第31話 王の決心


「七音が学校に来ていないらしいね」

 歌川は表情を曇らせてから、両腕を組んだ。それから「大会で、中学校の同級生に会ったそうだね」と言った。

 獅子王は窓の外の青空を見上げながら、大きくため息を吐いた。

「康郎から聞いたか」

「鯨岡たちも悔やんでいたようだ。自分たちが集合場所に行くときに、七音を置いてきてしまったから、こんなことになったって。みんなあの子のこと、心配している。獅子王。家に行っているんだろう? 会えるの?」

 獅子王は首を横に振った。

「会ってくれようとはしない。鯨岡たちもメッセージを送っているそうだが、返答がないらしい」

「自分の殻に閉じこもってしまったみたいだね。そんなに責任感じることないのに」

「——くそ。その男。今度見つけたらただじゃ済まないからな」

「ちょっと。やめてよね。大会への出場権がはく奪されるでしょう?」

「わかっている。口で言っただけだ」

 獅子王は拳を握ると、近くの壁を叩いた。準備室が大きく揺れる。歌川は肩を竦めた。

「獅子王は信用ならないからね。おれが他校の生徒に絡まれたときも、烈火のごとく怒っていたもんね。その同級生は、山野辺高校の制服を着ていたらしいね。彼らも県大会を抜けた。次の大会でまた会うことになるよ。仕返し考えるよりも、七音を守ることを考えなくちゃいけないんじゃない? 獅子王は」

(そんなことは、言われなくともわかっている)

 獅子王は、自分に言い聞かせるように、声色を落とす。

「今度は七音から目を離すつもりはない。ずっとおれのそばに置く」

「そうしたほうがいいね。けれど、その前に。七音が合唱部に戻ってくれるといいけれど」

「そこだな」

 あれから三日が経った。梅沢高校は大会を一位通過し、県知事賞をもらった。県知事賞は五年ぶりの快挙だ。北部は「大成功」と言って、とても上機嫌でいるようだが、獅子王の気持ちは沈み込むばかりだ。

 次の大会まで一か月。その間に七音をなんとしてでも部活動に復帰させたかった。

 それになにより。三日も七音に会えていないということが、獅子王にとったら、とても辛いことだった。

(あいつ。このまま消えてしまうのではないか)

 七音は一見、静かで頼りなさそうに見られがちだ。今回のソリストへの抜擢も、逃げ出すのではないかと、二年生の間で陰口を叩いている部員がいることも、獅子王は知っている。けれど、彼は自らに与えられた役割を、臆することなく、全うしようと必死に立ち向かっていたのだ。

(矢吹と居残りをして練習しているのをおれは知っている。あいつは、誰よりも努力しているんだ)

 そんな彼が、本番で歌えなかったのだ。あれからずっと、七音は自分自身を責め続けているに違いない。もしかしたら、このことを気に病んで、学校すら辞めてしまうのではないかと心配になった。

「ともかく。七音の顔を見たい。七音に会わなくては。今日も帰りに寄ってみる」

 すると、練習予定の紙を整理しながら、今まで黙っていた有馬が「お前がしつこいから嫌がっているのではないか」と笑った。

(そうかも知れないな。おれが毎日、訪問していることは、あいつにしてみれば、とてつもなく迷惑なことかもしれないのか)

 獅子王は反論する気にもならない。そのまま黙り込んでしまった。

「おいおい。冗談だろ? お前。ずいぶんと弱気じゃないか」

「——おれが、悪いのかも知れん」

(合唱部は七音には重すぎたのかも知れない。おれが。あいつを追いつめているのか)

 じっと押し黙っていると、ふと歌川が口を開いた。

「七の女王はね。自らの幸運を使い周囲を幸せにする。だから、決まって本人は不幸に見舞われる」

「歌川……」

「おれはね。同じ七の女王として、七音には幸せになって欲しいと思っている。自らの幸運を人に分け与えてしまうなんて。幸せの王子じゃない。おれはそんな悲しい結末は望まない」

 彼は獅子王の肩を両手で掴んだ。

「おれは救われた。救ってくれた人がいたから。幸運は分け合うものだって思う。おれはたくさんの人からそれを受け取った。だから、七音を救うのは他の誰でもない。お前だ。獅子王。迷わないで」

 獅子王は歌川を見る。有馬は「ふ」と軽く笑うと、「その通りだな」と大きな声を上げた。

「クヨクヨしているお前は見ていられないな! さっさと力ずくで引きずり出せよ。それがお前の流儀だろう? お前は馬鹿一直線だからな」

(そうだ。おれは……。おれ自身を信じる。そして七音を信じる)

 獅子王は大きく頷く。

「すまん。お前たち。おれは迷ってばかりいる。部長になってから。迷ってばかりだ」

(そうだ。おれは弱い。感情に流されて、冷徹にはなれない——)

「そんなこと。みんな知っている。だからおれはお前を部長として認めている」

 有馬は笑った。歌川も頷く。

「みんな、そんな獅子王が好きだから、ここにいるんだよ」

「お前たち……」

 有馬は肩を竦めた。

「七音のことだって、自分が引き込んで、辛い思いをさせたって思っているのかも知れないけれど。合唱部に入るって、最終的に決断したのはあの子自身だ。責任感が強いからこそ、こうしてみんなの前に姿を現せないのだろ? お前がきっかけをつくってやれ。みんな待っているって、伝えてやれ」

 今度は獅子王が拳を握り、有馬の肩を軽く叩く。

「おれは、仲間に恵まれているな」

「当然だ。これ以上いい仲間は、どこを探してもいるわけがない」

「自分で言うなよ」

 歌川と有馬は視線を合わせると笑みを見せた。獅子王も釣られて口元を緩めた。

(七音。待っていろ。絶対におれがなんとかしてやる。お前の気持ち。おれが全部受け止めてみせる)

 獅子王は、心にそう誓った。

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