第一〇章 夜を行く

第36話 夜を行く 1

 俺は血まみれで、地面に倒れている。動けない。起き上がれない。けれど、現実は非情だ。


『おい、起きろ。おい。……起きろっつってんだろ』


 げし、と『葬儀屋』に頭を蹴られる。おい、潰れてんだぞそこ。優しくしやがれ、『葬儀屋』。


『うるせえ。忘れてねえか相棒、お前が死んだら、鬼切ざくろが戻ってこねえぞ』


 びく、と身体が動く。俺は、頭が潰れているにもかかわらず起き上がる。


「ああ、そう……だったな、そりゃ、死ぬわけには、いかねぇ……」


 視界に、『葬儀屋』の割れかけた髑髏面が映る。このあたりは人通りも少ない、静かな住宅街だ。無音のバイクにはねられたとしても、誰も出てこない。もしくは結界かなにかを張ったか、まあそんなことはどうでもいい。俺のやることは一つだ。


聖母様のレディ――」


 異能を呼び出す。俺が、今できること。

 潰れていても、頭を回せ。世界との繋ぎ目を、見つけろ。


「……あった」


 俺の心臓。そこに、繋ぎ目がある。ざくろさんとの繋ぎ目も、見える。


『そうだ、次にすることはわかるな?』


 ぴしりぴしり、『葬儀屋』の髑髏面が砕けていく。なんだお前、そんな死んだ魚みてぇな眼、してたのかよ。俺と、そっくりそのまま同じ顔じゃねぇか。


『四の五の言ってないでさっさとやれ。心停止まで時間がねぇ』


「ああ。わかってる」


 俺は、聖母様の中指レディ・ザ・インバーテツドクロスを自分の心臓に向ける。


 自分の命と、世界との繋ぎ目。ほころんでいて、今にも崩れそうだ。ならばそこを、補強してやればいい。繋ぎ止めて、離れないようにしてやればいい。


「俺の命を、この世界に繋ぎ止めろ! 聖母様の中指レディ!」


 がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん、がん!


 杭が射出される。心臓が貫かれる。俺の命が、世界に『固定』される。


「あとは、ざくろさんを、あの野郎から……助けに、いかないと……」


『まあ待てよ相棒。聞こえてこねぇか? もう一人の、頼れる仲間の声が』


 みゃぁ、みゃぁみゃぁ。猫の鳴き声を聞いて、俺は笑った。


 どうやら、頭が潰れたまま動かずにすみそうだ。




  ★




 光の届かない、深い深い沼の底からゆっくりと浮上するような感覚だった。思い浮かぶのは、全てたった一人の記憶。


『人喰い桜』に腕を千切られているざくろさん。素振り千本しているときのざくろさん。弁当を食べているときのざくろさん。問題集を前にうんうん言っているざくろさん。一緒に食事をしているざくろさん。俺の腕の中で泣いているざくろさん。


「みゃぁ! みゃー! みゃぁみゃぁ、みゃー! ぴゃぁぁあぁ!」


 ああ、なんだあんこさんか。どうしたんだ、そんなに鳴いて。カツオ節でも振ってきたのか? それとも撫で撫でか? 


 いい加減、俺も起きないと。夢は終わりだ。ざくろさんが、待ってる。


「……おりゃぁぁあぁ! 生きてたぁぁぁ!」


「ふにゃっ!?」


 飛び起きた俺が見たのは、真っ赤な空に黒い月。それから女性エージェントに変化してブラウス一枚で鳴いているあんこさんだった。サングラスはかけていない。スカートははいておらず、黒いレースの下着の上から尻尾が生えている。上着はどうしたのかと思ったら、俺の身体にかけてあった。動揺しているからか、猫耳も出ている。属性を盛りすぎだ。


 どれくらい時間が経ったのかわからないが、俺が轢かれた道路の上である。もう俺の家に近い、細い路地だ。そこらじゅう俺から出たと思われる血まみれで、軽いスプラッタ映画みたいな様子になっていた。


「みゃああぁあぁん! うにゃあぁぁあぁ! ぴゃぁぁあぁあ……みゃー!」


「落ち着いてあんこさん、俺は猫さんの言葉はわからないんだ。耳と尻尾。はみ出てる。あとパンツ丸出し」


「みゃっ!?」


 あんこさんが目を見開いて、頭の上の耳、口元、尻尾と上から順に触れる。


「……失礼いたしましたわ。わたくしとしたことが、つい取り乱しました」


「なんでパンツなの? スカートどうかした?」


「聖司の身が危ないと慌てて人型になったら耳と尻尾が出てしまい、尻尾が窮屈で、脱いできましたの。不完全な変身で、レディとして恥ずかしいですわ」


 猫耳と尻尾はそのままで、元の口調に戻ったあんこさんがぺこりと頭を下げる。黒い猫耳と尻尾に黒いブラが透けたブラウス一枚、下は黒いレースの下着という痴女スタイルだが、レディとしてそこはいいのだろうか。恥ずかしがるポイントがずれていないか? 猫さんだからか? 


