第33話 山の麓

 ジェル率いる高機動別働隊はチロット市の壁の亀裂部分から侵入するために、夜の内にチロット市めがけて進んだ。


 ロパチン山脈の麓、茨(いばら)の生えた道を移動する。3メートル先もまともに見えないような夜の闇で、アナトリーは不安に駆られていた。


 初陣(ういじん)では、一方的な殺戮(さつりく)で恐怖をも忘れた。そして故郷グローム市での戦いでは、気がつけば落雷にやられ、緊張感を覚える間もなかった。

 しかし、彼は今確かに恐怖心を抱いていた。


 彼の心に巣食う魑魅魍魎(ちみもうりょう)の悪しき存在は、確かに彼の平常心を蝕(むしば)んでいっていた。

 そこで彼は不安の捌(は)け口として、特に理由もなく、ジェルに声をかけた。


「軍曹……グローム町でどんな風に育ったんですか?」


「どうした、トーレニカ」


「トーレニカ……。あぁ、俺の愛称系でしたね。暫(しばら)く呼ばれなかったから、忘れてましたよ……」


 アナトリーは同郷のジェルに親近感があり、現実逃避の為には彼に頼るしか無かった。


「一つ聞かせてください。ジェル軍曹は、どのように育ったんですか?」


「そんなの、トーレニカと大して変わらんだろうよ」


 いつも通り虚ろな目つきで、ジェルは答えた。


「あの町の人間が選べる人生は二択だ。でかくて力の強い偉い奴にペコペコして取り巻くか、日々ズタボロになりながら道理に沿って意思を貫くかだ」


 彼の言葉は、社会的弱者が目の当たりにした社会の闇だ。人に隠したくなるような過去を包み隠さず明かすのが、彼の流儀だ。

 虚勢を張る必要などない戦場で過ごし、正直でいることが最も楽なのだと悟った彼の信念から来る強さでもあった。


「俺は前者だった。何の取り柄もなくて現実を変える手立てもないまた、非正規労働の親に、数人の兄弟とともに養(やしな)われる。人生に絶望したさ……」


 夜の冷たい風を避けようと、ジェルは頭上の小さな帽子に手を当てて、少し俯いた。


「生まれの不幸を理由に嘆いてなにも始めないのは怠慢だ。だから俺は死に物狂いで勉学に励み、都会に出た。……ありきたりだな。次はお前の番だ」


「ガキの頃は極貧生活を送ってて、近くのコタンコロ市が豊かになったのにグローム市は相変わらず治安も含めクソな街だったから、生まれの不幸に苛まれてました」


 アナトリーはトラウマを思い出し、帽子を深く被り俯いた。


「ゲームもネットはおろか飯も満足に食えねぇ毎日。心の支えはバスケでした。でもある時……ある時……」


「どうしたんだ?」


「すみません軍曹……やっぱり……」


「話せよ。辛い過去はここに置いていけ」


 顔を上げたジェルの目には涙が浮かんでいた。彼を見て、アナトリーはなぜだか、辛くとも話そうと思った。


「ある時、俺はレイアップの練習をしようと、雪が積もる公園に行きました。寒かったけど酩酊(めいてい)した叔父さんと居たくなくて、耐えてました」


 アナトリーは1度黙り、鼻をすすってから意を決したように言った。


「防寒具を脱いでボールを投げたら、横柄(おうへい)な大人が来て、ボールを弾いて、そのまま俺を蹴飛ばしたんです。痛みに悶える俺を見てソイツは、白けたと吐き捨ててどっかに消えました」


 アナトリーが体験した理不尽にジェルは耳を傾け続けていた。だが驚いてはいない。グローム市とはそういう場所だからだ。


「体を強打してしばらく動けない俺に、雪は容赦なく降り積もりました。死ぬと思いました。でもそれは怖いことじゃなくて、むしろこのまま死んだ方がマシだと思いました。そんな経験ばっかりして……俺は何も持たないままただ逃げる為に、都会に出ました」


 レフはその話に絶句していた。


「どうしたら隊長みたいな、命令無視も平気でする様な無神経な人が生まれるのかと思ってましたけど……なんか、少しわかった気がします」


 普遍的な感性を持つレフは彼らの話を聞き、思わず表情が曇った。


「隊長!」


「何だトーレニカ」


「俺、今日死にますか? 少数で敵拠点に殴りこみって、絶対死にますよね?」


 アナトリーは確かに近づく死の足音に怯えていた。死にたくない。ただそう思っていた。


「はぁ……。死ぬのが嫌なら、どうして軍人になったんだ?」


「カイ市では、璃來が俺の居場所だったから……。璃來がいなくなって、もうなにもかもがなくなって、おかしくなってたんです。叔父さんを頼って民兵になった後、自分を守れるなら強い軍人になろうって思っちゃったんです。でもこんな……確実に死ぬような任務があるなんて……!」



 アナトリーは少しずつ自分の気持ちを冷静に分析できるようになっていっていた。


「そんなことはないさ、カイ市で璃來と仲良くなれたように、もう一度友達くらい作れたさ」


「璃來は心が弱ってて自分の価値を確かめようとしてたから、たまたま仲良く出来ただけで……あんな偶然もうないですよ。人を惹きつけて仲間を作れるジェル軍曹みたいな恵まれてて努力ができる人には、この気持ちはわからないですよ!」


 レフはこのとき、アナトリーを女々しいと思った。減らず口で言い訳がましい姿に嫌悪感を抱いた。

 しかし彼は上官であり、人間関係を上手く過ごすために、余計なことを口にしないようにした。しかし思わず口に出そうになった感想もあった。


『どう考えてもめぐまれてねぇよ。お前軍曹と同郷だろ。話聞いてなかったのかよ……』


 レフは声には出さなかったが、呆れていた。


「いきなり死地に立つのはツイてねぇよな。だが理由はどうであれ、選択した出来事には目に入ってなかった別のもんまで付いてくるもんさ……あんまり女々しく泣きわめいてると、モテねぇしお里が知れちまうぞ?」


 ジェルの言葉を聞いたレフは、心の中で呟(つぶや)いた。


『お里が知れるって……軍曹も話聞いてなかったのかよ……まぁ聞く価値ない不幸自慢だったけど……』


 舗装されてない道なき道を、兵士らは駆け続けた。ジェルは言った。


「訳の分からない『雷雨』を生き残った俺達に敵(かな)う敵はいない。高い山を越えたことのない連中が、越えた者を倒せはしねぇよ」


 落ちこみ憂鬱(ゆううつ)さに塞ぎ混んでいたアナトリーには、それも強(あなが)ち間違いではないと思えた。

 その単純な道理が、彼を少し穏やかにしてくれた。


 アナトリーの表情から、少しだけ緊張感が消えていた。それを見たレフは、ジェルの上官としての力量を実感した。

 どんなにめんどくさくとも、しっかりと話を聞き、共感する。その当たり前のことを、この状況でも実行できるその力量が、アクの強い兵士を纏めあげてきたジェルを、優秀な上官たらしめる要素なのだと悟った。

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