第24話 春と修羅、ふたり 5
その夜、草木も眠る丑三つ時。空想怪異の反応が現れたという水木区郊外。大きな川の近くにある開発途中の空き地に、俺とざくろさんとあんこさんは転移する。
ざっと見たところ、誰もなにもいない。あんこさんの探知にもなにも引っかからないという。
見上げれば、いつもの通り赤い空に黒い月が浮かんでいる。
俺は前々からの疑問について訊ねることにした。
「なあざくろさん、あの空と月の色って、どういうことなんだ?」
「説明してなかったっけ。あれは空想怪異が出現した合図みたいなものなんだ。この場所では、空想怪異が世界を侵食してて、その余波で空が赤く、月が黒くなるの。つまり、この場所には確実に
俺の問いに答えながら、彼女は異能である日本刀『
なるほど、この空自体が空想怪異の存在を証明しているってわけか。ならばこれから戦うことは確定している、ということだ。俺も異能である
二人で正面を見た、そのときだった。
俺たちの目の前を、黒い着物を着た長い髪の誰かが横切った。一瞬だったが、間違いなく人間だ。
俺とざくろさんは顔を見合わせる。誰もいないはずの場所に、人間?
「ざくろさん、今の人、見た?」
「着物を着た、人間だったよね。近所の人か、
「おかしいですわね……わたくしにはそこまで詳しく見えませんでしたが、間違いなく人でしたわね。もう一度、探知をかけてみます。巻き込まれた人間だった場合、最優先で救護を。お二人とも、しばらく動かずにお願いいたしますわ」
『了解』
声を合わせて返事をした俺たちは、あんこさんをじっと見て探知魔法の結果を待つ。
「……!? なんなんですの!? 五〇、一〇〇、二〇〇……まだ増える!? 一体こんなに、いつから!? さっきまではいなかったのに――!」
「なに、これ」
目線を正面に戻したざくろさんが、呆然と呟く。俺も前を見て、口をあんぐりと開けた。
白い、布のようななにか。人型に見えなくもない人間大のなにか。
おびただしい数のそいつらは空き地一面を覆い尽くして、人間には不可能な動きでくねくねと踊っている。全てがなにごとかをノイズのかかった声でぶつぶつと呟いていた。
『医療従事者は全員政府の人間に操られていますこれは動画で観たから本当ですワクチンなどを打つと全身が電波接続され……』
『世界を支配しているのは宇宙人ですその証拠は私のパソコンを通じて脳に送られてきました実は地球を含む銀河は……』
『日本は神の知恵を持つ唯一の国ですその証として現在生まれた子どもたちは旧人類とは違ってチップを埋め込まれて旧人類を打倒すべく育ち……』
耳が、痛い。頭が針でかき混ぜられるような不快感。
「あぁぁ、なにこれ、入ってくる……痛い、痛い、いたいよぉ……うあぁ、あぁぁ」
ざくろさんが耳を塞いでうずくまる。明らかな精神攻撃だ。
こいつらが言っていることを理解してはいけない。俺は本能で察知して耳を塞ぐ。
正体も、知識にある。有名な都市伝説、そしてこいつらの言動から推測する。
「ざくろさん、あんこさん! こいつら、『くねくね』だ! 絶対に、こいつらの姿と言ってることを、理解したらダメだ! おそらく、いや間違いなくこいつらの核は――『陰謀論』だ!」
精神攻撃、搦め手、陰謀論。考えられる限り最悪の組み合わせが来やがった! 畜生!
★
『くねくね』の概要はこうだ。
とある田舎に帰省した兄弟が、窓から田んぼの並ぶ穏やかな風景を見ていた。すると、真っ白な服を着た人のようなものがいる。
そいつは人間とは思えない動き方でくねくねと踊りはじめた。
弟にはそれがなんなのかわからなかったが、兄は理解したらしい。弟がなんなのか訊ねると、兄は一言だけ答えた。
「わからないほうがいい」
兄は狂ったように笑いながらくねくねと踊りはじめてしまう。
★
『くねくね』。俺が生まれる少し前から、インターネットで流行っていたという怪談だ。
日本古来の妖怪だとか諸説あって、オカルト書籍などにも掲載される有名な都市伝説である。
特徴は以下の四つ。
『白いが、まれに黒い個体もいる』
『人間とはかけ離れた動きで身体をくねらせる』
『水田や川原などの水辺で目撃される』
最後の一つが問題だ。
『くねくねの詳細が見えて、それがナニモノであるか理解したが最後、途端に精神に異常をきたす』
陰謀論、つまりまともに聴いて理解すれば精神に異常をきたす、嘘まみれの言説。それを核とした、見て理解するだけで狂ってしまう空想怪異。素直すぎるざくろさんにとって、相性が最悪だ。彼女の戦闘能力が仇になりかねない!
