第37話 仮面の下の素顔


 七音は困惑していた。まさか、比佐に告白されるとは思ってもみなかったからだ。再会した当初、彼は自分にはまるで興味がなかったようだった。花見の席で悲しくなって泣いたことを思い出す。それがどうだ。今、目の前にいる比佐は自分のことを好きだというのだ。

(もし、獅子王先輩よりも前に、比佐先輩に告白されていたら、僕はどうしていたんだろうか。それでもやっぱり、獅子王先輩が好きでいたのだろうか)

 そんな疑念が頭の中を駆け巡る。告白をされた順番ではないことはわかっている。今の自分が、誰を好きなのかということ。それをしっかりと答えないといけない。

 比佐に抱きしめられながら、七音はそのことを考えていた。

(僕は、比佐先輩を追いかけてここに来た。けれど、ここで獅子王先輩に出会った。すごく不安で、どうしたらいいかわからなかったのに。先輩と出会ってから、僕はとても幸せな時間をもらった。僕は——。比佐先輩じゃない。僕が大事なのは)

 七音は、そっと比佐の肩を押した。比佐はいつもの軽い感じの雰囲気とは違い、なにか重々しい空気を纏っていた。

(ああ、もしかしたら。これが比佐先輩の本当の姿……)

 堀切とふざけた調子でじゃれあっている比佐ではなかった。なにか思いつめたような、暗い影がさす表情は、本気だということも理解できた。七音は胸がギュッとした。

(ちゃんと伝えないと。ちゃんと)

 七音は必死に言葉を探した。それから、やっとの思いで口を開く。

「す、すみません——。けれど。い、今のぼ、僕は……。獅子王先輩が、す、好きなんです」

 七音は比佐を見つめ続ける。彼の瞳が、なにを語っているのか七音にはわからない。けれども、わかってもらいたかった。

 すると、ふと比佐の緊張が解ける。彼は「冗談だよ」と言った。

「本気にしたの? 七音って、やっぱりかわいいね。すぐ騙されるんだから」

「冗……談?」

 比佐は「あはは」と笑った。しかし、その目は笑ってはいない。どこか憂いを帯びたような視線に、七音は胸が痛む。

(傷つけたんだ。僕。比佐先輩を傷つけた)

 沈み込む七音の気持ちなど、知らぬふりをするかのように、比佐は「そんなんじゃ、獅子王先輩がいなくなったら大変だ」と笑った。

「おれが遊び人だって聞いているんだろう? 別にキスくらいどってことないんだって。好きでもない奴ともできるし。したいときにする。それだけの話じゃん」

 比佐は軽い調子でそう言った。

「いい人すぎるんだ。七音は。安易に他人を信用したらいけないよ。うまくしゃべれないから、自分の気持ちを言葉にするのが難しいんだろう? 黙ってばかりいるから、足元見られて、すぐにおれみたいなオオカミに騙されちゃうんだからな」

(違う。そうじゃないでしょう? 先輩。ちゃんと話をして……。だって、僕。もうここにはいられなくなっちゃうんだから)

 七音は首を横に振った。

「先輩が、そ、そんな悪い人には、見えない、です。本当は、す、すごく優しい人で……」

「やめろ!」

 不意に比佐が叫んだ。七音は驚いて言葉を切った。比佐は「やめてくれ」ともう一度言った。

「これ以上言うな。本気にする。獅子王先輩が大事なら、他の奴なんて、放っておけばいいんだ。お前は本気なのだろう? 先輩のこと」

「ぼ、僕……」

 七音は小さく、けれども力強く頷いた。

「だったら、やめろ。おれに優しくするな」

「す、すみません……」

 そんなつもりではなかった。どうしたらいいのかわからずに黙り込んでいると、比佐は「ふ」と笑った。

「ごめん。怒ったんじゃない。お前、危うくて心配だ。……それよりも、体調はどうなんだ。歌川先輩が、夕飯だから呼んで来いって言っていたから。来たんだけど。夕飯、食えそう?」

 比佐は声色を変えた。「話は終わりだ」と言われているようだった。優しくて温和なイメージの比佐だが、こうして拒絶されてしまうと、これ以上は立ち入れない、と七音は感じた。

 致し方ないと思い、七音は比佐が話題を変えたものに乗ることにする。

「ね、寝不足です」

 比佐は「はあ?」と笑った。

「遠足の前の小学生かよ。眠れなかったの? 合宿で緊張した?」

「う……。そ、それも、あ、あるんですけど。ちょ、ちょっと。色々」

「色々ってなんだよ?」

 比佐は簡易ベッドに腰を下ろす。二人は並んでそこにいた。秋の夕暮れ。赤赤と準備室を照らす夕日を背に、二人はそこに座っていた。

 一人では抱えきれない。けれど、獅子王にはなかなか言えなかったこと。きっと、本当は、一番に言わなくてはいけないことなのに。彼の顔を見ると、自分がいなくなってしまうことを伝えられなかった。それなのに、何故か比佐には聞いてもらいたいと思った。七音は床に視線を落としたまま、ぽつりと言った。

「転校、す、するんです」

「え……。いつ? どこに?」

 比佐は驚いたような顔をして、七音を見ていた。

「あ、アメリカ。次の大会が終わったら……」

「獅子王先輩には?」

「ま、まだ……。まだ、伝えていなくて。つ、伝えなくちゃって、お、思っているんですけど……、な、なんでだろう。い、言えなくて……く、苦しいです。とても苦しい……」

 涙がじわりと浮かんだ。それから、それはじわじわと溜まっていって、あっという間に零れ落ちていく。一度流れ落ちた涙はとめどない。

 比佐の手が。震える七音の手を握った。

「くそ。おれも辛い。それ。部内で知っているのはおれだけってこと?」

 七音はこくこくと頷いた。彼の握る手に力がこもるのがわかった。

「なんとかならないのかよ。それって、お前も一緒に行かなくちゃいけないの?」

「か、家族みんなでって……」

 七音は思わず比佐に縋りついた。

「い、行きたくない。ぼ、僕は。ここ、ここにいたい——。みんなと。それから……獅子王先輩と。い、一緒にいたいんです!」

 七音は吐き捨てるように叫ぶと、大きな声で泣いた。本当は比佐は七音の背中を優しく撫でてくれる。縋る相手は比佐ではない。そうわかっているというのに。頭のどこかでは彼に甘えている自分がいた。





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