幕間 宴の支度

第31話 宴の支度 

 二〇二三年四月三〇日、よく晴れた昼下がりのことである。東京都水木駅ビルの駐車場に、サイドカーをつけたハーレーダビッドソンが停まった。降りてきたのは、身長一八〇センチメートルほどの筋骨隆々の褐色の肌をした若者だ。


 外出着はこれと決めているのか、ジャケットと革のパンツを身につけている。髪の毛はブリーチしているのか、真っ白だ。首元にちらりとトライバルタトゥーが見えている。


 青年は笑顔を浮かべ、駅前の待ち合わせ場所である時計台で待っていた人物に話しかけた。


「よ、黄昏先生。待った?」


「今来たところです、大丈夫ですよ」


 待ち合わせの相手は、眼鏡の奥の瞳を細めてにこやかに答えた。


 身長は一九〇センチメートルほど。ピンク色のシャツに紺のネクタイとスラックス、上に羽織っているのは黒いジャケット、履いているのは黒い革靴。長い髪を一本の三つ編みにして垂らしている、凍りそうな美貌の男性。


 黒羽聖司と鬼切ざくろのいる私立京極高校二年一組の担任教師、榊黄昏がそこにいた。


「んじゃ、ドライブ行くか。今日のためにしやへんさせたんだ。サイドカーも乗り心地は抜群だぜ。ほい、ヘルメット」


 黄昏は『火車』という妖怪の名前にも動じず当たり前のようにヘルメットを受け取り、サイドカーに乗り込む。


「よろしくお願いします。今日はどこに連れていってくれるんですか?」


「首都高ドライブしてレインボーブリッジ渡って、お台場でも行くかァ。帰りに焼肉なんかどうだ? 良い店予約してあんだよ」


「楽しみです」


「くくく。アンタは去年、やっと殺生石ふういんから出られたんだ。現世楽しまなきゃ損だぜ、損」


 二人はハーレーに乗り込み、エンジン音を少しも立てずにドライブに出かけた。




  ★




 青年と黄昏の二人を乗せたハーレーは、火車という名の『燃え盛る火の車』、もしくは『屍体を奪う化け猫』の古い妖怪である。いわばハーレーダビッドソンならぬ、ハーレーニャビットソンだ。風を切って首都高速道路や都内の道路を走り抜け、レインボーブリッジを渡る。


 お台場海浜公園で駐車場に停まると、若者が「お疲れ。もう少し頑張ってな」と火車に鶏を丸ごと一羽食べさせた。


 ハーレー火車は満足し、温かな日差しもあって眠ってしまう。


「なむなむなむ……にゃむにゃむにゃむ……ぐがっ……ごあぁ……ふごっ……グルグル……」


「めちゃくちゃ鳴き声立ててますけど、大丈夫なんですか? 火車このこ。可愛いですけど」


「くくく。ハーレーが鳴き声立てるなんざ、誰も思わねェよ。よし、せっかくだ。一通り回ろうぜ。観覧車は去年なくなっちまったけど、楽しもうや。お台場」


「いいですね。男二人でお台場、なかなか青春してて好きですよ」


「さすが先生、話が解る。男なら生涯青春だよな」


 大観覧車が撤去されたとはいえ、ゴールデンウィークのお台場は人が多い。自由の女神がいる空中回廊を歩いて、展望デッキから海を眺める。おだいばビーチではマリンスポーツに興じる人々や、波打ち際で遊ぶ親子連れやカップルが群れていた。


「海って、面白いですよね。あれだけ引きずり込む力が強いのに、見ていると安らぎすら感じてしまう」


「そりゃ人魚も海坊主もいるからな。海そのものが俺たちと同族なんじゃァねェか?」


「それはまた、あり得そうで笑えないですね。……ずっと山奥で動けなかったから、海のにおいは新鮮です」


 海風に三つ編みをなびかせて、日差しを浴びる黄昏は楽しそうに目を細めた。


 海上バスに乗り、束の間の船旅を楽しむ。お台場に帰ってきた頃には夕日が浜辺を照らしていた。飲食店やシャワー、マリンスポーツ用品のレンタル店などが入っている施設、マリンハウス。その売店で、喉が渇いた二人の青年はソフトクリームを買うことにした。


