第15話 日常と後悔と異能 4

 長く長く、俺は暗闇をどこまでも落下する。あまりにも落下時間が長いので、考える余裕ができてしまった。


 状況を整理しよう。


 俺は受け身しか教わっていない。そのうえで、『暴力を手に入れてもらう』『失敗したら死ぬ』とざくろさんに言われた。


「なるほど。つまりこれから無理矢理にでも『初月』を迎える……異能を身につけるために、俺は命懸けでなにかをするのか」


 要は、荒療治というやつだ。俺は納得する。たかだか一日かそこらで、本来なら人間が戦えるようになるはずがないのだ。


「しかし、こりゃ間違っても死ぬわけにはいかないな」


 なにしろ、俺とざくろさんは心臓を共有している。俺が死んでも死にはしないが弱体化はするという。

 彼女は、俺が『初月』を迎える可能性に自分まで賭けたのだ。


「なあ、『葬儀屋』。……あれ? いないのか? おーい」


 頼まれなくても出てくるイマジナリー悪友、いつもの髑髏面の友達に声をかけてみる。けれど、気配すらない。さっき無理矢理消したことでへそを曲げたのだろうか、と考えたそのときだった。


「ぉ、わあぁぁ――!?」


 視界が突然明るくなる。白でできた空間に、俺は放り出された。暗闇に慣れていたから、眩しくて目がちかちかする。


 やばい、落ちて死ぬのか、と一瞬考えた。が、柔らかい、布張りの床に受け止められる。


「あ、ぶなかった……」


 俺は着地した床から起き上がり、周囲を見渡す。明るい、白い壁に囲まれた巨大な空間だった。形は長方形に近い。縦に長く、横に狭い。天井を見上げると両開きの扉がついていて、ちようつがいが見える。なるほど。俺は理解する。


「ここは、棺桶の中か」


 納得してふと、俺は右手がなにかを握っていることに気づく。




 白いくい

 金属とも木材ともつかない素材の、真っ白で手になじむ杭だ。


 ぞわり、鳥肌が立つ。忘れもしない、俺がいじめ加害者のサッカー部員とやりあった一年の夏。初めて会った『葬儀屋』に言われてイメージした武器だ。

 異様なほどに、手になじむ。生まれたときから持っていたような気さえする。俺の手に、ずっと欲しかった暴力が、形を持って握られていた。


「はは、こりゃいい。俺はこれが欲しかったんだ、――ッ!?」


 不吉な予感がした。俺はバックステップで後ろに下がる。


 目の前を白くて尖ったなにかがかすめた。伸ばした前髪が、ぱらぱらと数本落ちる。


「惜しいな。あと少しで殺せたのに。お前を」


「浮かれても油断はしていないところがお前らしいな」


「まあどうでもいい。俺はお前を殺すだけだ」


「その通りだ。お前みたいな奴が、生きていていいわけがない。ここで死ぬべきだ」


 床から、俺と同じ背丈の白い影が無数に生えてくる。


 白い影? 違う。


「『白い葬儀屋』……!?」


「そうだとも。お前を殺して埋める『葬儀屋』だ」


 影の一人、いや『白い葬儀屋』の一人が答えた。


 白いシルクハット、白い燕尾服タキシードに白黒が反転した髑髏面、白いハイヒール。傘の代わりに、一人一本ずつ俺と同じ白い杭を持っている。


 そうかよ、理解したぜ。


「この棺桶は、俺が入るためのものってわけか……!」


 俺は素早くその場から離れる。さっきまで俺が立っていた場所に、一斉に杭が突き刺さった。受け身の特訓をしていたときと似ているな、と既視感デジヤビユを覚える。


 俺は巨大な棺桶の壁を背にした。


「考えたな」


「まあお前は頭がいいさ。それだけが取り柄だからな」


「だがな、甘い。お前が考えることを俺が想定できないと思うか?」


 前方からだけではなく、背をつけている壁から声がした。ぞるっ、と壁から白い杭を持った手が出てくる。


「その言葉、そっくりそのまま返すぜアホンダラが」


 やはり壁を背にする、などの作戦は通用しないらしい。出てきた『白い葬儀屋』の腕を、俺は引っ掴んだ。


「おぉぉ、りゃあぁぁぁ――!」


 そのまま無理矢理引きずり出して、心臓に杭を突き立てる。『白い葬儀屋』は砂のように崩れ、あとには一本の杭だけが残った。


『こっから先は自分との戦いだよ。失敗したら死ぬから、がんばってね』


 穴に落ちる前の、ざくろさんの言葉を思い出す。比喩ではなくそのままの意味かよ。


「自分との戦い、か。いいね。単純シンプルで、気に入った」


 俺は、自然と口角を吊り上げていた。ざくろさんの動きは三時間以上たっぷり見ている。彼女に比べれば、『白い葬儀屋こいつら』は動きに無駄が多すぎる。


 彼女の構えを真似る。左足を一歩下げ、相手が手を出せる面積を少なくする。腕は力を抜いて、自然体。


 棺桶と白い杭、そして『白い葬儀屋』。


 なるほど、確信が持てた。ここは、俺の心象風景。『白い葬儀屋』は、俺の負の感情の具現化だ。本物の『葬儀屋』は俺を『相棒』と呼ぶし、感情任せに俺を殺そうとはしない。


 つまり、こいつらを殺すのになんの遠慮も必要ないのだ。


「俺は、強くなりたい。暴力が欲しい」


 声に出して、はっきりと宣言する。


「だから、お前らを、『弱い俺』――『白い葬儀屋』を、皆殺しにする」


 俺は、手近にいた『白い葬儀屋』の顔面に杭を突き立てた。




  ★




『白い葬儀屋』が次々湧いてきて、何体襲ってきただろうか。一〇〇〇を超えたあたりで数えるのをやめた。体感で七二時間は経過している。制服はボロボロになっていて、杭でかすめた傷だらけ。息は上がっているが、不思議と疲れはなく、気分はフラットなままだ。


