第13話 花見会


 学校の周囲では桜の花が満開になっていた。パート分けのテストを終えた翌日。合唱部では、毎年恒例の新入生歓迎会を兼ねた花見会が開催される。

 一体、どんな楽しいことが待っているのかと、期待に胸膨らませる新入生たち。彼らは放課後、音楽室を訪れると、二年生たちに促されて、音楽棟の裏庭に連れていかれた。そこにはブルーシートが敷き詰められ、ジュースや菓子が入った段ボールが山積みになっていた。

 学校の近くには、花見の名所で名高い公園がある。七音はてっきり、そこで花見をするのかと思っていたのだが。どうやら、会場はここらしい。

 一年生たちは顔色を暗くする。

「あーあ。花桃公園なら、女子高生とも仲良しになれたのにな」

 隣にいた優がぽつりと呟く。しかし、七音にしてみれば、仲間と花見をするという行為自体が初体験なのだ。場所などどうでもよかった。

 その内、部長である獅子王が大きな声を上げた。

「今日は新入生歓迎会だ。先輩も後輩もない。無礼講でやってくれ」

 一年生たちは、先輩たちに促されてブルーシートに腰を下ろす。獅子王の後ろから登場した二年生の手に、ジュースやお菓子がたくさん見えた途端、盛り下がっていた雰囲気が、一気に騒がしくなった。

(女子より団子。食べ物があればみんな喜ぶ)

 七音は苦笑した。

「ここからはあっという間にコンクール、定期演奏会がやって来る。忙しくなるぞ。今日は束の間の交流会だ。この時間を大切にしてくれ」

 獅子王の言葉を合図に二年生たちがジュースやお菓子を配り始めた。どうやら二年生は、自分のパートの新入生に接待をするらしい。二人がじっと座っていると、比佐と堀切が「いたいた。トップの子たち」と言いながらやってきた。

「あ、おれやります」

 優は腰を上げようとするが、ジュースを片手に比佐は「座っとけ」と笑った。

「今回は新入生歓迎会も兼ねているんだ。獅子王先輩も言っていただろう?」

「でも。先輩に注いでもらうなんて。悪いです」

「んなことあるか。昭和のサラリーマンみたいなこと言うなよ。今時。先輩後輩もあったもんじゃないって」

 堀切は笑った。比佐も「そうそう」と頷く。それから、七音の手にあるコップにオレンジジュースを注いでくれた。

(本当に。僕のことなんて、覚えているわけ、ないよね)

 じっと比佐を見つめていると、彼はその視線に気がついたようで、「なんだよ?」と声を上げる。七音は慌てて首を横に振った後、視線を逸らす。

 しかし今度は、比佐が七音のことをじっと見つめていた。それから不意に、「お前。話し方が変なんだってな」と言った。七音は弾かれたように顔を上げた。

(やっぱり。変って。噂になっているんだ……)

 比佐にそう思われているということが余計にショックだった。

 優にジュースを注いでいた堀切は「おい。康郎。そういう言い方はないだろう」と窘める。しかし、比佐は大して気にも留めない様子で笑っていた。

「別に。だって、本当のことなんだろう?」

 真っ直ぐ過ぎる問いに、七音は困惑し、「そ、そ、そうです」とやっとの思いで答えた。すると比佐は更に笑った。

「いいじゃん。別に。どんな話し方だって。ほら、おれなんて軽い話し方だから。梅沢高校では浮くんだよね。変な奴って目で見られてばっかりだ」

「お前の場合は、話し方じゃなくて、素行が悪いんだよ」

 堀切は咳払いをして七音たちを見た。

「いいか。こいつは悪い先輩の見本だから。女子高生って言えば、すぐに手を出す。軽い話し方で、先生受けも悪い。真似したらいけないからな」

「おいおい。瑞樹。お前のほうが、ひどくない?」

「本当のことを言ったまでだ」

 比佐と堀切はいつも一緒だが、はっきりとものを言い合う仲らしい。それはある意味、信頼があるからこそ成り立つ。

 二人のやりとりを見つめていると、比佐が「あのさ」と七音に視線を戻した。

「ここは、みんな変な奴揃いだから。話し方くらい、気にするな。伝わればいい。それだけの話」

 比佐はにっこりと笑みを見せると、七音の肩を叩いた。

(この人は——)

