第6話 娘役にならないか?



 一週間は、あっという間に過ぎていった。最初はどうなることか、と思った学校生活だったが、梅沢高校の生徒たちは、地元の同級生たちとは色合いが違っていた。

 学力だけに興味がある生徒が多く、七音がうまく話しができないことなど、まったく気にしないのだ。

 勝手に自分の言いたいことだけを言って、去っていく者もいれば、言葉に詰まってうまく話せない彼の言葉にじっくりと耳を傾けてくれる者もいる。

 彼らが七音を興味関心の対象として見ているのは「七の女王の席に座っていた」から。ただそれだけのことだったらしい。

 特に、初日から七音に絡んでくる優は、暇さえあれば彼のところに寄って来ては、ああだこうだと話をしていく。

 七音は今まで行動を共にする友人が一人もいなかったおかげで、どう接したらいいのか戸惑うことばかりだが、優はそんなことはお構いなしのようだった。

 それから、休み時間となると、すぐに色々な部活動の勧誘がやってくる。七音は一人になる時間がほとんどなかったのだ。

「いいかい。獅子王のいる合唱部なんて入っちゃだめだ。あんな狼藉者のところ」

(狼藉者?)

 演劇部長の3年生、鎌田は丸い眼鏡を押し上げて言った。あの日、貴族の恰好をしていた男だ。

「あいつ。すぐに手が出るんだ。去年は大会の時に他校生とトラブって、手をあげそうになったんだぞ。怒りっぽいし。乱暴だし。君のように繊細な生徒は合唱部になんか入っちゃだめだよ。君には演劇部がお似合いだ!」

(獅子王先輩が手を上げる? そんなふうには見えなかったけれど。なにか理由があるんじゃないのかな……)

 七音は獅子王のことを思い出す。七音を抱き上げた時も、床に下してくれた時も、どちらもまるで壊れ物でも扱うかのようにそっと、静かに七音に触れていた彼が。想像もつかないことであった。

 七音が黙り込んでいるのをいいことに、鎌田は話を進めていく。

「どう? 演劇部に入らないか?」

「で、でも。僕、こ、言葉が。う、うまく、なく、て。セリフなんて……」

 鎌田は人差し指を立てると「チチチ」と舌打ちをして見せた。

「そんなものはいくらでもなんとかなるさ。言葉を発することなく、全身を使って表現する役だってある。君は整った顔立ちをしているから。ヒロインに向いているな」

「ヒ、ヒロイン?」

 鎌田は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに胸を張った。

「僕たちは、男版宝塚を目指しているのだー! くりっとした丸い二重の瞳。色白で、頬がバラ色に染まっている肌は、ツヤツヤと輝いていて美しい。そしてその背格好だ。華奢で軽くていい感じだ。きっと抱き上げてリフトするのも容易いだろう! 君は娘役にぴったりだ。どうだ。演劇部に入らないか。いや、ぜひ入ろう!」

(娘役!?)

 七音は首を横に振った。

「そ、そんなものは、む、無理です」

「無理なものか。一度、衣装合わせをしてみようじゃないか。きっと可愛い姫になるぞ。あ、そっか。君は七の女王。女王だ!」

 鎌田はしつこく迫ってくる。どうしたものかと思案していると、優がやってきた。

「先輩。すみません。次、移動教室なんです。もう行かないと。さ、行こう。七音」

 優は七音の腕を引っ張った。移動教室などない。優が助けてくれたのだ。

「おい。君! また来るからね! 女王よ!」

 後ろから鎌田の叫び声が聞こえる。さすが演劇部だけあって、絞り出すような叫びは、胸を打つようだった。七音は、何度も振り返って、ペコペコと頭を下げるが、優はお構いなしだ。さっさと七音の腕をつかんだまま歩いていく。

 それからしばらく歩き、教室から少し離れた場所までやってきてから、優は七音の腕を離した。

「あ、ありがとう。く、鯨岡くん」

「優でいいよ」

 優はニコッと笑みを見せる。彼のサラサラの前髪が揺れていた。

「それにしても、まったくしつこいねー。昨日はバスケ部、バレー部、剣道部。今日はすでにバド部、卓球部、そして演劇部ときた。七の女王って大変なんだね」

(本当は、あの人を探しに行きたい。こんなことをしている場合ではないのだけれど……)

