第四章 日常と後悔と異能

第12話 日常と後悔と異能 1

 二〇二三年四月四日、新学期二日目。ざくろさんと登校した俺は、なんというかもう、めちゃくちゃに目立った。

 当然といえば当然だ。


 かたや背が高くて成績がいいだけが取り柄の、目が死んでるぼっち陰キャモブの俺。

 かたや学校一の黒髪美少女で、赤い瞳が輝く、グループに属さない孤高のヒロイン。

 ウナギに梅干し。月とスッポン。猫に小判。なんでもいいが、ありえない組み合わせである。



 ざくろさんはそんなことを全く気にしない。どういう理屈か知らないが、彼女の思考がときどき伝わってくる。


これも当然かもしれない。周りからの評判なんてものを気にするような性格なら、女子グループに全く属さず孤高のヒロインでいることなどできるはずもない。

 案外、俺たちは似たもの同士なのかもな。周囲の黒い学ランとセーラー服の集団がどれだけざわつこうが、彼女にとってはどうでもいいことなのだ。


「一つ訊いていいかな、ざくろさん」


「どうしたの、聖司?」


 東京都水木区一の進学校、私立京極高校では、二年生の教室が四階にある。俺はざくろさんが足を滑らせたときに支えられるように、一段開けて階段を上る。決して俺がざくろさんの可愛いつむじをじっくり見たいというわけではない。断じてない。つむじ、超可愛い。めちゃくちゃ撫でたい。どくん、心臓が高鳴った。


「えっち」


「え?」


「なんでもない。それより、なにが訊きたいの? スリーサイズはわからないよ。ブラのカップ数もわからない、測ってないからね。下着の色も無理」


「俺、そんなにエッチな質問しそう!?」


「…………」


「沈黙が痛い!」


 心も痛い。俺、鼻の下伸びてたか?


「……あの、そういうことじゃあなくて。ざくろさんにとって、人間ってなんなのかなって」


 ゆうべの光景が、脳裏にありありと蘇る。


『みんなを守れるなら。わたしなんか死んだって、どうだっていいんだ!』


 その『みんな』。人間を、彼女がどう思っているのかが気になった。


「ああ、そういうこと。エッチなことを根掘り葉掘り訊かれるかと思ったよ」


「どうして!?」


「その底の見えない眼で一体どんないやらしいことを考えているのかと」


「底の見えない眼から涙が出そうだよ」


 ざくろさんといると調子が狂う。普段なら、誰ともこんな軽口を叩きあったりしないのに。


 こういうのは、天野といた頃以来か。俺はぼっちだが、喋るときは喋るほうだ。


『それにしたって、どう考えてもおかしいぞ相棒』


 階段の手すりに寄りかかりながら『葬儀屋』が言う。最近よく喋るな、お前。


『心臓を分けあった影響かどうか知らないが、話すようになったのは今朝からだぞ。心理的な距離が近すぎないか? 違和感がなさすぎるだろうが』


 確かにこいつの言う通りだ。俺は六通りほど今後のパターンを想定してみる。よし、目に見える悪影響はなさそうだ。


 この距離感が、心地良い。心臓が高鳴る。ざくろさんも、同じことを感じているのが伝わる。


『心地良い? 冗談だろ、他人との、こんなに近い距離が? それに、お前は見落としてるが。鬼切ざくろの感情がどうしてこんなに伝わってくる? 逆もだ。お前の思考が、言葉にしていないのに何回見抜かれたか、今朝からだけでも数え切れねえぞ』


 葬儀屋が黒い傘で俺の頭を小突く。言われてみれば、確かにそうだ。どうしてざくろさんの思考が伝わってくるのか、どうして俺の思考が伝わるのか。あまりにも自然で、当たり前になっていたから気づかなかった。


『観察を続ける必要がありそうだな。お前はいつも通りにしてろ』


 わかったよ、『葬儀屋』。


 階段が終わり、廊下に出て、ざくろさんと歩幅を合わせて歩く。


「うーん……人間、かあ」


「あ、さっきの質問、考えてくれてたんだ」


「そりゃ質問されれば考えるよ。……うまく言えないけど、わたしにとって人間は守るべき、大切なものかな。そう、教えられたからね」


「そういうもの、なのか」


 まあ、今朝から俺の疑問が多すぎて今更な問いなのかもしれない。

 教えられた、ねえ。


「納得してくれた? じゃあ教室入ろ。予鈴鳴っちゃう」


 ざくろさんが無表情のまま言う。俺たちはいつの間にか、二年一組の教室の前にいた。




  ★




 きーんこーんかーんこーん。四限目の終わりと昼休みの始まりを告げる、間の抜けたチャイムが鳴る。高校生なら誰もが待ち焦がれる、昼食の時間だ。購買に行く者、学食で食べる者、弁当を広げる者、それぞれである。 

 俺は購買までパンを買いにいこうと立ち上がって、くいと袖を引かれバランスを崩した。


 ざくろさんが不機嫌そうにこちらを見ている。なにやら不満らしい。


「やっぱり、パン派?」


「……どういうこと?」


「お弁当、キミの分も用意してあるんだ。今朝作ったやつ」


「え」


 俺は固まる。現実が一気にキャパシティを超えた。ざくろさんの? 手作り弁当?


