第九章 休息、暗転

第32話 休息、暗転 1

二〇二三年四月三〇日の午前一一時。水木駅ビルの、若い女性向けの、グラマラスサイズ専門下着店。レジ横のベンチに俺は座っている。ざくろさんの服と下着を買いに来たのだ。


 女性向け下着店に健全な男子高校生である俺がいて恥ずかしくないのかと問われれば、恥ずかしくない。俺はそのへんの凡俗とは違い、下着程度でどうこうなるほど神経が弱くない。というかぶっちゃけ、ざくろさんの刺激が強すぎてその段階はとっくに通り過ぎた。


 だって毎晩スイカほどもあるもっちもちのむにゅむにゅを押しつけられて寝ているのだ。もはや悟りの境地である。


 試着室の中から、三人の女性の歓声と悲鳴が聞こえる。悲鳴はざくろさん、残り二人の歓声は下着店の店員さんのものだ。


「お、お客様ノーブラはいけません! このサイズでノーブラはいけません! きっちりブラジャーで補正しないと! ブラジャーは、武装です! じんたいを守らなくては! うわっ、アンダーとトップの差がえっぐいですよ先輩! お客様グラビアアイドルですか!?」


「こんなにスタイルのいいお客様、一〇年勤務して初めてですよ! サイズ、探しますね! 全力でフィッティングさせていただきます!」


「あ、あわわわわわ! あわわわわわ! ノーブラ、だめなんですかぁぁ!?」


『ダメ絶対!』


「う、うわああああああん聖司いいいいいいいいい!」


 阿鼻叫喚である。ブラジャーを今までつけたことのないざくろさんの凶悪なスタイルが、下着店の店員さんのテンションを爆上げしている。あ、一人出てきた。奥の方へ引っ込み、小玉スイカどころかノーマルサイズのスイカが入りそうなブラジャーを山のように持って試着室に戻る。


「先輩! サイズの合うブラジャー、あるだけ持ってきました!」


「でかした! ……Lカップアンダー六五!? お客様、失礼ですが年はおいくつで!?」


「じゅ、じゅうろくさいです……ふえぇ……それ、つけなきゃだめですか!?」


「せ、成長期の暴力! まだ育つってことですか!? お客様、ブラジャーつけなきゃだめです! この素晴らしいおバストを健康に育てなくては! 燃えてきましたね、先輩!」


「ええ、やってやりましょう! フィッティング歴一〇年! 水木駅の神の手ゴツドハンドの名は伊達じゃありませんよ、お客様!」


「うぁああああぁ!? そんなところからお肉を持ってくるんですかあああああ!?」


「お客様、余分なお肉全然ないですね! っかー! 一〇代かー! 若さぁぁー!」


「あなたも私からしてみたら充分若いわよ! うわ、すっごい。ごっつい谷間できましたよお客様! このお胸でブラジャーをしないなんて、もったいなさすぎます! 次はこれ着けましょう!」


「いやぁあぁぁあぁぁー……みゃぁあぁぁあぁぁー……」


 ざくろさんの悲鳴が小さくなっていく。反対に店員さんは楽しそうにヒートアップしていく。


 がんばれ、ざくろさん。俺はベンチから静かに無事を祈った。Lって。Lって。俺は指折り数える。A、B、C、D、E、F……でかすぎんだろ。


「ちょっと彼氏さん! デザイン選んでいただけますか!?」


 店員さんに呼びかけられて、俺はぎょっとする。


「え、俺ですか!?」


『他に誰がいるんですか!』


「は、はいいぃ!」


 サイズがあるようで、大きいサイズを扱っている下着店に来てよかった。


 彼氏。俺が、ざくろさんの、彼氏。


「悟りの境地、……悟りの、境地……」


 顔を耳まで赤くしてつぶやきながら、俺はざくろさんに似合う下着を選ぶことになった。




 二〇代半ばほどに見える、秘書風の女性が支払いをしている。なんと、人間に変化したあんこさんである。なんでもできるんだな、あんこさん。


「では、このカゴの中身、全てお願いいたします。カード、一括で」


「は、はい!」


 あんこさんは黒いスーツを着てサングラスをかけ、長い黒髪をぴっちりとまとめている。店員さんに差し出したクレジットカードは……おいおい、ブラックカードなんて初めて見たぞ。俺が最初に心臓をなくした時、朝ごはんの材料を買ってきたのも彼女だと聞いたが、なるほど只者ではなさそうな雰囲気が漂っている。ぶっちゃけるとエージェントっぽい。さすがは人工愛玩猫ホニヤンクルス


 ざくろさんにフィッティングをした女性下着店の店員さんの片方が山のような下着と、ついでに選んだかわいいパジャマをレジ打ちし、もう片方が手早く厚手のビニール袋に次々と商品を入れていく。職人技だ。


「聖司、これとこれお願いしますわ」


 秘書風の女性が、俺にけっこうな重さの袋を押しつけてくる。


「あんこさん、俺が提案したこととはいえ、最初から買いすぎじゃあないか?」


「なにを言っておりますの!」


 あんこさんは、くわっと口を開けて顔をしかめた。リアクションは猫さんだ。


「元々、あなたが提案した案件なのは確かです。しかしわたくしも、御嬢様の洒落っ気のなさには心を痛めていましたの。店員さんによれば、女性用下着は作りがせんさいで基本は手洗いで陰干し、乾燥機に入れてはいけません。梅雨なんかで洗濯物が干せない時期のことを考えれば、下着とパジャマはいくらあっても困りませんわ。……それと、聖司」


 あんこさんは、サングラスの奥に隠した金色の瞳を光らせて、こっそり俺に耳打ちした。


「猫用のおやつとおもちゃは、このビルのどこに売っていますの?」


 よかった。いつものあんこさんだ。


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