最終話 眠り姫

 カイ市では主にポンヤウンペ一人の戦力で、ポロナイスクや南区、中央区の一部を攻め取っていた。

 大勢の正規軍軍陣が中央区で敗走し、シャクシャインは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だった。


「グリムス長官、ゲレンスキー総司令、マクキッド州知事全員を捕縛するのは時間の問題だな」


 しかしそんなシャクシャインの思惑とは裏腹に、秀二の関心は他にあった。

 秀二には行きたい場所ができたのだ。それは、アイナがいる病院だった。


 自ら赴く訳にはいかない秀二はプラーミャは遣わせた。島の固有種(カムイ)ではないプラーミャに、秀二はこれまで通り言葉で指示をした。それは相棒である2人にのみ生まれた、見えない絆の光があってこそこ行動だった。


 混乱の様相を見せる院内へは、容易(ようい)に窓から侵入できた。プラーミャは病床に横たわる人しらみ潰しに見て回り、アイナを見つけた。

 プラーミャは久々に見る見慣れた少女に、思わず顔を近づけた。


 眠れる瓦礫の森の美女。そう言える程、彼女は美しかった。プラーミャは頬擦りをした。ただその体温を感じたかったのだ。


 すると、アイナが目を覚ました。ケガが癒えていたので、もう意識は元に戻っていたのだ。

 目を覚ましたアイナもまた、見慣れたそのズヴェーリの頭を撫(な)でた。アイナは、目が覚めたら義務付けられていたナースコールを押した。そして看護婦が来るまで、ズヴェーリを見つめていた。


「久しぶり、プラーミャ。私の頬を擦(さす)ってくれたのはあなた?」


 背を起こしたアイナは毛布を腰から下にかけたまま、傍らにいるプラーミャに優しく微笑んだ。


「目が覚める前にね、懐かしい夢を見ていたの。秀二と過した懐かしい日々を……」



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 4年前 3011年


 当時12歳のアイナはクラスメートにバカにされ、落ち込んでいた。当時まだ無名だったチェリミンスカヤに既にゾッコンだった彼女は、流行りのイケメンアイドルに興味が持てず仲間はずれにされ、性格や容姿等をバカにされるようになったのだ。


 太陽の光さえまともに届かない霞(かす)んだ冷たい雪国。雪解け水で濡れたブランコの冷たさも、傷ついた彼女にとってはどうでもよかった。


「お姉ちゃんブランコ濡れてるよ? 良いの?」


「うん。別にいい」


 突然少年に声を掛けられても、そっけない態度をとってしまった。

 少年は無言になり、次第に可哀想に感じるようになった。気まずくなっていると、少年は言った。


「風邪引いたら学校休めるもんね~僕も座っとこ!」


 アイナは、気まずさを打ち壊した少年に笑った。


 これが秀二との出会いだった。

 帰り道、方向が同じだった2人はしばらく並んで歩いた。秀二はヨチヨチとみじかい脚を伸ばして歩いていた。たまが突然走り出し距離をとったら、雪を丸めて投げつけてきた。


「冷たっ!」


 その驚きよりも、防寒具に包まれた小さな体の秀二はまるで卵のようにまん丸で、その防寒具から僅かに見える輪郭のない幼い笑顔が愛らしくて、アイナも思わず笑みがこぼれた。


 その笑顔を見た秀二はもっと笑顔になって叫んだ。


「やっと笑ってくれた! やっぱりお姉ちゃん笑った方が可愛いよ!」


「秀……ありがとう……!」


 その一言には、心の底から救われた。


 それから秀二には何度も心を救われた。いつでも彼は、アイナの味方になり、小さな体で大きな暖かさを与えてくれた。



 母子家庭で母が家に殆ど帰らない日々で、綺麗なだけで何も無い家に寂しさを募らせていた頃。

 秀二は愚痴を聞いてくれた。余計な事は何も言わず、耳を傾けてくれた。


「朝起きたらご飯だけ置かれてて、帰ってきても、すれ違いで夕飯だけ置かれてる。最近ちゃんと話してないなぁ」


「そっかぁ……確かに寂しいね」


「学校でも1人ぼっちなのに帰っても1人で……本当に寂しくて。お母さんまで私を1人にするんだって……どうせ人ぼっちならもう……帰りたくないよ」


 胸の内を吐露すると涙が溢れてきた。

 秀二の真剣な眼差しでアイナを見つめながら、肩をさすって優しく微笑んでけれた。


 秀二は少し考えた後、笑顔でこう言った。


「アイナが下校する時は俺だって下校してるし、アイナが家に帰ったら俺が会いに行ってあげる。『ただいま』って! そしたら『おかえり』って! ね!」 


 幼気な少年の一生懸命さや優しさが、嬉しかった。

 そして同時に、健気で可愛いと思っただから、目に涙を浮かべながら、ニヤける様に笑ってアイナはいつもの調子で言った。


「秀、ありがとう……」


 そして一筋だけ涙が頬を伝った。


「もう泣かないで! いつもみたいに笑っててほしいな!」


 それから秀二は毎日のように家を訪れた。


「ただいま!」


 辛くなったらいつでも、その笑顔を思い出す。雪が解けるように、憂鬱(ゆううつ)さも消えてなくなっていくのだ。


 秀二がチェリミンスカヤと同じ獣王になりたいと言ってくれてあの日から旅立ちの日になるまで、何度も見せてくれたその笑顔は、暖かかった。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