 傷がかすめた程度で済んでいるのは、いつもの『葬儀屋』がいない代わりに、俺が『白い葬儀屋』の動きを俯瞰して分析しているからだ。


 もう湧いてこなくなった『白い葬儀屋』の一人が俺に向かってくる。俺がこいつなら、面積の広い胴体を狙うだろう。


 予想通り腰だめに杭を構えて刺そうとしてきたそいつをかわす。ざくろさんに比べれば動きが遅すぎる。攻撃をかわすのも簡単だ。肋骨の隙間を杭で抉る。倒れた『白い葬儀屋』に突き刺した杭を、スニーカーを履いた足で思い切り踏み抜いた。


 そいつは崩れ、杭だけが残される。棺桶の中は、杭だらけになっていた。


 だいぶ戦い慣れてきた。『白い葬儀屋』も、効率的に殺せる。俺は『弱い俺』である『白い葬儀屋』を、次々と処理していく。屍体はひとつも遺らない。崩れた身体のあとに白い杭だけを遺して、そいつらは消える。


「杭が、俺の異能なのか? ……いや、違う」


『白い葬儀屋』なんかにも持てる程度の武器が、俺の異能であるはずがない。


「もっと、効率的な暴力が必要だ」


 最後に残った『白い葬儀屋』の心臓を貫いた杭を引き抜きながら、俺は呟く。こいつらは、しょせん俺の負の感情の具現化だ。感情には、俯瞰も分析もできない。効率など、最初から考えていない。俺を殺せればそれでいい、それだけの連中だ。


 効率的な暴力。たとえば、この杭を発射して相手を抉れる、射出機のようなもの。


「――あ」


 閃きが、俺の頭に降ってきた。


「この棺桶そのものが、俺の異能ってことか」


「気づくのが遅ぇよ、相棒」


 天井をぐるりと見渡していると、いつもの皮肉交じりの声が目の前からした。


「『葬儀屋』」


 本物の『葬儀屋』が、すぐ正面にいる。


 俺と同じ背丈。黒いシルクハット、顔には髑髏面、黒い燕尾服タキシードに黒いハイヒール、手には黒い傘。なにより、俺を『相棒』と呼ぶ。


「まあそんなわけで、俺がお前の異能だよ。相棒」


「……そうか。ってことは、『白い葬儀屋』が襲ってきた理由にも、納得がいく」


「言葉にするのかよ。自分で自分の傷を抉るのか?」


「構わない。理屈で考えて言語化しないとわからない性分だからな。俺は――」


 すう、と息を吸い込む。




「俺は! 天野を、助けてやりたかった!」




 俺は、自分で自分を殺したいほど後悔している理由を叫んだ。


「天野は、俺を初めて対等な友達として扱ってくれた! 俺はそれに甘えて、天野が虐められていることに気づけなかった! 連絡先も訊けなかった! 悩みがあるなら話してみろって、たった一言が言えなかった! 他人に壁を作って俯瞰して、別人格の『葬儀屋おまえ』に逃げて、自分の身を守ることだけを考えてた! そのせいで、俺のせいで――天野は、学校に来られなくなってしまった!」


 ぴしぴし、と音がする。棺桶と、『葬儀屋』の身体にひびが入る音だ。


「まあ、気づいただけよくやったんじゃねえか? 過ぎたことは戻らない。過去は過去として受け容れるしかない。人が人を救えるなんて、おごりの極みだ。天野のことは、天野自身に任せるしかねえよ。あとは、相棒。お前が――『やるか、やらないか』。それだけだ」


「……ああ、そうだな」


「そんなにくよくよすんなよ、気楽にいこうぜ」


『葬儀屋』が両手を広げた。髑髏面の下で笑っている俺と同じ顔の男が、言う。


「人間は、案外強いもんだぜ? 天野昴も、ざくろって女の子も、それに――相棒も、な」


『葬儀屋』の言葉を最後に、白い棺桶は完全に崩壊する。


 視界が、真っ白に塗り潰された。





  ★





 気づくと、俺はいつもの自宅のリビングにいた。ボロボロだった制服も怪我も、元通りだ。


「意外と早かったね。キミ、変なこじれ方してるから、一日かかると思ってたよ」


 西日の差し込むリビングで、ダイニングテーブルに座ったざくろさんが微笑む。


「失礼だなあ。俺ほど素直な奴はいないよ」


「まあ、生きてるってことは『初月』を迎えたってことだから、合格。ちょっとかがんで」


 ざくろさんが立ち上がり、近づいてくる。俺は言われるままにかがんだ。


「はい、ぎゅー。よしよし、頑張ったねえ。あれを突破できたキミは強いよ、えらいえらい」


 俺の頭をざくろさんの腕が包みこむ。よしよしと頭を撫でられる。

 妹を褒めて、撫でてやることはあった。兄の役目だと理解していた。

 けれど、俺を褒める人間なんて誰もいなかった。他人からこんな風に抱きしめられて褒められるなんて、俺にはありえないと思っていたのに。

 全身の力が抜けて、俺は床に座る。鼻の奥がつんと痛む。


「ざくろさん、しばらく……しばらく、こうしててくれないか」


 声が震える。返事の代わりに彼女はなにも訊かずに俺を抱いて、頭を撫でてくれている。

 夕方の日が俺たちを柔らかく照らすなか、俺は、ざくろさんの腕の中で泣く。



 俺の右手の中指には、いつの間にか銀色に十字の細工がされた指輪がはまっていた。

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