第42話 空想の星が降る夜空の下で 4


 鬼切ざくろはいつの間にか、白昼夢の中にいた。

 白い空間。周囲には山のような血染めの刀が突き立っていて、すぐ向かいの壁にドアがある。ドアの向こうに聖司がいるとわかった。ここは自分の心象風景なのだと、瞬時に彼女は理解する。


 目の前に、血で真っ赤に染まったウエディングドレスを着て、鬼の面をつけた少女が立っている。少女がなんなのかも、ざくろは知っていた。


「キミが、『あやきり』?」


『そう。わたしがあなたの異能。ようやく、あなたに会えた』


 ざくろは、自らの異能と出会ったことはなかった。異能とは魂と精神と人生の具現化であり、もう一人の自分である。いずれ出会う存在だと、教えられていた。しかし彼女の異能は生まれた時には既に発現しており、最初に覚えた言葉も『あやきり』という名前だった。


 ずっとそばにいたのに、こうして顔を合わせるのは初めてだ。少女が嬉しそうに言う。


『わたし、あなたが覚悟を決めるのを、待っていたの。ずっとずっと、待ってた』


 角の生えた鬼の面に、ひびが入る。なんの覚悟なのかは、彼女はもう知っている。ふわり、とウエディングドレスの少女の手が、両頬に触れる。あたたかい。


「自分で選んで、生きる覚悟か。待たせてごめんね。待っててくれて、ありがとう」


『そう。わたしの力、使って』


 ひび割れた面が半分落ちる。中心に明るい紅色の光が灯った、自分と同じ紅い瞳の同じ顔がこちらを見て、『あやきり』は満足そうにざくろを抱きしめて、ふわりと消えた。


「そっか。わたし、もう、さみしくないんだ。ひとりぼっちじゃ、なかったんだ」


 ざくろは前を向くと、迷わずドアを開けた。夢は終わりだ。現実と、向きあう時間だ。




  ★




 俺たちの上に傘の影が落ちる。宙に浮いた、割れた髑髏面を被った男が満足そうに言う。


『それでいいんだよ、相棒。お前は理屈をこね回しすぎて、難しく考えすぎなんだ』


 ああ、そうだな。相棒。


「こりゃあ、ビックリだぜ。敵ながら天晴れ、ってやつだな。大したもんだ、ガキンチョ」


 ぱち、ぱち、ぱち。


 呆気に取られた様子のぬらりひょんが、小さく手を叩いていた。


「お熱い告白ありがとよ。あぁ、いい春だ。ガキンチョ、嬢ちゃん。死ぬ準備は、できてるか?」


 宙に浮いた着流しに羽織の青年から、再び重圧プレツシヤーが膨れ上がる。反射的に後退しそうになる、が、二人で踏みとどまった。


 どうする。どうやって勝てばいい。俺の思考が伝わったのか、ざくろさんが俺を見て微笑む。


「大丈夫だよ、聖司」


 彼女は、先ほどとは打って変わって凪いだ口調で俺に告げた。


「今のわたしは、あいつを斬れる。二人なら、殺せる」


「わかった。やってみたいことがあるんだけれど、いいか?」 


 問う。ざくろさんの紅い瞳の中心に、更に明るい紅色の光が灯っていた。鼓動とともに、彼女の提案した『作戦』が伝わってくる。俺も、鼓動を通じて返事をする。


「視界共有、ね。やるだけやってみようじゃん。負けたら世界が滅ぶ⑧だけだよ」


「やろう、ざくろさん。勝って、一緒に帰ろう」


 正直、かなり無茶だ。けれど伝わってきた今の彼女の状態、それから俺の今の状況と合わせて考える。相手は日本妖怪の総大将、勝つにはこれしかない。


 俺は頷いて、彼女の手を握る。空中のぬらりひょんを見上げた。


  ★

 