「夢の中で秀二が私を抱きしめて暖めてくれてた……。そして目が覚めたら、あなたがいたのよプラーミャ。私を見詰めるその顔、秀みたい……」


 アイナはプラーミャを抱きしめた。彼女にとってそれは秀二の分身であり、プラーミャも心なしかそれを受けいれたように、暴れずじっとしていた。


「いつも秀の笑顔で強くなれた。今度は私が秀を笑顔にさせてあげる番だよね」


 夢から覚めた『眠り姫』は、プラーミャにそう囁いた。それから看護婦がやって来ると、プラーミャは走り去っていった。行き先は秀二の元へである。

 


 秀二は数日に渡り、建物や入り組んだ路地を遣い巧みに徹底抗戦を続ける騎馬武者達を遂に前面包囲し、生命線を経った。


「遂にやったなポンヤウンペ……カムイの壁を厚くし奴らを圧死させるように殺すのじゃ!」


「嫌です……シャクシャインさん。俺はもう……誰も殺さない……!」


 秀二は武田の騎馬武者達を包囲しその数キロメートルの包囲の中に閉じ込め、そして誰にも手を出させないように守る壁となった。

 同時に彼はマクキッド州知事、グリムス長官、ゲレンスキー総司令ら要人が隠れる議事堂をも包囲した。


 彼は中央区で戦闘を中断させたのである。カムイの操作に慣れてきた彼の技量で、野生のカムイを通じてワール市でも同様の行動をとり、やがて全ての戦闘区域で戦闘が停止したのだった。


「どうしたんだい、ポンヤウンペ。どうして、攻撃を止めるんだい?」


「プラーミャが、教えてくれたんです長老。アイナが目を覚ましたって……。俺……どうかしてたんだ。やっぱり……こんなの間違ってる。だから俺は、もう戦わない!」


「何を今更……ポンヤウンペ、皆が夢を見た勝利はもうすぐそこだよ。私やシャクシャインが半世紀かけて作り上げた仮初の尊厳。数千年かけて先住民が創りあげた在るべき尊厳。今を生きる全ての先住民の命を守り正しく在るべき姿に導くための勝利がすぐそこに!」


「そんなもの知らないよ……大切な人1人守れなくてどうして先住民達の命や尊厳を守れるんだ……。僕は……どんな形であれ皆に生きてて欲しい……。生きていられる事が何よりも大切じゃないか……。もう泣きたくないし、泣いて欲しくないよ……!」


 秀二の言葉に長老は言葉を失った。彼らは盲目となり伝説の英雄に魂を引かれるあまり、それが少年である事を忘れてしまっていたのだ。



 秀二が操るカムイによって完全に包囲された両軍。青山地区やワール市、カイ市各区の全ての戦線で、戦闘は中断された。

 島原産のカムイは秀二によって戦闘を中止し、外来種のズヴェーリ同士の争いを防ぐ壁となった。

 それはポロナイスクから発生した先住民会のカムイも同じであり、やがて武田ら騎馬武者達は兵站線が崩壊し降伏した。


 武田は決死の撤退を考えたが、部下を生かすために降伏を選んだ。しかしそれでは武田と離れることになる香坂は、私情を出して撤退を希望した。武田騎馬隊の強さである衆道は、諸刃の剣だったのだ。


 部隊の面々も同意し、数百人だけでワール市まで撤退することになった。

 その最中で香坂は武田を守ろうと奮戦するが、武田諸共戦死した。


「降伏だ……!」


 指揮権が移った真田は武田の思いを引き継ぎ、残った数十名と共に降伏し、カイ市攻防戦は1週間の戦いに幕を下ろした。



 戦後、先住民会による蜂起の全容を把握したマクキッド州知事は、拘束した首魁(しゅかい)シャクシャインを絞首刑に処した。

 しかし州自治体は先住民会による蜂起の歴史的背景を考慮し、彼らは表向きは武士団による脅迫により参戦したと発表された。


 高虎や安之助らは命を助けられたが無罪放免とはいかず、これまでよりも苦しい毎日を送るようになった。


 闘獣の制度は存続され、高虎は八百長により次期王者として飾られる事になった。


 高虎の三大闘獣士の地位はアイノネが継ぐことになった。しかしアイノネは「PTSD」を発症し、しばらくその座は空席となる事になった。


「おめでとう。山辺秀二殿」


 直接的に戦闘を止めた秀二は、カイ市戦闘終結の英雄として讃えられた。

 そして彼は、ズヴェーリを用いて戦争を終結させたとして『獣王』の称号を与えられるも、シャクシャインが想定した茶番劇を引き継いだ流れとなり、彼は情けなさに苛まれた。


 ハリボテの王者となる地位を作り上げるまでに確かな努力を重ね、真に獣王となる実力を備えていたシャクシャインよりも劣っていると感じた。


 一番に秀でた獣王ではないと、そう感じたのだ。


 だが事実を知らないアイナや民衆は、秀二を英雄と評し称えた。


 こうして青山戦争は幕を下ろした。

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