「落ち着いて。あんこ、聖司」
打って変わって落ち着いたように見えるざくろさんが、静かに『
やばい。
この
(殺す)
(殺す殺さないとでないとわたしは殺す殺す殺す殺す敵は殺す殺す殺す)
紅い眼光に宿ったのは、狂気と殺気。たらりと、薄紅色の唇から透明な唾液が垂れた。
『空想怪異を殺す』という目的にのみベクトルが向いているのは、ざくろさんの精神性ゆえだ。
『陰謀論』は、当人に都合のいい、優しい嘘だ。
まずい、完全に操られかけている。とにかく彼女の意識をどうにかしなくては。
「あんこさん! 精神異常に効く
俺は耳を塞いだまま、足元にいる黒猫さんに呼びかける。
「承知ですわ! 幻惑耐性、精神攻撃耐性を、ありったけかけます! 御武運を!」
あんこさんの
よし、これでひとまずは大丈夫だ。
そう思った俺が、甘かった。
「わたしは刀、ただの暴力、てきはころす、ころすころすころす」
たん、と。耳から手を離した俺の横から、空中を蹴ってざくろさんが駆ける。
「あ――」
遅かった。もう、彼女は操られていたのだ。反射的に伸ばした手が届かず、むなしく空を切る。両手で自分の耳を塞ぐのではなく、彼女を力ずくで抑えておくべきだった。
空き地を埋め尽くす、白いなにかの群れの真ん中へ、ざくろさんが突っ込む。
「フゥゥ……うふふ、うふふふふふふふふふふふふ」
聞き慣れた声の、聞き慣れない笑い声が、聞こえる。間違えるはずもない、ざくろさんの笑い声だ。
「うふふ、うふふふふふふふふふふふふ……あははは、アハハハハハハハハハハハハハハハ!」
血まみれのざくろさんが、紅い瞳を爛々と光らせて高らかに笑う。明らかに、狂気に冒された笑い声。
彼女はくねくねを見て、聞いて、理解してしまった。理解してしまったからには、狂ってしまう。それが『陰謀論』を核として存在する、都市伝説『くねくね』の本質だ。
都合のいい幻を見せて、人を操り狂わせる。
「遅かったみたいだ」
「そのようですわね……」
ざくろさんがめちゃくちゃに『
あんこさんから聞いた話によると、ざくろさんの視力や聴力は測定できないほどだそうだ。
俺も目は良いほうだ。裸眼で両目二.〇ある。だが、俺にとってモノを意識して見ないことや耳に入れないことは難しいことではない。『葬儀屋』に教えられて覚えた、痛覚を解析して遮断する技術の応用だ。『見たくないモノや聞きたくないモノを遮断する』という、単純だが重要なスキルである。
鬼切ざくろは俺とは違う。
あらゆる能力、特に戦闘能力が、彼女は誰より抜きん出ている。
今までの敵なら、それだけで勝てただろう。けれど今回は別だ。
弁当を食べていたときや、一緒に勉強をしていたとき。素振りをしていたときや、髪を乾かしていたときのことを思い出す。強くて、綺麗で、鋭くて、純粋で、全てをそのまま受け止める。つまり、とんでもなく不器用で搦め手に弱い。
『くねくね』という精神攻撃主体の空想怪異は、鬼切ざくろの天敵なのである。
「あはは、アハハハハハハハハハハハハハハ! あははアハハハハハハハハハハハハハハ!」
心臓が高鳴る。狂ってしまってなお、まっすぐな彼女の思考が伝わってくる。
(ころす)(みんなてき)(てきはころす)(みんなころす)(ころす)(ころす)(ころす)
「あんこさん、なにがあっても今のざくろさんに近寄るな」
魔法を使って彼女を正気に戻そうとしていたのだろう、こっそりとざくろさんに接近しようとしていたあんこさんに、鋭く警告する。
「聖司! それでは、御嬢様が!」
「もしあなたが斬られたらどうするんだ! ざくろさんを、泣かせたくないだろ!」
「……ッ。わかり、ましたわ、聖司」
あんこさんは俺たちの中で唯一、回復魔法が使える貴重なメンバーだ。なによりあんこさんを自分の手で傷つけてしまったら、回復したときのざくろさんがどうなるか。考えただけで恐ろしい。
「聖司。御嬢様を、よろしくお願いいたします」
「ああ、任された。俺が必ず、ざくろさんを元に戻す。この世に、繋ぎ止める」
「あははアハハハハハハハハハハハハハハハハハハコロスコロスコロスコロスコロスコロス!」
目を逸らすな、逃げるな、しっかり立て。
狂乱するざくろさんと、俺は正面から向かい合った。
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