「バニラかチョコレートか……究極の選択ですね……」


「先生、ミックスにしたらどうだ?」


「その手がありましたか」


 マリンハウスの三階は展望デッキになっている。夕日に染まるレインボーブリッジを見ながら、二人はミックスのソフトクリームを食べた。


「次は夢の国あたりに行かねェ?」


「ぜひ。学校の遠足で行ったんですが、生徒の引率で楽しめなかったんですよ」


「くく、教師ってェのも大変だな。なんでまたそんな面倒な仕事してんだ? 金にゃァ困らねェだろ」


「ああ、それは」


 黄昏が、ぞっとするほど妖艶に笑った。


「高校生くらいの年頃の人間の精気は、私にとって最高のご馳走だからですよ」


 褐色の肌の青年は背筋が寒くなるのを感じたが、「おっかねェ」と茶化すだけにしておいた。




  ★




 褐色の青年が予約した高級焼肉店は、個室になっていた。店員は注文をしないと来ないが、注文のたびに網を変えて火加減を見てくれる。密談にはもってこいの作りだ。


「まあ話より先に肉だ、肉」


「賛成です」


 網の下で、炭が赤く燃えている。一通り上等な肉とジンジャーエールを頼んだ二人は、無言で肉を焼いていった。


「先生、カルビ焼けてるぜ。ハラミも。タンもあとでもっかい頼むか、厚切りのやつ」


「ありがとうございます。……タレ肉美味しいですね。白いご飯が欲しいです」


「おっ、先に言われちまったな。ライスのサイズなんにする?」


「特大で。あと、海鮮系も頼みましょうか。せっかく海に行ってきましたし」


「いいね、キムチとナムル盛り合わせもいっとくか」


「内臓系もいいですか?」


「いっとけいっとけ、俺のおごりだ。好きなだけ食ってくれ」


 高級和牛を、指定農家と直接取引している焼肉屋である。カルビやロース、タンにハラミなどの定番の部位だけでなく、レバーやホルモンなどの内臓、普通の店では出ないような希少部位も充実している。二人の青年は、あらかたのメニューを食べ尽くした。


 ちろちろと、炭火の勢いが弱くなり、空腹も満たされた頃に黄昏は切り出した。


「それで、どうなさるおつもりなんですか?」


「どうするって、なにをだ?」


「『空想怪異わたしたちが水木区以外でも力を振るえるようにする』……そのための守護者の排除。だけではないでしょう、あなたならば。どんな大惨事を起こす気でいらっしゃるんですか?」


 飲みかけのジンジャーエールの氷が溶けてからん、と鳴った。褐色の青年はにやりと笑う。


「俺たち日本妖怪のやり方は、平安の頃から変わらねェさ」


「百鬼夜行を? 全日本の妖怪を、招集なさるおつもりで?」


 目を見開く黄昏に、ジンジャーエールのグラスを飲み干して褐色の青年は続ける。


「つもり、じゃねぇ。もうとっくに集まってるよ、俺の泊まってるホテルに全員。人間が作ったにしたらいいホテルだが、あれだけしようが溜まったら、あと一月もたねぇだろう。まあ、今日全員やっちまうから関係ねェが」


「本気なんですね」


「ああ。俺たちは水木区ここでしか力を使えない、しかも使えば厄介な守護者、それも人間のガキに殺される……馬鹿馬鹿しい話じゃねぁか。どいつもこいつも、日本妖怪おれたちを敬うことも、畏れることもしなくなった。俺にはそれが、我慢ならねェ。俺たちは、妖怪だ。誇り高い日本妖怪だ。封印されてたとはいえ、あんたなら解るだろう」


「そうですね。私たちは人間の畏れから生まれ、人間に『妖怪』と名付けられました」


「だっつぅのに、今になって俺たちを『空想怪異』なんて呼び方で呼びやがるし、『機関』とやらのせいでこのちっぽけな水木区とくいてんですらろくに力を振るえねェ。俺ァ、とことん気にくわねェんだよ。『機関』の守護者も、なんも知らずに平和ボケしてやがる水木区の人間どもも、全員だ。考えただけでむしが走る」


おうさつ……皆殺しにすると?」


「そりゃァするさ、しない理由がねェ。平安の頃の、人間どもの畏れと敬いを取り戻さねェとなァ。まずは日本だ。人間どもは、この牛みたいに管理してやればいい」

 青年はちょうど焼けた肉を口に入れて、褐色の青年はくくくと笑う。


「俺の見立てが確かなら、注意すべきは嬢ちゃんじゃねェ。あんなむすめ、どうにでもなる。厄介なのは小僧だ。女は生かすが、小僧は派手に、念入りにやる。アレ、あるだろ」


 黄昏は無言で封筒を渡す。


 中身は、彼が独自に調査した、水木区の守護者であり担任している生徒、鬼切ざくろと黒羽聖司の詳細なデータと、もう一つ。銀色の布でできた袋。


「ん? なんだ、こりゃ?」


「おまけですよ。保険のための術です。袋も術の一部なので、開けないでくださいね。もしもの時には自動で発動します。陰陽道は安倍晴明むすこに教えましたし。子孫に封印されましたけど」


「ありがてェ。大事にさせてもらうぜ。ところで先生、〆は冷麺とビビンバどっち食べたい?」


 褐色の青年は大事に銀の袋を懐にしまう。


 議論の末、二人は冷麺とビビンバを両方頼み、デザートまで全種類ぺろりと食べた。




  ★



 

 駅の近くまで黄昏を送ると、褐色に白髪の青年は火車のサイドカーを消して去っていった。


「さて、どうなるか……どう転んでも面白ければ、私はそれでいいんですが」


 黄昏が、愉快そうに笑う。普段の穏やかな笑みではなく、狂気の宿った満面の笑み。


 二〇二二年三月、栃木県那須町にある、玉藻前を封じた殺生石が割れた。


 封印を解かれた玉藻前は、空想怪異じぶんが力を振るえないことに気づく。


 わずかな力で可能だった探知の末、特異点である東京都水木区を発見。

 若い人間の精気を吸うため、幻術を使い私立京極高校に教師として赴任した。


 あるときは妲己。あるときは安倍晴明の母、あるときは玉藻前。

 現在は、私立京極高校二年一組担任、国語科担当教師。

 白面外道金毛九尾狐、妖狐の王たる榊黄昏は、手元で狐の印を結ぶ。


「こん」


 一言、呟いた。ざぁ、とつむじ風が吹く。逆巻いた風が、青年を覆い隠す。

 まばたき一つした後には、榊黄昏は消えていた。




 二〇二三年四月三〇日。世界に最大の危機が迫っている。

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