(貧乏)男爵令嬢エムリーヌ・ホルベインの結婚~ワケアリ伯爵様と結婚することになったのですが私もワケアリなので溺愛はいりません~

澳 加純

第1話私、結婚しなければならないんですの!

 ごきげんよう。


 わたくしの名は、エムリーヌ・ジゼール・ホルベイン。

 父はマチアス・ギャストン・ホルベイン男爵。貴族とは名ばかりの田舎の小領主ですが、私はその長女で16歳になります。



 朝から馬車に揺られ、ようやくターレンヌ地方の南にあるレンブラント領へとやって来ました。

 二頭立ての四輪馬車とはいえ、室内には私と、もうふたり。膝突き合わせの旅で、もちろん車内ではお喋りもいたしますが、そろそろジッとしていることにも疲れてきました。大きな声では言えませんが、座りっぱなしでお尻も痛いし。

 同じ痛いのなら、鞍に座り馬の背に揺られている方がまだ楽ですが、今の私はそんなことを言える立場ではありませんわね。



 スカートの裾を直すふりをして身じろぎをし、そのついでに窓の外に目をやると、周囲が急に明るくなるのを感じました。森を抜けたようです。

 そして目の前に拡がったのは、ひろびろとした緑の丘陵。その、なんてまぶしいこと!


「窓から顔は出さないでくださいね」


 もちろん、です。こう見えても貴族の令嬢。そんなはしたない真似はいたしませんわ。

 六月の陽射しに輝く青葉の瑞々しさ、誇らしげに咲く花々の美しさ。青い麦穂が風に揺れる様。遠くに見えるのは教会の鐘楼でしょうか。


 領地のほとんどがまだ未開の森という内陸のホルベイン男爵領に比べ、なんて拓けているのでしょう。目にするもの、耳にするもの、感じるもの、全てが興味深くって映る景色から目が離せません。

 風に混じるかすかな潮の香り。ああ、そういえばレンブラント領には海岸線もあり、大きな港街もあるのだと伺いましたっけ。


「まあ! あちらに見えるキラキラした水面はなあに? えーっと、あなた……」


 対面側の席に座る灰茶色の髪の青年に笑顔で問いかけます。自己紹介はしていただいたのですが、長い前髪が表情を隠しているせいなのか、印象が薄くって。しかも、無口だし。

 

「リヨンでございます、お嬢様。あちらに見えるのは海でございますよ」


 光る海面の美しさに感動して、無邪気に声を上げてしまいました。

 となりで小間使いのマルゴが笑いを堪えております。こちらは子リスみたいにかわいい子。


「お、お、お嬢様。それ、止めて。エムでいいわ、エム。我が家ではみんなそう呼ぶから。あなたもよ、マルゴ」


 窓に顔を貼り付けたままそう言い返したら、


「そうは参りません。あなた様は我が主人とご結婚なさり、レンブラント伯爵夫人となられるのですから」

「そうです」


 と、ふたりにたしなめられてしまいました。


 そうなんです。訳あって、結婚しなければならなくなりました。

 しかも、ただいま立派な馬車に揺られ、婚家へ向かう途中です。





 私の夫となる方は、モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵と申しまして、我が家の十倍以上の領地を治める裕福な大貴族。辺鄙な田舎貴族の娘である私には、過ぎた良縁です。年齢は二十三歳だとか。

 伯爵様にお会いしたことはございませんので、あまり詳しいことは分かりません。夫がよぼよぼのおじいちゃんでなかったことだけでも幸運です。


 ほら、よくありますでしょう。小金を貯めた老人が家柄に箔をつけたくて困窮した貴族の家の娘を買う……あら、言い過ぎました。富裕市民の老紳士が高額の結納金と引き換えに貴族の令嬢を妻に迎える――とか、そういったお話。

 そんな話は他人事だと思っていましたのに、どうしたことか我が身に降ってきましたの。ご多分に漏れず、我が家も生活に窮しておりますものですから。さるご縁から、伯爵様が救いの手を差し伸べてくださったという訳です。


 ありがたいお話です。

 だって、これで父も母も、幼い弟妹たちも明日のパンに困らず……コホン、落ち着いた生活が送れるようになるのです。

 ホルベイン男爵家の安泰! 貴族の娘と生まれたからには、これぞ私の望むところなのです。


 そしてさらに幸運だったのは、伯爵様がすこぶる気前のよい方であること。

 この馬車だって、現在私が着ているドレスだって、ぜ~んぶ伯爵様がプレゼントしてくださったものです。こんなに手の込んだレースが装飾にあしらわれたボンバジン生地製のドレスを着るのは初めて。いつも着ているドレスはもっと目の粗い麻とか羊毛織りのもので、農家の娘に間違えられたこともありました――と、あ……、今の話は聞かなかったことにしてくださいませね。


 それにしても、二頭立て四輪屋根付きドア付きの馬車に乗るのだって何年ぶりのことでしょう。昔は我が家にもありましたが、二番目の弟が生まれた年に、大きな干ばつがありましたの。作物は収穫出来ないのに税金を払わなければならなくて――。


 これまで私のお喋りを聞き流していたリヨンが、珍しく身を乗り出して参りました。「絶っ対、聞いてねぇな。コイツ」と思っていたのですが、要所は抑えているんですねの。


「――して、どうなさったんですか?」

「売ってしまいました」


 と答えますと、彼はマルゴ共々、目をむいてこちらを見るのです。と申しましてもリヨンの顔は髪の毛で隠れていますから、半分は当て推量ですが。


「だって、仕方ないではないですか。でも、その代金で我が家はその年の分の税金を納めることができましたのよ。あの年は領民も納税分をやりくりできず、あれこれ立て替え払いをしてやらねばならず苦労したと父が申しておりましたから。そこそこ高値で古道具屋に引き取らせたんでしょうね」


 ですからお迎えが無かったら、鍛冶屋の親方から荷馬車を借りるか、それがダメなら歩いてお伺いするところでしたの。


 まあ、これからレンブラント伯爵夫人になる娘が粗末なドレスで荷馬車に乗ってお屋敷にやって来た、な~んてことが噂になったら、伯爵様のメンツに関わりますものね。


 私といたしましては、ここで同意を得ようと特上の微笑みを浮かべたつもりなのですが、予想に反して目の前のふたりは口をあんぐりさせておりました。そんなにおかしなことを申しましたでしょうか?


「お……嬢様。ご忠告申し上げますが、そのお話は他所では軽々しくなさらない方がよろしいかと」


 こめかみを押さえたリヨン。隣でマルゴもブンブンと首を縦に振っています。


「では、私のことをエムと呼んでくれるのであれば、約束いたしましょう」

「それは承服いたしかねます」


「なら、お喋べりしちゃおうかしら」

「エムリーヌ様!」


 そこが妥協点でしょうか。田舎貴族のホルベイン男爵家では上下関係がそれほど厳しくありませんでしたが、大貴族のレンブラント伯爵家では、そうも行かないことくらい私でも承知しています。


 ああ、本当に。

 だから、どうして、伯爵様は私と結婚しようなんて思われたのかしら!?


 お目にかかる機会があればお伺いしなければ……って、あら、その機会って。

 ――ん、結婚式!? ひえっ。そうです、すっかり失念しておりました。


 私、結婚するのでした!!



 重大なことを思い出し、急にあたふたとする私をマルゴが心配しております。


「エムリーヌ様、ご気分がお悪いのですか」

「いえ、いえ、そうではなく……」


 その時です。


「お屋敷に到着致しました」


 リヨンが静かにそう告げました。

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