第67話 北条氏政④
「虎姫どのは、越後ではどのような菓子を召し上がるのですか?」
氏政の問いかけは、柔らかな笑みをたたえたまま放たれた。まるで天気の話でもするかのような調子である。わたしは一瞬考え、頭の中で素早く言葉を組み立ててから口を開いた。
「ええっと……水まんじゅうや、桜餅などでしょうか」
「ああ、三郎――いや、今は景虎でしたね。あの景虎が言っていた、水まんじゅうや桜餅とやらですね。私も一度は口にしてみたいものです」
氏政は感心したように頷いた。景虎の名が出て、わたしは胸の奥が少し熱くなる。彼の記憶に、越後の味覚が残っているのだと思うと、不思議な感慨があった。
「ただ……日持ちがいたしませんので、こちらに持ってくることはできず。本当は手土産にと考えたのですが……」
そう答えると、氏政は軽く首を振って笑みを深めた。
「いやいや、虎姫殿が持ってきてくださった“木で作られた本”でしたかな。あれは我が子らに大人気でして、取り合いになるほどでございましたよ」
「え……そうなのですか?」
思わず目を瞬かせる。あれは越後の職人に作らせたもので、子供向けの仕掛け絵本を木製で作ったようなものだった。昔、どこかで「幼子の時期は目で見るだけでなく、手で握り、触れて感じることが大事だ」と読んだことがあり、それを思い出して道満丸のために作らせたのだ。もっとも、道満丸は何でも口に含んでしまう年齢で、しかも道満丸二は難しかったため、人形の類はわざと大きめにでも手で握れるように作ったりと工夫を凝らした。
やがて義兄上が「これは道満丸にはまだ早かったですね。……あ、そうだ、氏政兄上の子供たちはまだ幼く、であれば年長で理解できるはずです。虎姫様、北条家への手土産としてお持ちになってはいかがですか?」と助言してくれた。そこで携えてきたに過ぎない。
経緯はどうであれ、せめて北条の幼い子らが退屈しのぎにでもしてくれればと思っていたが、まさか、取り合いになるほどの人気を博すとは夢にも思わなかった。
「まさか、そんな人気になるとは……。もし奪い合いになるようなら、もう一つ職人に頼んで用意させましょうか?」
わたしがそう言うと、氏政は首を横に振り、穏やかな笑みを浮かべた。
「いえ、必要ありませんよ。それに――言い合いになるくらいの方が、親としては嬉しいものですから」
その声音には、ただの冗談ではなく、確かな父の情がにじんでいた。つい先ほどまで軽やかな顔を見せていたはずの氏政が、その一言でどこか柔らかい、親としての面影を浮かべる。
そういえば、氏政は子を手放したくないあまり、弟を代わりに人質に出したことがあると聞いたことがある。詳しい事情は知らないけれど、案外、彼はとても子煩悩なのかもしれない。
父上もそうだが、やはり子を持つか否かで、人はずいぶんと違う顔を見せるものなのだろうか。
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