 しかし勧誘にやってくる先輩たちの中に混ざっているとも限らない。七音は注意深く、訪れる先輩たちを観察していた。

 梅沢高校は学年ごとにフロアが分かれている。一年生は一階。二年生は三階。三年生は二階だ。新入生の七音が、他の学年の領域に足を踏み入れる機会は皆無だ。入学式の時も、在校生たちは新入生の後ろに配置されていたおかげで、ほとんど見ることもできなかった。

 一体どうしたものか、と悩むばかりで、時間だけが過ぎ去っていく。気持ちだけが空回りしてしまっているようだった。

「気にしない方がいいよ。人の意見を聞いていたら、あっという間に高校生活終わっちゃうんだから。七音は自分のやりたいことをすればいいんだよ」

 優は片目を瞑って見せる。それから小さい声で「だから一緒に合唱部に入ろうよ」とつけ加えた。勧誘という点では、彼も同様のことをしているのではないか、と思う七音だが、優とはすっかり信頼関係ができてきているところだ。彼からの誘いに心が揺れるのは言うまでもない。

 廊下の角から、教室をのぞき込んでいた優は「いったみたい。戻ろう」と言って、七音の背中を押した。教室に戻ると、担任の藤田が姿を見せる。彼は部活動紹介冊子と入部届を配布した。藤田はそれを丁寧に読み込んでくるように、と指示をした。

「明日の五、六校時に入部式を行う。それまでに、どの部活に入るのか決めておくように。入部式の時間には勧誘合戦もある。みんなそれぞれに趣向を凝らしているようだから、楽しみにしているといいぞ」

 藤田はそう言って笑った。それからふと七音を見た。

「おい篠原。お前は、入学式当日に合唱部の獅子王に捕まっていたようだが。まあ、自分の好きな部活に入ればいい。あまり気にするな。そんなジンクス」

 クラスメイトたちからの哀れみの視線に、七音は冊子に視線を落とした。

 冊子をめくってみると、A4サイズの紙に上下半分ずつ部活動紹介が書かれている。どれも手書き。各部活動で趣向を凝らして作成しているということは、一目でわかった。

 しかも、そのスペースの右上には四角で囲われて教室の名前が書かれている。どうやら活動をしている場所を表しているようだった。

(文化系の部活動は、2階や3階の特別教室で活動しているところが多いのか)

 七音は「うん」と小さく頷いた。これはチャンスだった。他のフロアに行くこともできるし、部活動巡りをすれば、彼に会える可能性もある。

(梅沢高校は、みんながもれなく部活に所属するっていうし。全部回れたら。あの人に会えるかもしれない)

 そう考えると、明日の入部式が楽しみになってきた。

(かなりの数。効率的に回らないと、時間内に終わらない)

 部員の写真を掲載しているところもある。少しでも回る部を減らそうと、必死に読み漁っていると、ふと合唱部のところで目が留まった。もしかしたら自分のことが書いてあるのではないかと、恐ろしくなった。

 しかし。そこには普通の勧誘文句が並んでいた。そして最後には、「今年は全国。そしてゴールド金賞を獲る。なぜならば、おれが部長だからだ! シシオウ」と書いてある。

 七音は「ふ」と吹き出してしまった。隣の席の生徒が訝し気に七音を見ている。七音は姿勢を正してから、笑っていたことを誤魔化すかのように視線を逸らした。

 それから、再び冊子をめくる。けれど。どれもこれも、まるで目に入ってこない。結局、戻っていくのは合唱部の紹介ページ。

 そもそも興味のある部活動などないのだ。

(うう。そうだよね。あの人を探すのも大事なんだけど。本当にどうするか決めないと。色々な先輩たちが勧誘してくれるけれど。どれも僕には無理そうだしな……)

 七音は心の中で焦っていた。気持ちが言うことをきいてくれないのだ。「無理だ」、「無謀だ」と頭が警告しているのに。心は違っていることを望むのだ。

(本当にいいの? ねえ、いいのかな……。でも無理だよ。やっぱり無理)

「良い名だ! 我が合唱部にふさわしい!」

 獅子王の声が、頭の中に響いていた。

(そんなわけ。ないじゃない……。だって、僕。歌なんて……)

 七音は両手で頭を抱えてしまった。

 運命の入部式は明日に迫っていた。






 


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