最終章 空想の星が降る夜空の下で

第39話 空想の星が降る夜空の下で 1

 俺とざくろさん、ぬらりひょんの三人は、住宅街の中にある、エアポケットのような空き地にいる。夜が明ける気配がない。ちらりと腕時計を見て時刻を確かめたが、二〇二三年四月三一日、午前二時のままだ。


 おかしい。あんこさんの元から走り出して間違いなく二時間は経過しているはずだ。


「驚いたか? ガキンチョ」


 息がかかるほど近い距離に、ぬらりひょんが迫っていた。


「!?」


 反射的に後ろに飛び退く。空中に浮いているぬらりひょんはどうした?見上げる。そいつはにやにやと笑ったまま、こちらを見下ろしている。どっちが幻覚だ!?


「どっちがじゃねぇよ、どっちも幻覚でどっちも本物だ」


 後ろから太い腕が伸びてきて馴れ馴れしく肩を組まれる。逃れようとするが、力が強すぎて身動きがとれない。


「草木も眠る丑三つ時、ってのが俺たち日本妖怪にとって一番有利な時間だからよ。東京都水木区このまちの時間だけ、ちょいと弄ってある。存在しない、永遠の春だ。今、この時を永遠にして、俺たちは百鬼夜行をし続ける」


「教えてくれてありがとう、よっ!」


 俺は思いっきり背後のぬらりひょんに肘打ちを、しようとした瞬間にそいつは消える。


「どういたしまして。死ね」


 正面にいたぬらりひょんのしようていが、どずりと腹に突き刺さる。


「が、ッ」


 息が詰まる。止血したはずの血反吐がこぼれる。ただの掌底。なのにトラックがぶつかってきたかと思うほど重たい。正面のぬらりひょんが構えている。まずい、もう一発食らったら、死ぬ。抵抗、しなくては。だめだ、膝に、力が入らない。


「でりゃああああぁぁ!」


 ざくろさんが、腰のあたりにぬらりひょんをくっつけて引きずったまま掌底の構えをしていたぬらりひょんに斬りかかる。が、そいつは煙のようにふっと消えて、刃は空を切ってしまう。


「かかか、かわいこちゃん、なんつー馬鹿力だ! いいねェ! 尻もいい!」


 彼女の腰にまとわりつくぬらりひょんの眉間に、俺は『聖母様の中指レディ・ザ・インバーテツドクロス』を突きつけた。


「テメェが死ねよエロ野郎」


 このクソ野郎を生かしておく理由はない。ゼロ距離で脳天を抉り殺す。が、腰のぬらりひょんも攻撃が当たる前に消えてしまう。


 おかしい、どうあがいてもこいつの実体が掴めない。


「くく、青い青い。まったく、未熟すぎるんだよ、ガキンチョどもが」


 元の位置、頭上から俺たちを見下ろすぬらりひょんが、ふところからせんを取り出す。


「ほれ、燃え尽きろ」


 羽織の袖をはためかせ、扇子を大きく一振り。それだけで、青い鬼火が業火となって俺たちに迫る。


聖母様の中指レディ!」


 俺はざくろさんを身体の後ろに回して、極大の『光の杭』を放った。成功率五割の技だったが、なんとか鬼火を相殺することに成功する。余波で顔や髪が焦げたが、そんなものは後回しだ。


「今だ!」


「了解!」


 背後にいたざくろさんがジャンプし、空中を蹴る。一段、二段、三段。鬼火を放っているぬらりひょんには、防ぎようのない斬撃。


 の、はずだった。


 空中にいたぬらりひょんも、煙のように姿を消す。


「今のも偽物!? ぅ、あ!? が、ッ!」


 彼女の背後に男が現れ、背後から蹴り飛ばし、また消える。前方に飛んで空中で体勢を立て直し、ざくろさんは地上に降りてくる。


「なんなの、あいつ。まるっきり掴めない!」


「落ち着いて、ざくろさん。近くに本物がいるはずだ」


『かかか、かかかかか! そんな区別に、意味はねェよ! かかかかかかかかか!』


 何十人もが、同じ声で嘲笑する声が聞こえた。俺たちは上を見上げる。赤い空、黒い月。真っ赤な空を背景に、無数のぬらりひょんが浮いていた。


「さあ、どれが本物かわかるかな?」


「といってもそんな区別、俺にァ意味なんざ全くねぇ」


「『ぬらりくらりと掴み所がない』それが俺だ」


「なにもかもが『曖昧』で、『見る者によって形を変える』」


「それが俺、ぬらりひょんだ。伊達や酔狂で日本妖怪の総大将やってねェんだよ、クソガキ共」


 口々に、褐色の青年の群れが楽しそうに言葉を紡ぐ。


 なるほど、『世界との繋ぎ目』があやふやな理由がわかった。


 こいつの存在自体が曖昧で、見る者によって形を変える。幻覚と本物の区別をつけようとするのが無理な奴なのか。クソッタレ、反則チートじゃあないかそれは。


『さて、お前ら。仲が良よくて妬けちゃうから、そのまま焼けて焦げて死ね』


 無数のぬらりひょんが、一斉に鬼火を放つ。さっきの鬼火とはレベルが違う、視界全てを埋め尽くす青い業火だ。避けられない。『聖母様の中指レディ・ザ・インバーテツドクロス』のどの技でも、相殺は不可能。


 ざくろさんを守らないと。どうする。俺の身体と制服には、あんこさんがありったけの強化魔法バフをかけている。もちろん、防御面の強化もだ。ならば手は一つ。コンマ一秒で俺は結論を出す。俺はざくろさんを地面に倒して、全身で覆い被さる。そのまま、視界が真っ白に染まった。


 背中の感覚がない。目の前がちかちかして、身体を揺さぶられるのがわかる。


「聖司! 聖司!」


 ああ、ざくろさんが俺を呼んでいる。起きなくては。けれど、身体が動かない。


『そんな悠長なこと言ってる場合か、いくら寝たら気が済むんだ。気張れよ相棒』


『葬儀屋』の喪服にハイヒールを履いた脚が顔を蹴り飛ばし、俺は覚醒する。


「ざくろさん! 無事か!? ……ッ、うが、ァッ!」


 学ランの背中が破けて、なんだか背中全体の感覚がおかしい。熱くて、ひどく痛い。

「自分の心配してよ! ひどい火傷だけど、あんこが転送してくれた薬があるから!」


 うつ伏せになった俺の露出した背中に、なにか液体が振りかけられる。心地よい涼しさが背中を覆って、熱さも痛みもすぐ消えた。


 ありがとうあんこさん。今頃パンツ丸出しで俺たちを待っている黒猫さんに、俺は感謝した。


「へェ! 鬼火の火傷と呪いを消すかァ! そっちに相当な術士がいるなァ。やるね」


「ああ、いるよ。とびきり美人で巨乳で、おもちゃが大好きな女の子がな」


「そりゃお近づきになりたいねぇ。好みだ」


 軽口を叩いてみせるが、俺は内心で焦っていた。勝てる気が、しないのだ。


 見透かしたように、ぬらりひょんがにいぃと笑う。


「くくく、気づいてるんだろォ? ガキ。俺はどこであろうと『その場の主』になれる妖怪だ。どんな戦いであろうと、主導権を握るのも、勝つのも俺なんだよ」



 やはりか。こいつ、自分自身の特性を熟知して利用していやがる。俺は奥歯を噛んだ。

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