第35話 休息、暗転 4
すっかり暗くなった帰り道。俺の家までは水木駅から徒歩で一〇分だ。
「はー! いろいろいっぱいおいしかった! ありがとう、聖司! 選ぶのって、楽しいんだね! また行こうね!」
お腹いっぱい食べて、並んで帰るざくろさんはさっきからずっと笑顔だ。
「あの、ざくろさん」
家からすぐ近くの歩道で止まって、俺は彼女の肩を掴む。
「俺、言いたいことがあるんだ。渡したいものも」
言わなければならない。伝えなければならない。ポケットの中の蝶と
思い切り、その身体を突き飛ばした。
『また自己犠牲か? 芸がねぇな、相棒』
うるせぇよ。彼女に生きてほしいんだ、俺は。
『これしか手がねぇんだから、仕方ねえよなあ。来るぞ、受身はとれそうか?』
さぁな。俺は、背後から音もなく迫っていたハーレーダビッドソンに容赦なくはねられ、盛大に宙を舞った。
★
「が、ぁ――」
骨が折れる。内臓が潰れる。身体が軋む。バラバラにならないのが奇跡だ。
「かかか! これで終わると思ってもらっちゃ困るぜ! 死んどけ!」
俺が滞空している間に、地面のほうから声が聞こえる。聞き覚えがある、むやみに元気な若者の声だ。バイクは素早くターンして、俺が地面に落ちるのを待っている。
男の狙いに気づいた俺は回避行動と受身をとろうとするが、縛られたように動かない。なにかの異能か。
頭から地面に着地する、否、叩きつけられる。衝撃で骨がだいぶやられた。畜生、ふざけるな。免許返納しろクソ野郎。
「さ、せるか……!」
「ざぁぁあぁぁぁぁあんねん! お前は邪魔なんだよここで死ね!」
笑いを含んだ青年の声が、頭上高くから聞こえた。
見上げる。影が、俺の上に落ちる。
タイヤが、俺の。頭上に。
ごしゃっ。
なにかが潰れる音がして、俺は壊れた人形みたいに地面に転がった。脳の中身がはみ出た気がする。実際にはみ出たかどうかはこの際どうでもいい。ざくろさんは、無事なのか。
「聖司! 聖司ぃ!」
悲鳴のような声で俺を呼ぶ彼女を、筋骨隆々で総白髪の、ジャケットに革のズボンを履いたチャラそうな男が片手でブロック塀に縫いとめている。
思い出した。あいつ、駅で話しかけてきた男だ。
「離せ! 離せこのやろう!」
やめろ、このクソ野郎。ざくろさんに、汚ぇ手で、さわる、な。
「くく、可愛いな。このまま犯してやろうか」
「うっさい離せばか。おたんこなす」
「いいのか? 俺に手を出すとバイクがまた彼氏を轢いちゃうぞ?」
「……ッ! この、この、ばーか!」
「はは、いい匂いだなァ。化粧もしてるな? 綺麗だぜ、かわいこちゃん」
クソ野郎がざくろさんの胸をわしづかみにする。
「痛ッ……!」
抵抗をやめた彼女が泣きそうな声を上げる。
は? ふざけるな、殺す。殺してやる。絶対に地獄に送ってやる。
「おお、でけぇ乳してんな。いいね、俺のモンになれよ」
「断る。さっさと離せ。わたしは聖司を助けるんだ、ッ……あぁあぁぁ!」
「残念、お前が断るのを、俺は断る。ちょっと大人しくしてもらおうかな?」
ざくろさんが、黒い漆塗りの小さな箱に吸い込まれる。俺はそれを見ているしかない。
「さぁて、冥土の土産にお色直しと演者の紹介、させてくれや」
風が吹く。ざわり、と空気の色が変わる。周囲に気配もなく潜んでいた
褐色の肌の男は着流しの上に黒い羽織という、和服に着替えていた。
「俺は、ぬらりひょん。日本妖怪の総大将をやってる者だ」
ぬらりひょん、だと? 俺も知っている、日本国内の妖怪全てを束ねる大妖怪だ。
「今夜!
霊脈。確か、霊的なものが、集まる場所のことだ。待て。ざくろさんを、返せ。
一〇〇を超える妖怪たちが、楽しそうにやんややんやとはしゃいでいる。
「ガキはそこで死んでろ。終わらない春の宴、永遠の夜の始まりだ!」
くくく、と笑いながら妖怪を率いてぬらりひょんは黒い穴に入って消える。
ああ、だめだ。彼女を、繋ぎ止めないと。助けないと。
ざくろさん。
手が、動かない。伸ばせない。
ぐらり、視界が揺れて、俺の意識は、暗転した。
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