 俺の身体は、緑色の光に包まれている。起き上がったはいいものの全身を激痛に襲われ、俺は道路に寝転がった。ひどく眠たい。が、眠るわけにはいかない。


「常人なら即死している怪我です。回復魔法をかけていますわ。少しの間そのままでお待ちください」


「即死って、そんなに?」


「一言で言うなら脳味噌がまろびでていましたわ」


「まろびでてた」


「戻しましたが」


「マジか」


 即死を免れたのは、間違いなく聖母様の中指レディ・ザ・インバーテツドクロスで命をこの世に繋ぎ止めておいたからだ。とはいえ脳味噌がまろびでてそれで無事ってすげえな。まろびでてた……いや、リアルに想像したくない。


 どくん、どくん、心臓の鼓動が二重に聞こえる。ふっと、俺の上に影が落ちた。見上げると、『葬儀屋』が傘をさしかけている。


『おいおい、いつまで寝てる気だ。もう、百鬼夜行は始まってるぜ?』


「ごめん、あんこさん。俺はもう待てない。戦いに行かないと。ざくろさんを、助けないと」


 俺は全身の痛みを無視して起き上がる。半分割れた髑髏面の向こうに、死んだ瞳。


『痛いからなんだ。そんなもんいつも通り、解析して遮断すればいいだろう。早く走れないなら、加速すればいいだけの話だ』


 ああ、そうだな『葬儀屋』。俺は腕時計を見て時刻を確認する。


 二〇二三年四月三一日午前二時で、時計はぴたりと止まっていた。四月三一日? そんな日付、この世に存在しないぞ。


「待ってください、聖司! その怪我で戦う気ですの!? 死にますわよ!?」


「じゃあざくろさんをこのまま見捨てるのか!?」

 

 あんこさんが押し黙る。数秒間、沈黙が流れた。


「あんこさん、俺とざくろさんの心臓は繋がってる。俺なら、どこにいても居場所がわかる。今動かないと、ざくろさんは助からない。彼女をここに繋ぎ止めておけるのは俺だけだ。そして俺たちを助けられるのは、あんこさん。きみだけだ」


「わたくし……? わたくしに、まだできることがあるんですの!?」


「まず『機関』に救援を大至急で頼んでくれ。日本の空想怪異の総大将とその他大勢が、百鬼夜行ってやつをやってやがる。ざくろさんも、そいつに攫われた。次にざくろさんの居場所に、俺の心臓を通じて送ってほしいものがある。俺の身体に、ありったけの強化魔法バフをかけてくれ。頼む、ざくろさんを助けたい」


 あんこさんは、しばらく迷った様子で目と尻尾を泳がせていたが、決意して俺の目を見た。


「承りましたわ、聖司。どうか御嬢様と一緒に、帰ってきてくださいまし」


 俺はあんこさんが転送してくれた学ランに着替える。その上で強化魔法バフをかけてもらう。いつかざくろさんが言っていたことを、噛み締めるように思い出す。


『制服は学生にとっての正装で、戦装束だからね』


 新しい異能は、すらすらと出てきた。


「全身、『痛覚鈍麻』――」


 痛みを解析して、ある程度遮断する異能。栗城たちとやりあったときの応用だ。もう一つ、彼女の言葉を思い出す。


『キミ、頭がいいね。頭の回転が速いし、理解力もある』


 頭の回転が速い。ならそれを、身体に適用することも可能だ。


『そうだよ、俺たちを縛るもんはねえんだ、行け相棒』


 半分割れた髑髏面を被った俺と同じ顔の男が、傘で行き先を指し示す。繋がった心臓の鼓動が、彼女の居場所を教えてくれている。


「『加速』発動。いってきます、あんこさん」


「いってらっしゃいませ。お二人で帰還されるのを、わたくし、待っていますわ」


 ぺこりと頭を下げた黒猫さんに見送られ、俺は走り出した。


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