 再会した彼は、イメージとは違っていて困惑していた。けれど——。

(やっぱり優しい人なのかも知れない……)

 あの一瞬だけを、何度も繰り返し再生しているうちに、七音は比佐という人間を勝手に作り上げてしまっていたのだと言うこと。

(比佐先輩は。こういう人。そうだ。こういう人なんだ)

 七音は彼のありのままを受け止めようと、自分に言い聞かせた。それから。七音は勇気を出して、比佐の名を呼んだ。彼は「なに?」と七音を見返した。

「あ、あ、あの。僕。お、御礼が、し、したくて」

「なんの? なに? この前のこと?」

「ち、ち、違うんです。そ、そうじゃ、なくって。中学校のこ、頃……」

 そこで堀切が口を挟んだ。

「なんだ。お前たち、そんな前から知り合いなの?」

 七音は「うん、うん」と頷いて見せるが、比佐は「えー。知らないけど」と言った。

「いつ? どこで? おれは初めてだと思うけど」

 彼は「ごめん」と両手を合わせて頭を下げた。

「女の子の顔はよく覚えるんだけど。悪いね。忘れた」

(そうだよね。そうだ。うん。そう……)

 七音は「いいんです」と呟いた。ふと視線を上げると、隣に座っている優が心配そうな表情で七音を見ている。

(みんなが楽しい席。心配かけたくない)

 七音は「すみません」と謝罪した。

「僕の、か、勘違い、だったみたい。へ、変なことを言って、す、すみませんでした」

 比佐は「そう?」と小首を傾げてから笑った。すると、歌川の鋭い声が飛んでくる。

「比佐、堀切。さぼっていないで。さっさと他の一年生にも配って」

「はーい」

 比佐はわざとらしく大きな声で返事をすると、不意に七音の腕を掴んで引っ張った。二人の距離は一気に近くなる。七音の心臓が、ドキドキと大きな音を立てた。

「あの人。先々代の女王だけど、まるで氷の女王。美貌もいいけれど、おれはお前みたいに愛嬌のある女王のほうが好きだな」

 比佐の唇は七音の耳に触れそうな距離だ。七音は耳に吹きかかる彼の吐息がくすぐったくて、思わず目を瞑った。

「ほら、いくぞ。女王を構っていると、獅子王先輩に怒られる」

 堀切に続いて、比佐は手を振ってからその場を立ち去って行った。残された七音はの手には、紙コップに注がれたオレンジジュースが残っている。七音は、それをじっと見つめていた。

「大丈夫? 七音」

 優は相変わらず心配そうに七音を見ていた。

「な、なにが? な、なにも、ない……よ」

「そうなの? ねえ。比佐先輩となにかあるの? 七音が合唱部に入ったのは、獅子王先輩の影響じゃなくて、比佐先輩の……?」

「そ、それは違う」

(そう。だって、比佐先輩が合唱部だったなんて、知らなかった。それは絶対に違う。けれど……)

 ふと七音の瞳から温かいものが零れ落ちた。七音は、それを指で拭う。

「七音……」

(あれ。おかしいな。泣いている? なんで。泣いているの)

 目元をごしごしと擦ってみても、涙は次から次へと流れ出てきた。

 すると——。七音と優の間に獅子王が割って入ってきた。

「おい。なにしている。鯨岡。お前、七音を泣かせたな」

 獅子王は見たこともないような険しい表情で、優の首にそのたくましい腕を回した。

「ぐへ! お、おれじゃないっす。七音が。比佐先輩たちにジュースをもらったら。突然。泣き出して。おれだって困っていたんです」

「す、す、すみま、せん。ち、違う。優じゃ、ないんです。そうじゃ、なくて……」

 優の身の潔白を伝えようと、必死に獅子王の腕に縋りつくと、彼は黙ったまま七音を見下ろしていたが、小さく頷くと、黙ったまま七音の腕を引いた。

「ちょっと借りるぞ」

「あ、あ、あの」

「どうぞ、どうぞ」

 優に助けを求めるように視線を向けるが、彼はニコニコとして手を振るばかり。

(えええ……。なんで。テストの時は、気持ちが通じたのに……)

 困惑している間にも、獅子王はどんどんと歩みを進め、花見をしている集団から遠ざかっていった。











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