 ざくろは閉じた目を開けた。視界が、いつもと全く違う。なにもかもが見える。力が全身にみなぎっている。これなら勝てる、と彼女は確信していた。


 月が暦を重ねて満ちるように、白昼夢から戻ったざくろの異能は爆発的な進化を遂げていた。もちろんそのことを、自分も聖司も承知している。その上での作戦だ。生きるか死ぬかは、やってみないとわからない。


 ざくろの視界に、世界の繋ぎ目を見通す聖司の眼が重なっている。眼の負荷が大きくて頭がずきずきするけれど、今は殺し合いの最中だ。そんなことを言っている場合ではない。


「聖司」


「わかった」

 黒羽聖司に、心臓を通して思考を伝える。聖司がぬらりひょんに向けて杭を射出する。


「おいおい、馬鹿のひとつ覚えかァ? 無駄だってーの」

 空中に浮かぶ青年は、動こうともせずに扇で顔をあおいでいる。余裕を隠そうともしていない。今に見てろ、とざくろは思う。


 たん、と軽く跳ぶ。白い杭が射出される。次の瞬間、彼女はすさまじいバランス感覚で、杭の先端に足の裏を乗せていた。杭を射出機カタパルト代わりに大きく跳躍、ぬらりひょんのいる高さまでたどり着く。


「『あやきり』、いくよ」


 ぬらりひょんがただならぬ気配を感じたのか、身をよじる。

 ざくろの眼に移る男の実体と、聖司の視界に移る繋ぎ目が濃い部分を刀で薙ぐ。

 ぬらりひょんの胴体が袈裟懸けに浅く斬れて、赤い血液が噴き出す。


「なん、だと――!?」


 余裕に溢れていた青年の表情が驚愕で歪む。首めがけて刃を振るが、かわされる。

 しかし鬼切ざくろは揺るがない。


 聖司とざくろ。二人の新しい異能の『眼』は、ぬらりひょんを捕らえている。


 幻、まがいもの、嘘、曖昧なもの。それら全てを見分けるこの眼は、こいつの天敵だ。


「逃がさない」


 空中を蹴って迫り、更に斬りつけて左腕を切断する。実体が曖昧なはずの空想怪異は、なすすべもなく血を流していた。


「おまえ。自分が『なにもかもが曖昧でつかみどころがない、いつでもどこでも主導権を握る』存在だと言ったね。嘘も、本当も、幻も、曖昧なものも、なにもかもひっくるめたごちゃごちゃ。そういうやつを、わたしはよく知ってる」


 踏み込んで、ざくろはぬらりひょんに斬りかかる。


「おまえの正体は、『現実』だ。ぬらりひょん」


「おうおう、だからどうした! かわいこちゃん!」


 正体を見破られたのは図星らしい。空想怪異は笑って肉弾戦に持ち込んでくる。理不尽に容赦なく襲ってくるのが現実だ。しかし重たい掌底や蹴りを刀でいなしながら、彼女は上に跳ぶ。


 ぬらりひょんの頭を踏みつけ、地面へ落とす。


「落ちちゃえ。おまえ、嫌い」


 落下しながら、青年は扇を取り出して怒鳴る。


「てめェ、この、小娘ごときが! つけ上がるなッ!」


 扇から、これまでになく巨大な青い業火が空中のざくろに迫る。間違いなく、ぬらりひょんの全力の鬼火だ。 


「『あやきり』、おいで」

 彼女が一言呟いた。その声に応えて、空中から数多の刀が生えてくる。刀はざくろの手元に集まり、崩れ、一振りの巨大な日本刀を形作る。


「……おい、冗談だろ」


 空中に静止して冷や汗を垂らす若い男に、彼女は冷淡に告げる。

「なにを驚いてるの、ぬらりひょん。おまえはわたしたちと殺しあってる。だったら、自分が殺される覚悟くらいできてるでしょ」


 ざくろは鬼火を巨大な刀の一振りで斬り捨て、ぬらりひょんを地面に叩き落とした。

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