第29話 少年は自覚し、少女はまだ知らない 3

 俺は全裸で風呂場の扉を開け、シャワーで身体を流す。


 今日はゴールデンウィーク初日、四月二九日の土曜日だ。『くねくね』以来空想怪異も出ていないが、毎日の修行を欠かすわけにはいかない。あんこさんの便利空間で汗を流したあとの風呂は、なにものにも代えがたい。浴槽に張られた湯の温度は四〇度。入浴剤でミルク色に染まった湯船に、俺は身体を沈める。


「あー……生き返る……」


 風呂は命の洗濯というが、その通りだと思う。俺でも脚を伸ばせるほど広い風呂のある家を建ててくれたことに関してだけは、親に感謝してもいい。紳士として一番湯はざくろさんに譲っている。髪が長いし、彼女もなかなかの長風呂だ。追い焚き機能がついていてよかったと思う。


 ざくろさんが、入ったお湯。


「…………」


『おっす相棒、今日もエロエロだな。盛り上がってるか? イエイ』


「違う! 盛り上がってない! タンバリンを鳴らすな!」


『葬儀屋』が風呂の傍らでタンバリンを鳴らして踊り出す。


 俺はすかさずツッコミを入れた。


『ちえー。タンバリンのなにがそんなに悪いんだよ。マラカスか? マラカスがいいのか?』


「楽器チョイスの問題じゃあねえよ」


『はいはい。それじゃ、本題に入ろうぜ。相棒』


「ああ。ざくろさんについて、だ。あのは、背負いすぎなんだ。背負わされすぎ、とも言うけれど」


 風呂の時間に利点メリツトがもう一つある。別人格である『葬儀屋』と、二人きりで話せることだ。黒いシルクハットに髑髏面、いつもの黒い燕尾服タキシードに黒いハイヒール。タンバリンをしまって黒い傘を広げ、浴槽の傍に立つこの男は、もう一人の俺であり、異能の核だ。


 つまり、思考の整理を対話形式で行うことができる。ぶっ壊れているが、破綻した精神だって使いようだ。


「以前、俺は彼女を『俺と同じだ』と考えたことがある。……けれど、違う。むしろ逆だ」


『ああ。鬼切ざくろは、今もひとりきりだ。自分を粗末にするのになんの抵抗もない』


 俺はぎり、と奥歯を噛み締める。悔しいが、その通りだ。


「ざくろさんは、俺に助けられて、俺のことまで背負ってしまった。ただ、この世に繋ぎ止めておきたかっただけだってのに」


『皮肉だよなぁ。お前は、あの娘の荷物を分けてほしかったのに。まさか自分ごと背負われちまうなんてな』


 そうだ。ざくろさんにとっては、俺は一緒に戦うパートナーであると同時に、守るべき『みんな』の一人になってしまったのだ。だから、くねくねと戦ったとき、一緒に寝るとき、『俺を殺すこと』を第一に心配した。俺に抱きついて泣きながら、俺を巻き込んだことを心底悔やんでいる。


 俺は自分から心臓を差し出して彼女を助けたし、自分から巻き込まれたのに。


「選択肢が、あの娘には最初から存在しないんだ。『みんな』……自分になにもしてくれない不特定多数の赤の他人を、死んでも守るべき愛しい存在として刷り込まれている。おそらく犯人は、ざくろさんの『パパ』とやらだ。生活費やら今回の援助なんかは助かるが、俺がなにもしなければ、あの娘は一生、それこそ死ぬまで赤の他人に滅私奉公し続けちまう」


 俺は、腹を立てていた。親代わりの『旦那様』とやら、絶対に一発ブチ抜いてやる。自分の意思でやるならともかく、そんな地獄を与える親なんか親じゃない。


『相棒。お前も、あんまり自分と鬼切ざくろを重ねすぎるなよ。あくまで他人同士だぜ?』


 そうだ、俺まで引っ張り込まれたら元も子もない。俺たちが必要とされなかった人間だとしても、あの娘が初めて自分を必要としてくれたとしてもだ。共依存は、無間地獄でしかない。


「俺は、ざくろさんを大事にしたい。自分を第一に考えてほしいし、あくまで自分のためだ」


『恋か?』


「そう、だな。恋だ。待て、タンバリンを取り出すな。盛り上がってないから。とにかく、やるだけやってみるさ」


『ああ。精々頑張って、あの娘を繋ぎ止めておこう。健闘を祈るぜ、相棒』


『葬儀屋』が姿を消す。一人になった俺は浴槽を出て、頭と身体を洗う。もう一度湯船で体を温め、洗顔をして、風呂から上がってパジャマに着替えようと浴室のドアを開けて。


「あ、やっほー。聖司」


「きゃあぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁあぁっ!?」


 俺はまっぱだか、生まれたままの姿で、Tシャツを着たざくろさんに出くわした。


「なななな、なんでいるの!?」


「あんまり長湯だから、溺れてるんじゃあないかと思って様子見にきたの」


「そっか! なら仕方ないね! 心配かけてごめんね!」


 必死で誤魔化しながら、慌ててバスタオルを腰に巻いて下半身を隠す。全裸は恥ずかしい。


「聖司、裸、恥ずかしいの?」


「そりゃ恥ずかしいよ」


 思考が伝わってしまったらしい。ざくろさんの前ならなおさらだ。


「でもわたし、聖司の裸見たことあるよ?」


「え」


「最初、心臓分けるときに全部脱がせたから。他にも身体に異常はないか、もうすみずみまで」


 言っていることを数秒間かけて呑みこんだ俺は、両手で顔を覆う。


「お、お嫁にいけない……」


「だ、大丈夫だよ。聖司、スタイルいいから白無垢もウエディングドレスも似合うよ」


「ありがとう……」


 この爆裂天然狂戦士バーサーカー御嬢様にはなにを言っても勝てない。冗談が全く通じないのだ。相手の言っていることを、全て真に受けてしまう。というか俺は白無垢もウエディングドレスも着ないぞ。似合わないだろ。


