第6話 昔話
3年前 3012年
ある日、秀二はユーリを自分の家に招いていた。
その日はいつもどおり雪の日で、秀二は父の安之助とともに、公道から家までの雪かきをしていた。カラハリン島は8月以外は常に豪雪地帯となるのだ。
雪かきをしていると、家から1匹のズヴェーリがやって来た。
それは山辺家のペットである、シタロという犬型のズヴェーリだった。
シタロは南極地域観測隊という弥纏国による南極調査の事業で、荷物運びの犬ぞり役として活躍していた。その後老齢のため引退し、かつて前任組織で活躍した安之助に譲られ、山辺家のペットになった。
秀二はシタロの体毛を、ワシャワシャと撫なでるのが好きだった。それだけで暖かくなり、癒される。
雪かきをサボってシタロと
幼い彼の体は雪かきの疲労と寒さで疲れはて、妙に
二人は雪が溶けだしてびちょびちょの防寒具を玄関のハンガーにかけて、リビングの暖炉の前に座りこんだ。
秀二はすぐに回復したが、運動不足なユーリは長く凍え震えていた。
「ガリ勉は体が弱いなぁ……外にで出ないで家にひきこもって読書三昧してるからさぁ」
「秀二、友達にそんなことを言うんじゃないぞ」
「アハハ、大丈夫ですよ安之助さん。慣れてますから」
この頃のユーリは丸く、優しい性格だった。なので彼はなだめるように秀二へ言い返した。
「読書は楽しい娯楽であり、ルーシのアイデンティティですよ。他国ではそれが絵画やダンスだったりしますが」
「弥纏の大学で教わったのは、
「なに、呼んだ?」
「ハッハッハッ! 呼んでねぇ」
秀二はおちゃらけた態度で安之助の顔を伺い、もう怒ってないことを確認して安心した。
「安之助さん、なんですかその習字って?」
「
「墨で筆記するなんて、それって半永久的に文字が保存されるんじゃ……」
「なん百年だったかなん千年だったかは覚えてないけど、大昔の文字も残ってるらしいぞ」
「習字が全世界で用いられていたなら、もしかすればすべての記録が現代に残ってたかもしれないのに……」
2人の会話のつまらなさに嫌気がさした秀二は、少し大きな声で話をさえぎった。
「運動やめて体が訛ってきたら、寒くなってきちゃったなぁ」
「寒さと雪ばかりは耐えるしかありませんね」
「そんなのはわかるけどさぁ。ねぇユーリ、どうしてカラハリン島はこんなにも寒いの?」
「知りたいのなら、教えてさしあげましょう」
そう言ってユーリはメガネをくいっと上げた。これは彼がかっこいいと思ってよくやる癖だ。
「お、ユーリ君の目が輝いた」
「それはズバリ、カラハリン島津が北緯50℃以北に位置しているからです! キマッタ……」
「意味分からんよぉ。ホクイとかイホクとか、言葉遊び?」
「北緯も以北もまったく違う言葉ですよ。熱が溜まる地球の中心である赤道から離れれば離れるほど、空気は冷たくなります。中心から最も離れた南北の極は常に-を下回る世界で、北緯50℃以北というのはつまり、赤道よりも北の極に近いので寒いということです」
「北の極で北極、南の極で……南極! それじゃあお父さんとシタロは地球で最も寒い所にいたっとこと!」
「あぁ、そうだぞ。凄いだろう?」
秀二は驚愕した。目の前でなに食わぬ顔で生活してきた自分の父親やシタロが、そんな過酷な世界で活動していたなんて信じられなかった。その事実に彼は目と口を開けたまま、固まってしまった。
「固まってる……それほど寒いならもっと暖炉の側に……」
秀二の中で、父親への確かなる尊敬の念が芽生えた。
しばらく父の安之助から当時の話を聞いていたら、家の鐘が鳴った。そして玄関を開けると、そこには学校帰りのアイナがいた。
秀二は自分の親友達たちを引きあわせたかったので、この日2人を家に招いたのだ。
そして秀二がトイレで席を外した際、ユーリとアイナは初めて話しあった。
「ねぇユーロチカ。あなたかなり賢いのね! それはそうと秀との出会いを聞かせてほしいな」
「教えてあげてもいいけど、交換条件。ユーロチカって呼ぶのはやめてほしい」
「私には敬語じゃないのね? まぁ別に友達なんだし、そんなの要らないけど」
アイナはあまり人と会話をするのが得意ではなかったが、同じような雰囲気のユーリには、自分の調子で話しかけることができた。
「なんでユーロチカって呼んじゃダメなの? 愛称系で呼びあうのは普通じゃない?」
ルーシ系には、愛称系という呼び名がある。この名前はあだ名のようなものだが、それよりもっとフォーマルなものだ。
「父がルーシ系なんだけど、母と幼児だった僕を捨てて蒸発したような人なんだ。だから僕は、ルーシの血が嫌いだ」
「そっか……友達なのに愛称系でユーロチカと呼べないなんて、なんか不思議。でもルールじゃないし、そんな思いこみどうでもいいわ」
「そんな思いこみがあるから、愛称系がない秀二にも、秀ってあだ名をつけてるんだね」
「そうよ、可愛いでしょ? それはそうとユーリ、秀との馴れ初めについて教えて?」
それからユーリは自身の過去を話しはじめた。
彼は小学生時代、いわゆるぼっちだった。図書館で読書に
『毎日毎日そんなに本を読んでたら、ハゲちゃうんじゃない?』
『勉強しないと、低賃金労働のストレスでハゲることになるよ』
2人はこのやり取りをバカバカしく思い、それ以来仲良くなった。
そうして図書館で話すようになってから、秀二はユーリにとっておきの話をしてくれた。
それはこのカラハリン州先住民に伝わる神話だ。内容は、シュシュ湖の『オキクルミ』というズヴェーリが島の『固有種』のズヴェーリの祖となる話だ。
それからユーリはズヴェーリという存在に魅了された。
秀二はこの神話を安之助から教育の一環として教わったらしい。秀二は興味がなかったが、神々しく壮大な世界観に惹かれ、ほんの少し覚えていたのだ。
それからズヴェーリについて知りたいという知識欲を満たすために、彼はユジノハラ市の図書館に足しげく通うようになり、引きこもりがちな性格が改善されていった。
それに加え、秀二はユーリを父の安之助に紹介した。それからというもの、秀二の家庭教師のような役目を担う形で、秀二と交流を深めていった。
「そんな素敵な出会いだったのね……ユーリ、あなたのその行動力も素敵だよ」
「え、あ、ありがとう……」
アイナは終始、ユーリに心を開いていた。彼女も彼と同じはぐれ者だったからだ。
ユーリがルーシ系の人間に心を開くのは珍しかったが、気さくなアイナは例外で、そうして始まった関係は今日まで続いてきている。
現在
「ねぇユーリ、年上にはいつも敬語なあなたが私を例外にしたのかは分かんない。でも年下の秀に敬語の理由は、分かる気がする」
「……え!」
「その緊張した顔、確信犯だわ……ユーリ、まさかあなたが同性愛者だったとはね」
「ハァ……」
「そういうのも世界じゃ珍しいことじゃないし、私たちの友情は変わらないわ。でもユーリ、あなたは私の恋敵ね!」
アイナは、ユーリが友人から恋のライバルへと進化したことを感じた。弥纏の少女漫画を好む彼女にとって、この展開は萌える展開だった。
一方のユーリは、なぜか安心しきったような顔をしていた。メガネをくいっと上げて微笑んだ。アイナはそれを恋のライバルとして互いを認めた証だと解釈し、微笑みかえした。
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