという産業も特産物もない、辺鄙な土地で静かに暮らす取るに足らない地方貴族なんですの。

 

 でも、お間違えにならないでね。貧乏貴族だって、いいところはたくさんありますのよ。古くて小さな館ですが、気の良い父や優しい母、元気でかわいい弟や妹たちと仲良く暮らしておりました。



 事の起こりは、二年前に起きた隣国との小競り合い。我が家の父にも国王陛下からの召集命令が届いて、戦地に赴くこととなりました。僅かな人数ではありますけど領民から募った志願兵を連れ、「手柄を立て恩賞を頂いてくる」と父は意気揚々を出かけたのです。


 私の父は善良で温厚な性格ですが、反面、臆病なところがあります。ですがお酒が入ると急に気が大きくなり、失言や失態等のつまらぬ失敗をすることもありました。

 だから、くれぐれも無茶と無謀はしないようにとあれほど母が忠告したにもかかわらず。同行した者たちにまで行き過ぎることがあれば止めて欲しいと頼んだのにもかかわらず。

 あろうことか敵と交わる前の駐屯地で、父はやらかしてくれました。



「な……なにをなさったのですか、ホルベイン卿は」


 ドレスの膨らんだ袖の形を整えていたマルゴが、恐る恐る訊いて参りましたので、


「兵の士気を上げようと指揮官様が催された酒宴で、隣に座ったお方と諍いになり、乱闘騒ぎを起こしましたの」


 努めて平然と答えたのですけど、可哀想に表情が固まりましたわ。あれほど迅速に動いていたリボンを結ぶ手元も、急にモタついて。そこは「あ~、なるほど」くらいの反応でいいんですってば。

 気を取り直して、話を続けましょう。ここで終わりにしたら、父の名誉が傷ついたままになってしまう。

 

「本当に、馬鹿馬鹿しいお話でしょう。

 お酒の力と、戦闘前のハイテンションも手伝ってか、小さな意見の食い違いから始まった喧嘩は、すぐに拳での殴り合いにまで発展してしまったとか。まあ、ここまでは周囲も余興とばかりに、やんやとはやし立てていたそうです。

 女の私からすれば、すでにこの地点で『ダメじゃん!』と思うのですが、戦場での殿方の考えることは図りかねますわね」

「え!? ……ダメじゃん……」


 私が俗語を使ったものですから、またまたマルゴはリボンを結び損ねました。貴族の令嬢らしからぬ――でしょうけど、実際我が家はかしこまったところのない、ざっくばらんな家風でした。

 だから領民の子供たちとも一緒に遊んだし、おかみさんたちと気さくに会話をしながらパンを焼いたりしていたので、俗語もバッチリ使いこなせましてよ。


「はぁ。そうでございますか」


 さすがに「それはようございますね」とも言えないのでしょう。マルゴは微妙な顔つきで、リボンを結び終えました。


「あの、それで。お父君のホルベイン卿は、喧嘩はどうなったのですか……」


 あら、そちらの方は気になるのね。私は続きを聞かせることにしました。


「さすがに双方剣を抜いたあたりから様相が変わり、皆で止めようとなさったようですわ。でも、もう止めるに止められない状況になっていたとか。結果、父が右足に大怪我を負うことで決着をみたそうです。

 当然、戦線離脱です。指揮官様はお怒りになるし、実戦が開始される前に自分の失態で怪我を負ったのですから、恩賞どころではありません。それどころか、喧嘩の相手から賠償金を請求されました」


 父の治療費と賠償金。


 家財まで売り払ってなんとか支払ったのですが、今度は過労で母が倒れました。怪我が元で動けなくなった父の分まで母が働いたのですから、無理が祟ったのでしょう。もちろん私も手伝いましたけど、慣れない領地の管理や家のこと、全てが母の肩の上にのし掛かってきたのですものね。心労が祟ったのですわ。


 そんなところに、また税金の取り立てが。無い袖は振れません。かといって、支払わなければ領地は召し上げ、我が家は路頭に迷うことになります。

 そんな抜き差しならない状態で、困り果てたところに伯爵様が救済の手を差し伸べてくれたのです。


「父と母は反対したのですが、私はお受けしてみようかと思いましたの」

「ご苦労をされたのですね、エムリーヌ様。でも、良く決心してくださいました。これからは心配ご無用ですわ。あ、まだ動かないでくださいね」


 マルゴの手は巧みに三枚重ねのアンダースカートを整えていきました。こうすることで上から重ねるドレスのスカートがふんわりと膨らむのだとか。


「ネックレスはこちらにいたしましょう」


 と見せてくれたのは、大粒の真珠。ロウソクの明かりに照らされて、虹色のテリが浮かびます。その見事さに、目を見開いてしました。はしたないと思われたかしら。


「こんな美しい真珠、初めて見ました」


 真珠は南国から運ばれてくる、貴重な宝珠。とっても高価なことで有名です。しかもこのテリと艶。貧乏貴族にはぜ~ったい手が届くような品ではありません。


「伯爵様が、エムリーヌ様のためにお買い求めになったものですよ」


 心の中で、嬉しい悲鳴を上げてしまいました。ありがとうございます。でも、こんな高価なお品、身の丈に合わないような気がしてなりません。ネックレスを首にかけられた私の顔は、引き攣っていたことでしょう。

 大貴族のレンブラント伯爵家と田舎貴族のホルベイン男爵家。格の違いを見せつけられたみたいです。同時に、この真珠の首飾りに見合うような女になれと、強迫……いえ、激励されたのですね。

 ――そう受け取っておきましょう。



 三度の食事の心配はなくなったようですが、別の心配事が増えた気がいたします。う~ん……。

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