「ざくろさん」


 俺は気を取り直して、ざくろさんに向きなおる。


「明日、俺と一緒にってうあぁぁぁあぁぁぁあ!?」


 彼女がいきなり抱きついて胸元に顔をすり寄せてきて、俺はまたもや悲鳴を上げた。


「えへへー。聖司、生きててよかった。ほかほかでぬくいし。……聖司、生きてる。安心する」


「ふ、風呂上がりだからね!」


 破壊力が高すぎる。肌に直に触れるざくろさんのもちもちのほっぺ!  柔らかいものがふにょって押しつけられてる! 下半身に近いそこはいけません! いけませんお客様! ああああいい匂いするううううううううう! 助けてええええ!


「どうして恥ずかしいの? いつも寝るときはこうじゃん。裸だから?」


「うんまあ、主にそうだね。……ひゃうんっ!」


 つつ、と心臓の上にある傷痕を指でなぞられる。こそばゆい。ご無体な! ご無体な!


「傷痕、消えないね」


「……俺は、消えなくてもいいけれど」


「わたしも。聖司と繋がってる証拠だから」


 顔がかっと熱くなる。照れているのを誤魔化したくて、ざくろさんの頭を撫でる。頬を緩めてますますきつく抱きついてくるざくろさん。可愛い。柔らかい。


 まずい、この状態だと主に下半身が色々とまずい。おい『葬儀屋』、タンバリンを構えるな。俺はまだ平気だ。


『すっかり気を許してるな。妬けちゃうぜ相棒』


 そうだな。めちゃくちゃ照れるけど、頭が沸騰しそうだけど、俺にしかこの顔は見られない。


 鬼切ざくろを、あまりに自分のことをないがしろにして赤の他人のために平気で命すら捨ててるほど頑張りすぎている女の子を、この世のなにより大事にしたい。


 頑張りすぎない、自分で選ぶ、自分を大事にする。この三つに慣れさせて、余裕を持たせる。


 以前彼女が入浴している時にあんこさんに話した計画を実行するなら、今だ。俺は決意した。


「ざくろさん」


 俺は胸元に頭をぐりぐりと押しつける彼女の肩を掴み、目線を合わせて深呼吸。


「明日、俺とデートに行ってくれないか?」


「へ?」 


 きょとん、とざくろさんがまばたきする。言葉の意味を咀嚼しているらしい。まんまるに目を見開いて、ぴたりと硬直する。


「でー……と? でーと? でー、と……デート!? デートって、デート!? なんで!?」


 デートという言葉の意味、誘われた事実を理解した彼女は、ぼん! と一瞬で耳まで真っ赤っかになった。


「なんでって、俺がざくろさんと出かけたいからだけど……」


 うわ、ざくろさんめちゃくちゃ動揺してる。心臓の鼓動がばっくんばっくん言ってる。共有した心臓から、照れているのが伝わってくる。俺もつられて更に照れてしまう。


「うわー、デート、デートかあ……どうしよう聖司、わたし服持ってないよ? おでかけできないよ?」


 ぽぽぽ、と煙が出るほど赤くなって両頬を押さえ、涙目になるざくろさん。可愛い。可愛すぎる。至近距離なのもあってか、お互いの思考も鼓動もダダ漏れだ。可愛い。


「か、かわいいって言うなあ!」

 拳を作って鳩尾を狙ってくる。辛うじてよけた。可愛い。可愛いぞ。行動以外は。なんだこの天使。


「言ってない言ってない、本当のことを思っただけだよ!」


「うあー……聖司がずるいぃ……デートって、なにするの? 河川敷で殴り合うの?」


「落ち着いてざくろさん、一般的には河川敷で殴り合うのはデートではないんだ。さっき、服持ってないって言ったろ? 実は前からあんこさんと話して、服を買ったほうがいいって話になったんだ。化粧品とか日焼け止めとかも。あんこさんを通して、親御さんとは話をつけてある。せっかくのゴールデンウィークだし、たまには息抜きも必要だよ。美味しいもの食べたり、ぶらぶら歩いたりするのもいい。休みなんだ、のんびりしよう」


「それが、デート……?」


「うん。心配しないで、あんこさんも一緒だ」


 涙目の彼女を落ち着かせるために頭を撫でながら、明日のデートの概要について説明する。


 やっと心臓が落ち着いてきた。ざくろさんも落ち着いたらしい。顔は赤いままだが。


 制服と俺のTシャツだけで過ごさせるわけにはいかないと前々から思っていた。『機関』がざくろさんに最低限の生活費以外の報酬を払っていないことも、彼女が報酬を受け取らないであろうことも問題だった。だから俺はあんこさんに、まずは『機関』に彼女の身なりを整えるだけの費用を出してもらう提案をしたのだった。


 彼女を、繋ぎ止めておくために。


「だから、ざくろさん。俺と出かけてくれないか?」


「う、うん……息抜き、ってどうしたらいいかわからないけど、頑張る」


「あんまり気負いすぎないでね。俺もデートって、初めてだから」


「わかった。えっと……その、よろしく、おねがいします」


 ざくろさんがぺこんと頭を下げると同時、腰に巻いたバスタオルが落ちて俺は全裸になる。


 俺の本日三回目の悲鳴が、脱衣所に響きわたった。

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