第4話 白鳥と湖

 ユジノハラ予選を終えた秀二は、カイ市決勝戦までの約半月のあいだにどこかへ観光に行こうと考えた。

 そう思いながら街を散策していると、街に来る前に出会った武田のそばにいた、真田と再会した。

 彼はユジノハラを北西に進めば『来知志らいちし湖』という、白鳥のいる湖があると教えてくれた。


「ねえアイナ、あんときこんな人いたっけ?」


「いたわよ。秀はズヴェーリに見惚れてたもんね」


 だが秀二は、そんなことよりも気になることがあった。それは、真田がつけていた服であった。


「その服なんて言うの?」


「これは作業着のオーバーオールですよ。弥纏やまとよろいをモデルにしたデザインですね」


「いやユーリにゃ聞いてねぇんだがな……」


 ユーリはメガネを中指でクイっとあげて、知識をひけらかしていた。

 武士もののふの鎧である甲冑かっちゅう。それは父の影響でいつも身近にあり、秀二はこういう、弥纏的なものが好きだった。


「気に入ったのかい少年。僕のおふるをあげるよ」


 真田はそう言うと、お古をくれた。185センチメートルはある真田の服はサイズが合わなそうだったのですぐには着替えられなかったが、それでも嬉しくて、顔がニヤけた。


「この島は寒さが厳しいから、武田さん御用達の白いファーもあげよう。虎のタテガミみたいでカッコいいだろ?」


 腰の部分にオーバーオールを巻くと、脇楯わきだてのように見えた。

 秀二はそれだけでもうれしく思い、素直に喜んだ。足りない部分は今後どうにかすればいいという気持ちと、幼さ特有の想像力で補った。



 その後、3人は来知志らいちし湖へ向かった。


 訪れた湖は大きく、自然の雄大さを思い知った。しかし、そこには来知志湖という名のついた看板などは一切見受けられなかった。


 不思議に思う秀二に、ユーリは教えてくれた。ここの正式名称は「オゼロ・アインスコエ」というらしい。ではなぜ、真田は秀二に来知志湖と言ったのだろうか。秀二の疑問にまたしてもユーリは答えた。


 それは、この地で来知志湖という名称を用いたのは弥纏であり、真田は武田と同じく弥纏系の人種だからその名称を用いたというのだ。


「言わずもがな武田さんも弥纏系ですね」


「高虎さんや秀もそうなんだよ?」


 秀二はアイナの言葉に驚いた。


「2人は違うの? そういや名前に使う文字が違うよね?」


「まぁ、僕たちはルーシ系ですから。今この島を支配してる国の人種ですよ」


「でもさ、俺達3人とも地元は同じナチナ町なのに、どうして俺だけ弥纏系なの?」


「かつて島の南半分は弥纏が支配していたので、南側には今でも弥纏系がいるんですよ。決して多くはないですが……」


 秀二は、2人との間に壁を感じ、少しだけ項垂うなだれた。そんな秀二を見兼ねたのか、ユーリに続いてアイナも言葉を続けた。


「異人種だからってなにも変わらないわ。世界じゃそんなの、気にするに値しないくらいありふれてるんだから」


 そんな話をしていると、一行は湖の畔にまでやって来た。秀二とアイナは真夏の湖に入り、水をかけあった。

 極寒の雪国であるこの島でも、夏のあいだは僅かながら、湖に入れる時期もあるのだ。


 ユーリはじっと秀二のことを見つめていた。しかしユーリがそっと目を離した隙に、2人は居なくなっていた。


 そのとき秀二はアイナと2人で溺れていた。ユーリは心底焦り湖に入って、大して持ちあわせていない筋力を絞るように活用し、なんとか二人を陸地へ連れてきた。



 秀二が目を覚ましたとき、ユーリは少し泣いていた。辺りを見渡すとそこは小屋だった。木製のその小屋には、木製の壁や天井には似つかわしくない鉄製の扉が1つあった。


「良かった……死んだらどうしようかと思ったんですよ! そこに居る島津さんが潜水して助けてくれたんです」


「お、目が覚めたかね秀二君。男女二人が絡みあって入水とは、いやはやなんとも……1句できた。走馬灯 笑顔の君と 入水。どがんね?」


 島津は、浅黒い肌をしたガタイの良い偉丈夫だった。色白で線が細いユーリが横に並んだとき、視界がマーブル色に染まった。


「なんですかその不謹慎な言葉遊びは?」


「ユーリも知らないことがあるんだな。俳句だよ。でも意味不明だしダメダメ」


「意味が分からんなんて酷かぁ。まぁ季語も入っとらんが……どうでもい」


 なんとも能天気かつ訛りのキツイこの中年のおじさんに、秀二はめんどくささを感じた。


「ここは……なにをする場所?」


「ここは、お前さんがたみたいな水難被害に逢った人を、助けるところだ。さぁてお嬢さんが目を覚ますまでなにをするかな?」


 秀二は島津の提案で、釣りをすることになった。


 秀二は濡れた服を天日干しにしながら、真田から貰ったお古の作業服を着た。彼が子供の頃使っていたものだったようで、ブカブカではあるが、思ったほどではなかった。


 秀二は小屋を出る前に、ふと自分のまうしろで眠っていたアイナを見た。

 アイナのシミ1つない透きとおるようなまっ白な肌に、普段はよく喋るまっで柔らかな口は、今はそっと寝息を吐いていた。

 並びのいいまっ白な歯と、少しだけ濡れたままのアイナを見て、心の中にときめくものを感じた。しかし、秀二は、それがなにであるかはまだわからなかった。



 秀二と焚き火を挟んだ隣に島津が座る。プラーミャが側をうろつく中、湖に竿を下ろし魚を待っていた。少ししていると、ますが釣れた。


 秀二は思いだした。アイナは群れる生魚にビックリして、秀二に抱きついた。そして体勢を崩した2人は魚の群れの中に溺れてしまったのだ。つまりは目の前でエラに釣り針が刺さった弱々しい魚のせいで、秀二は死にかけたのだ。


