第41話 空想の星が降る夜空の下で 3


 ざくろさんがこちらに顔を向けずに立ち上がる。俺は呆然と彼女の背中を見ている。


「大丈夫、だから。わたし、大丈夫だから。うん、平気。大丈夫、だいじょうぶ」


 振り返らずに、彼女が言う。肩が小さく震えている。大丈夫な人間の様子ではない。


「巻き込んでおいて、こんな風になって。最初から、わたし一人で戦ってればよかったんだ。使命を果たせないなら、わたしなんかいらない。使命だけがわたしの全部なんだから、それで満足してればよかったの。なのに、欲しがったから……バチが、当たったんだ」


 ざくろさんの声は、震えていた。限りなく無理をしていると、響きだけでわかった。


「大丈夫。あんこなら、今ごろ救援を頼んでる。ごめんね、わたしみたいなダメな守護者で。聖司がいないなら、さみしくてさみしくて生きててもしかたないし。使命を果たせないなら、生きてちゃいけない。だから」


 彼女が一歩、前に踏み出そうとする。


 大丈夫なわけがあるか。そんな理由で、もうざくろさんを傷つけてたまるか。



 決めた。拳を握った。俺は、きみと一緒に歩いていきたいんだ。もう、これ以上自分を粗末にしないでくれ。


 ざくろさんより速く、一歩踏み出す。両手を伸ばして、俺は彼女を後ろから抱きしめた。


 どこにも行けないように、ぬらりひょんのところになんか行けないように、繋ぎ止める。





「好きだ」





 言葉にすればひどく簡単だった。覚悟を決めろ黒羽聖司。ここで言わずに、いつ言うんだ。


「好きだ。俺は、ざくろさんが好きだ。だから行くな。俺以外の男のところなんかに行くな。どこにも、行かないでくれ。きみがいないと、俺は生きていけないんだ。俺はざくろさん、きみのことが他の誰より、世界一大好きだ。きみのいない世界で生きていたって、意味なんかない。鬼切ざくろは、俺にとって世界で一番愛しくて、可愛くて、大切な女の子なんだ。俺は、きみが欲しい。きみと生きたい。一緒に生きて、一緒に死にたい。俺と、離れないでくれ」


 理屈もへったくれもない、折れた脚と潰れた内臓で走り回ってバケモノを殺した理由を、ひたすら告げる。ざくろさんの細い腰を折れそうなほどきつく抱きしめて、肩に顔を埋めて耳元から流し込む。


 離さない。絶対に、なにがあろうと離すものか。


「え、あの、ちょっとまって。あの、いきなり、そんな……わたしなんかに、そんな気持ち、もったいない、よ……? いやあの、嬉しくないわけじゃないけど、その、好きって、あの」


 じたじたと腕から出ようとしながら、ざくろさんが戸惑った様子で言う。耳が真っ赤だ。


 可愛いな、と思う。俺の好きな女の子は、こんなに可愛い。


「きみは、なにを欲しがったんだ?」


 びくり、と抱きしめた肩がすくむ。ダメ押しだ。ここまで来たら全部言ってやる。


「『使命だけが自分の全部なのに、欲しがったからバチが当たった』ってさっき言ったな。きみは本当は、なにが欲しい? なにをやりたい? 高校二年生彼女いない歴イコール年齢のぼっち陰キャモブの一途さを舐めるなよ、ざくろさん。俺は、きみが守護者だから好きなんじゃあない。きみが、きみだから好きなんだ。ふわふわのほっぺたもさらさらの髪も、宝石みたいな眼も、応用問題が苦手なところも、まっすぐすぎるところも、寝相が悪いところも、そのくせ俺の前だとすぐ寝るところも、匂いも、感触も全部全部全部、ざくろさんの全部が愛おしい。頭の先から爪の先まで、全部可愛い」


「い、いとおしい、って……あの、その、嬉しいけど、うえぇ……耳元で、そんな、言わないでぇ……わたし、も、聖司がいないと、さみしい……聖司がいないと、いやだ……けど……」


 よし、ざくろさんは耳が弱い。弱点を一個把握できた。


 さあ、トドメだ。覚悟しろ、ざくろさん。


「使命? 守護者? 知ったことか。この街ときみをてんびんにかけるなら、俺は迷わずきみを選ぶ。きみが嫌なら、一緒に戦おう。勝ち筋は考えればいい。きみはひとりぼっちじゃあないんだ。ざくろさんの荷物を、俺に背負わせてくれ。使命だけが人間の全部なんて、あってたまるか。俺はざくろさんが、世界一可愛い女の子だって知ってる。たとえきみが使命を放棄して、それできみが否定されても、俺がその何千倍でも何万倍でも、ざくろさんを肯定し続けてやる! きみが生きるなら、俺は絶対に生き延びる。きみが死ぬなら、俺もここで死のう。なにがあっても、俺はきみをひとりにしない。だから選んでくれ。『選ばない』は、なしだ。俺はきみを愛している。きみはどうだ。自分で、選ぶんだ。鬼切ざくろ!」


 しぃん、と。俺が叫んだあとの空き地は、しばらくの間、嘘のように静まりかえった。


「……いい、の?」


 ぽつり、とざくろさんが、振り向かないまま細い声で俺に問う。ひっぐ、ひっぐとしゃくりあげる声が聞こえる。泣き虫なのに、本当に無理してばっかりなんだから。もっと俺のことを頼ってくれ。


「選んで、いいの? わたし、欲しがって、いいの? みんなみたいに、していいの?」


「ああ。いいんだよ。否定する奴がいたら、俺が土手っ腹をぶち抜く」


 ゆっくりと、彼女がこちらに顔を向ける。紅い瞳が、大粒の涙で濡れていた。


「わたし、欲しい。聖司が、欲しい! 聖司が好き! 普通の女の子みたいに、聖司のそばにいる! 聖司を選ぶ! わたし、聖司が好き! 大好き! 他の誰のところにも行きたくない! お願い、聖司! わたしと、死ぬまで一緒にいて! 死ぬときは、一緒に死んで! あいしてる!」


 ぼろぼろぼろぼろと涙を流しながら、ざくろさんはがばりと抱きついてきた。俺は小さな身体を正面から抱き返して、いつものように頭を撫でる。


「一緒に死ぬくらいなら、俺でよければいくらでも」


「うわぁぁぁあぁあぁん! うえぇぇぇぇえぇん! うぐっ、ひぐっ、せいじ、だいすきぃぃ!」


 たがが外れたように、彼女は泣きじゃくる。俺はざくろさんが泣きやむまで、抱きしめて頭を撫で続けた。顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽する腕の中の女の子が、心の底から愛しかった。

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