第39話 星空の契り


 夜。部員たちは音楽室に毛布を敷いて横になっていた。どんなところでも寝ることができるのが男子高校生。毎年、ここで合宿をするおかげで、準備室には、布団やら毛布やらがいくつも常備されていた。

「枕が変わると眠れない」という曉は、枕を持参してきたようだった。優が「案外、繊細なのな。あいつ」とからかっていたのが面白かった。

 男子高校生たちが集まれば、悪いことをしでかす可能性は限りなく高まるものだが、さすがにハードスケジュールでその元気もないらしい。堀切には「ちゃんと寝ないと明日が地獄だぞ」と釘を刺され、どの部員たちもすぐに横になり、すっかり寝息を立てていた。

 七音にとって、お泊りという経験は初めてのことだった。宿泊を伴う学校の行事が持ち上がると、両親が「行かなくていい」と言い出す。特に母親は、その傾向が強かった。

 同級生とうまく友人関係を築くことができなかった七音にとったら、それは願ったりかなったりのことではあったが。いつも先回りをして、七音が辛い目に遭わないようにと、守ってくれているのだ、ということが、この年になってみると、よく理解ができた。

 今回の合宿も、反対されるのかと思った。けれど、母親は「獅子王くんがいるなら大丈夫ね」と笑顔で送り出してくれたのだ。あの一件以来、母親の獅子王への評価は限りなく高まっている。家族と獅子王の仲が近しくなるのは、なんとなく気恥ずかしいような、それでいて嬉しいことでもある。

 七音の隣で横になっている優は、すっかり夢の中だ。

「明日も頑張ろうな……。お休み。七音……」

 寝言のように呟く優は寝息を立て始める。その隣の曉はマイ枕で就寝中。陽斗もいびきをかいて眠っているようだった。

 七音は寝返りを打ってから、天井を見上げた。寝不足とはいえ、夕方に少し睡眠をとったおかげで目が冴えてしまっているのか。それとも、色々なことがありすぎて、思考が活発に動いているのだろうか。体は疲れているというのに、ちっとも眠くはなかった。

 ——と。ふと人の気配を感じて、顔を上げる。すぐそばに獅子王がいた。彼は唇に人差し指を当てた。七音は小さく頷く。すると、手を引かれた。七音はなされるがままに、そっと静かに音楽室を抜け出した。

 獅子王に連れ出されたのは、音楽棟の屋上——。日中は夏の暑さだが、朝晩は少しずつ秋の気配が近づいてきているようにも感じられた。

「本校舎の屋上ほどではないが。星が美しく見えるのだ」

 獅子王はそう言った。鬱蒼とした木々の間から見える夜空には、星が輝いていた。

「きれいですね」

「それでも都会の光にかき消されて、見えない星も多い」

 二人は屋上に腰を下ろす。

「すまないな。連れ出して。体調も悪いのだ。休んだほうがいいのはわかっているのだが。お前と二人切りで話す暇もない。——体調はどうだ」

「……大丈夫、です。少し、休ませてもらったので。へ、平気です」

「明日は帰ってもいいのだぞ」

 七音は首を横に振る。

(少しでも獅子王先輩といられるなら。僕はここにいる)

「大丈夫、です」

 獅子王は「そうか」と安堵したような声を上げる。「帰れ」と言われるほうが辛い。こうして自分がここにいることを喜んでくれる彼の態度が嬉しく感じられた。

 七音は、床に置かれている彼の手にそっと触れる。獅子王は驚いたように七音を見下ろしていた。七音から触れたことは、なかったかもしれない。けれど。限られた時間というものが。七音を大胆な行動に誘うのだろうか。

 夕方。比佐に触れられた場所が疼く。

(違う。僕が本当に欲しいのは、比佐先輩の温もりじゃなくて、先輩のこの熱い感覚)

 七音はその手を取ると、もう一方の手で包み込んだ。

「七音——?」

「ぼ、僕は。先輩が好……きです」

(そうだ。僕は先輩が好き)

 獅子王は驚いた顔をしていたが、すぐに柔らかい笑みを見せると、七音の手を反対に握り返してきた。

「おれもだ。おれはお前が愛おしい。ずっとずっと。お前とこうしていたい」

 獅子王の大きな手が七音の頬を包み込んだ。その手はするりと七音の首の後ろに回ったかと思うと、あっという間に引き寄せられた。

 二人の唇はそっと触れ合う。比佐の唇とは違う熱い感触に、七音の心が震えた。

「定演の時。おれはお前と繋がりたいと言った。それは今でも同じ気持ちだ。いや、あの時以上に、もっとそうなりたいと願っている」

 獅子王の唇は七音の頬に触れる。熱い吐息と共に紡がれる言葉。七音はその大きな手に自分の手を添えた。

(僕には時間がない。僕だって、先輩と——)

「いいのか。七音。体調が悪いのだ。今日ではなくとも」

「い、いいんです」

(そう。もう時間が……)

「どうなっちゃうのか。わからなくて、怖いです。けれども。先輩となら。ど、どうなっても、構わないんです」

「七音……」

 獅子王の瞳が揺れる。その瞳の色は、まるで野生の獅子のように、情欲を帯び、七音を見ていた。

 獅子王の唇が、七音のそれに重なる。唇を割って入り込む舌。鼻から抜けるような声。七音はあっという間に獅子王の感覚に支配されていく。

 彼の首に腕を回して、「もっと、もっと」とねだるように引き寄せると、獅子王は七音に覆いかぶさったまま、口づけを続けた。

 うっすらと目を開けてみると、満天の星空と獅子王の顔が見えた。

(僕は——、幸せなんだ)

 目尻から零れ落ちるのは歓喜の涙。獅子王の手は、七音のTシャツを捲り上げ、そしてその肌に触れた。くすぐったいはずなのに、もっと触れて欲しくて、からだを捩る。

(先輩……)

 心が獅子王を求めていた。七音の肌の上を、辿々しく獅子王の指が這い回る。そして、他人に触れさせたこともない場所にまで入り込んだ。

「んあ……」

 思わず声が洩れた。自分でも驚いて、からだが固まった。耳元で獅子王が「誰が聞いているかわからない。声は抑えろ」と囁いた。

「は、はい」

 七音は慌てて両手で目元を押さえる。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

「お前は可愛い」

 獅子王は口元を緩めると、七音の臍に口づけを落とす。

(くすぐったいです……)

 その唇はそのまま下へ下へと降りていく。ジャージのズボンの腰から差し入れられた大きな手が。七音の敏感な場所に触れた。からだが大きく跳ね上がった。

「……っ」

「すまない。ここから先は。配慮できる余裕がない。すまない。七音……」

(いいんです。それでいいんだ。僕がそれを望むのだから)

 七音は首を横に振った。それを見て、獅子王は優しく笑みを見せた。

(僕は好き。この人が好き)

 つながり合うその場所が熱い。痛みと悦びが入り混じり、涙がたくさん零れた。けれど。獅子王の熱を受け止める度に、心が歓喜の悲鳴を上げていた。手のひらから獅子王の思いが切々と伝わってくる。

「あ……っ、す、好き。僕。先輩が好きです……」

「おれもだ。お前しかいらない。おれにはお前が必要だ。七音——」

(でも。もう僕には、時間がない——)

 この幸せが永遠に続けばいいのに——と願ってはみても、それは空しい願いだということ。

(けれど、僕はまだここにいる。ここにいる限りは、獅子王先輩との時間を大切にしたい)

 不安や悲しみを振り払うように、七音は首を横に振ると、獅子王に縋った。

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