第66話 北条氏政③

 大名として見れば、どうしても父・氏康と比べて身劣りしてしまう――それが、目の前の北条氏政という人物に抱いた第一の印象だった。わたしは心の奥で、彼が辿る哀れな末路を思い浮かべながらも、今どうすべきかはっきりと答えを出せずにいた。

 もちろん、失われる命を助けてあげたい気持ちはある。氏政個人が罪深いわけではないのだから。だが、戦国の世は誰しもが明日の命さえ保証されぬ時代である。わたし自身、幼く非力で、いつ死ぬとも知れぬ身。御館の乱だって、どちらに転ぶか分からぬままだ。自分の行く末さえ手に余るのに、他家の滅亡をひとりで覆すなど、到底できることではなかった。

 外交上の問題を考えれば、この難題を解くには北条家の義兄上――景虎の助力が欠かせないのは明白である。だがそれすらも、思うほど容易ではない。

「虎姫どの、お味はいかがですか? 口に合いますでしょうか?」

 氏政が穏やかに問いかける。わたしは箸を置き、静かに微笑んだ。

「ええ。とても美味しく感じます」

 素直にそう答えると、氏政はわずかに肩の力を抜き、安堵の色を浮かべた。その表情を見て、わたしは首を傾げる。果たして、そこまで気に病むようなことがあったのだろうか。ただ客人に振る舞う膳を気にするのか、それとも上杉の娘としてのわたしの機嫌を測っているのか。氏政の柔らかな笑みの裏にあるものは、まだ掴めなかった。

 よく考えてみれば、氏政がわざわざ客人の部屋で食事を共にしたい理由は分からなかった。もし話すべきことがあるのなら、公式の場を設けて会談を行えば済むはずだ。

 だが彼はそうせず、こうして同じ膳を囲むことを選んでいる。形式ばった儀礼よりも、素顔を見せ合うことで距離を縮めようとしているのかあるいは、わたしの反応を探ろうとしているのか。

 箸を進めながらも、心の内には警戒が消えなかった。氏政は終始柔らかな笑みを浮かべ、世辞のような言葉を口にするが、その眼差しの奥には測りがたい影が潜んでいる気がした。

 氏政はふと箸を止め、こちらを見て口を開いた。

「虎姫どのは、甘いものはお好きですか?」

「は……え、はい」

 不意の問いに思わず言葉が詰まり、慌てて答える。その質問はかなり意外に感じたからである。

 氏政はわたしの反応を見て、くつりと笑みを浮かべた。

「よかった……」

「でも、どうして急に?」

「実は、城下にとても美味しい菓子を作る職人がいるのです。今日、その菓子が届く予定でして。虎姫どのが甘いものを召し上がらぬ方だったらどうしようかと気を揉んでいたのです」

 そう言うと、さらりと膳の菜を口に運ぶ。その所作は柔らかで、威圧感など微塵もない。

 小田原城には、すごくおいしいお菓子が売っている菓子屋があることはよく知っている。滑らかな舌触りと淡い甘みが特徴のあれを、もし本当に用意しているのだとすれば、ただのもてなし以上に、氏政の心尽くしが込められているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る