第37話 夜を行く 2

 鬼切ざくろは畳の上で目を覚ます。木の格子に囲まれた、座敷牢だ。ぬらりひょんの持っていた黒い箱に吸い込まれたところまでは覚えている。


 なるほど、自分は今囚われの身ということか。


「……聖司」


 次に思い出したのは、バイクに轢かれて血まみれになった彼の顔だ。


「わたしの、せいだ」


 ざくろは膝を抱える。あの怪我で生きてはいられないだろう。今まで会った誰よりも、自分に優しくしてくれた男の子。心臓が繋がっているから、彼が死んだら自分の異能もほとんどが失われる。


 まあ、どうでもいいか。だって、聖司がいなくなるんだから。 


 生まれて初めて、命を懸けて守ってくれた。死なれたくなかったから、心臓を分けた。作ったご飯をいつもおいしいと食べてくれた。戦ってきたことを、生まれて初めて褒めてくれた。頭を撫でてくれた。巻き込んだのはわたしなのに、死にそうになってまで異能を発現させて戦ってくれた。くねくねに操られて自分を殺しかけたわたしを責めなかった。泣きたくてどうしようもなくて頼ったとき、泣きじゃくるわたしを抱きしめて、眠るまで毎晩撫でてくれた。


 聖司がいない世界なんて、さみしくて生きていけない。


 それに使命が果たせなかった。なら自分なんかどうなってもいい。自分には、使命しかなかったんだから。優しくしてくれたのは、聖司とあんこだけだったんだから。


 そう思って畳に大の字になったときだった。


 ばふっ! ばふばふっ!


「うわ、ちょっと、なに!?」


 頭の上から黒いなにかがいくつか降ってきた。布が何枚か、と瓶がいくつか。じたばたと手脚を動かして、降ってきたものをどかす。


「これ、って……」


 制服、だった。ざくろと聖司が通う、私立京極高校の指定セーラー服。心臓が高鳴りだす。ふたりぶんの、鼓動が聞こえる。


「せい、じ……生きてるの!? 聖司!」


 重なる鼓動の主なんて、一人しかいない。鼓動を辿って自分の座標に制服を転移させてきたのは、あんこだ。強化魔法バフがかかっている証に、制服から魔力を感じる。


「……そっか、そっか、生きてるんだ……はは。わたし、ダメだなぁ。勝手に、諦めてた」


 紅い瞳できっ、と前を睨む。制服に着替えると、聖司が選んでくれた服を小脇に抱えた。


「『あやきり』……やっぱり召喚できない、か。」


 まずはこの封印を破る。解き方があるんだろうが、あいにく手段を選んでいられるほど自分は応用に強くないことは知っている。ならばどうする。決まっている。ざくろは座敷牢の格子に向かって息を整え、構える。


「全身全霊で、力押しだ! このやろー!」


 全力で振りかぶったざくろの拳が、箱の中を揺らした。




  ★




 空が、今まで見たことがないほど赤い。満月は底の見えない穴みたいに黒い。


「空想怪異の侵食が、めちゃくちゃに進んでやがるってことか……!?」


『おい相棒、ぼやいてる暇はねぇぞ。お客さんだ』


『葬儀屋』が俺の耳元で囁く。周囲に明らかに人間ではないもの、妖怪が集まってきていた。


「ギ、ギ。ギギ。ギギギ」


「にんげん、にんげん」


「あそぼう、ころそう、バラバラにしよう」


 なるほど、こいつらは自分たちが一方的にじゆうりんする側だと思っているわけか。なら、俺が取る対応は一つだ。


「来い、聖母様の中指レディ。ブチ抜け」


 俺は異能を呼び出し瞬時に杭を射出、周囲を囲んでいた妖怪どもを塵に還した。


「鬱陶しいんだよ。俺の邪魔をするんなら、全員ブッ殺す。……ッ!」


 俺はアスファルトの地面に膝をつく。脚から血が滲んで、あらぬ方向に折れ曲がっている。


『おいおい、格好つけるのはいいが足元もちゃんと見ようぜ相棒。その脚、限界なんじゃねえのか?』


「それがどうした、『葬儀屋』。脚が折れた程度で心まで折れてたまるか。こんなもん、痛くなきゃいいんだ。『痛覚鈍麻』」


 激痛が走っていた全身から、痛みがだいぶなくなる。


『いいのか? 将来立てなくなるかもしれねぇぞ』


「かまわねぇよ。ざくろさんのいない将来なんざ、ないのと同じだ。『加速』」


 バキバキに折れた脚に『加速』をかけて全速力で走る。街中は妖怪どもで溢れている。人が襲われていたり民家の窓が破られていたり、ひどい有様だ。『聖母様の中指レディ・ザ・インバーテツドクロス』で魑魅魍魎を抉り殺しながら、俺は駆ける。


 当然無傷とはいかない。というより、ぬらりひょんにバイクで轢かれたダメージがでかすぎる。内臓が損傷していて、肉の混じる血反吐が口から出てくる。


「げ、おげ、もご、えぇぇ……クッソ、邪魔だ! 止めろ! 『聖母様の中指レディ』!」


 自分の腹に向かって『出血と吐血を繋ぎ止める』ための杭を打ち込み、また走る。痛みも出血も邪魔だ。こうしている間にも、ざくろさんの身が危険かもしれない。


「畜生ぉぉぉ! 身体中痛えぇぇぇ! 笑えるぐらい痛えぇぇぇ!」


 彼女の居場所は共有した心臓が教えてくれる。痛いはずなのに自然と笑えてくる。鼓動が高鳴る。彼女も、戦っている。


 バイクに轢かれて念入りに頭を潰され、死ぬような怪我をして、痛覚を封じてまでざくろさんを追いかける。以前の俺なら、絶対にこんな真似はしなかった。


 理屈に合わない。道理に合わない。死ぬ可能性が高い。俺にメリットなんて、ない。


『でも、やるんだろう。お前は』


「ああ、そうだよ。葬儀屋」


 俺は口の端に溜まった血をべっと吐き捨てて、にやりと笑う。


「俺は、ざくろさんを繋ぎ止めておきたいんだ。この世に、俺のそばに。俺がやってるのは、ただのエゴだ。好きな女の子が攫われたのを助ける、それのなにが悪い」


『いや、最高だぜ。相棒』


 心臓がどくんどくんと脈打つ。走る、走る、走る。ぬらりひょんはこの街の住民を皆殺しにすると言った。だからまだ水木区このまちに留まっている。この夜しか好機チャンスはない。今を逃せば、彼女は攫われてしまう。


 そんなの許せるか、ボケが。


「今行くからなぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ! 待ってろよざくろさぁぁあぁあぁぁぁん!」


『加速』と『痛覚鈍麻』の異能をフルに使い、道中にいる妖怪どもを杭でブチ抜いて、俺はひたすらに赤い空の下を駆けていった。


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