「1匹だとひ弱でも、群れると驚異になるんだな……」


 秀二は身をもってその真理を悟った。


「ねぇ、あなたここに居ていいの? 仕事中だったんじゃないの?」


「ボランティアだから問題ない。それより秀二、年上には敬語を使いなさい」


「敬語……」


 秀二は少し自尊心が強すぎるところがあった。だからか、敬語というものに抵抗があった。秀二は途端に嫌気がさし、憂鬱になった。早くアイナが目を覚まし服が乾くことを願ったが、後の祭り。待つしかなかった。


「釣りも飽きたし白鳥ば見にいこう」


「はい……」


 言われるがまま秀二は、湖の反対側へと向かった。

 そこは開けた野原で、草木が生いしげる爽やかなところだった。そこを憩いの場にして集う1匹1匹が彫刻のように美しく、優雅な一時ひととき謳歌おうかしていた。

 辺りに燦々さんさんと降り注ぐ心地いい日差し。この日差しがすべての生き物を生かし、育んでいるのだと感じた。


 秀二は、草木と共にそよ風を浴びながら眺めるその美しい景色に、自分もこの島の一部、自然の産物である気がしてならなかった。


「アイナにも見せたい。小屋に戻ろうっ!」


「あんな美人さんとこんなところでデートとは、くぁ~~ヨカニセは特ねぇ。顔面偏差値が高いってのはなんとも羨ましい」


 秀二は照れ笑いをしながら、1度小屋に戻ろうとした。だが、そのときだった。


 ポツリ……ポツリ……


 急に雨が降ってきた。さっきまで空は透きとおっていたのに、次第にそれは不自然な早さで激しくなり、遠くのほうで雷鳴が轟きだしていた。

 悠長にしている時間はなく、2人は走って帰ることにした。


 雷鳴は次第に近くなり、どこか近くに落ちているのがわかるほど、鈍い轟音が辺りになり響く。

 小屋まであと数百メートルというところで、一閃の稲光が目に映った。次の瞬間それは、大地へ降り立つようにまっすぐと落ちていった。


「あの雷、小屋の方に落ちたんじゃなかか! ?」


 島津の言葉に秀二はパニックに陥った。ただでさえ聞きずらい訛りの上に雷雨が合わさり『雷』『小屋』『落ちた』という箇所だけが耳に入った。

 その瞬間、今まで感じたことのないほどの焦りを感じた。疲労の貯まった両足も、自然と速く動いた。


「小屋に当たってるはずがない! そんなこと絶対に!」


 天国から地獄へ落とされた気分だった。秀二は異常な焦りを感じながら、今にも泣きだしそうになりながら走った。


「秀二、そんなに走っちゃあいかん! 危なかぞ!」


 焦る秀二には、もはや島津の言葉はな聞こえなかった。そして小屋の寸前、彼は近くにあった穴に足を滑らせて、落ちていった。



 どのくらい落ちたのだろう。体の痛みに耐えながら、朦朧もうろうとする意識のなかで、彼は自分が落ちた小さな穴を見上げていた。


「助けて……下さい。ここです……助けて下さい……!」


「必ず戻ってくる!」


 小屋に戻った島津は、ユーリとアイナが金属の扉からつづく地下シェルターに入っていることを確認した。

 単身で秀二を助けに戻ろうとした島津に、アイナはついて行くとワガママを言った。

 この状況を作ったのは溺れた上に気絶していた自分のせい。そのせいで大切な秀二が聞きに陥っている現状に、自責の念に駆られた。

 そして膝から崩れおち、秀二を失うかもしれない恐怖に震えながら、シクシクと泣きだした。


 一方のユーリも、秀二と島津が出かける際に、乾かしたリュックの中に入れていたスマホを渡しそびれたことを後悔していた。それがあれば、少なくとも安否確認くらいはできるからだ。



 一方の秀二は、怯えていた。どうやらこの穴の奥は洞窟のようで、暗闇からは不気味な音が反響して聞こえてくる。

 秀二は不安を解消するためプラーミャの火で周囲を照らし、勇気をだして奥へと進んでいった。


 進んでいくと、奥には妙に黒く焼けている壁があぅた。刀傷や飛び血があり、床には血溜まりもあった。

 あまりにも異様な光景に狼狽うろたえながらも、音の正体を探ろうと奥へ歩みを進めた。


 最後の曲がり角を曲がる。するとそこにいたのは、群がるサソリやコウモリと、動物の死体から肉をむさぼる、1匹のズヴェーリであった。


「……うわ!」


 思わず飛びでた声によって感ずかれた。秀二は全力疾走で逃げだした。ズヴェーリは襲いかかってきた。

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