「食べたくないなら食べなくていいけど……」


「めちゃくちゃ食べたいですお願いします食べさせてください後生です」


 秒速で頭を下げた。ざくろさんがくすりと苦笑いして、座っていた椅子を反転させる。


 鞄をごそごそと探り、弁当入りの包みを二つ取りだし、俺の机にのせた。


 とたんに、教室がざわつく。


「ざくろ姫が……!?」


「姫君が!? 弁当を!?」


「デッドアイズサタンと一緒に登校してくるだけでなく、手作り弁当……だと……!?」


「一体なにがあったんだ」


「理解が追いつかない」


「ブラックウイングルシファーめ、ざくろ姫になにをしたんだ!?」


「やばい面白っ。校内チャットで流すわ」


「写真撮ろうぜ写真!」


 俺はもうこれくらいでは動じない。動じないったら動じない。嘘ですごめんなさい、本当は脳内で俺が神輿に乗って扇子で顔を扇ぎながら大笑いしている。周囲にダンサー(俺)もいる。


 嬉しすぎて今日俺は死ぬのかもしれない、と思ったらゆうべとっくに死んで生き返ってた。


 弁当の蓋を開ける。朝食にもあっただし巻き卵となすの煮浸し、ウインナー、ミニトマトのベーコン巻き、ブロッコリーのおかか和え、白いご飯の上には梅干し。理想的な弁当だ。


「すごい、おいしそうだ」


「そう? 作った甲斐かいがあるよ。食べよう」


 顔がにやけそうなのを必死で抑える。ざくろさんの手作り弁当! ひゃっほう! 生きててよかった!


『よかったな相棒。女子からの手作り弁当なんて、一生分の運を使ったんじゃないか? めちゃくちゃ無断撮影されてるけどな』


 知ったこっちゃねえ、俺はこの幸福を噛み締めたい。そうだろう、『葬儀屋』。


『そりゃそうだな、相棒』


 俺たちは周囲の騒ぎと痛いほどの視線、スマートフォンによる写真の無断撮影を無視して弁当を食べる。こんなにちゃんとした弁当、親でも作ってくれたことがない。


 心臓がどくんどくんと高鳴って、顔が熱くなる。


「ねえ、なんでそんなにどきどきしてるの?」


 ざくろさんが無表情のまま、顔を近づけてたずねてくる。どくん、鼓動が跳ねた。


「わたしたちの心臓、繋がってるんだよ。聖司がどきどきするとわたしにも伝わるし、近くにいれば考えることも伝わってくるの。逆もそうだし、遠くにいても居場所がわかる。……聖司、そんなにお弁当嬉しい?」


「あ――」


 俺は気づく。今朝からのやりとりや、無表情なざくろさんの感情がわかったのはそのせいか。


 思い出すと、更に顔が熱くなる。ざくろさんの頬も、赤く染まっていた。


「嬉しいなら、また作るね。人にご飯食べてもらうの、わたしも初めてだから」


 ざくろさんが薄く笑う。嬉しいと思っているのが伝わってきた。


「喜んで。こんな美味しい弁当が毎日食べられるなんて、天国だ」


 お互い照れているのがわかる、少し気恥ずかしいけれど、決して悪くはない。

 食べ終えてから、俺たちはのんびりと他愛もない話をして過ごした。

 そのときだった。ざくろさんが、クラスの一角の会話に反応した。俺も耳を澄ませる。




「ねえ知ってる? 水木区の『人喰い桜』のうわさ




「『人喰い桜』? なにそれ」


「『水木区の桜は人を喰う』……このあたりに伝わる都市伝説ってやつ。夜の桜に近づくと、手が伸びてきて埋められて、桜の養分にされるんだって」




「『あいつ』か」


「……ざくろさん? どうしたんだ?」


 厳しい表情で小さく吐き捨てる彼女の横顔に、俺は訊ねる。


「あとでわかるよ」


 彼女はそれ以上、なにも言わない。詳細を訊ねようと口を開きかけたところで、昼休み終了の予鈴が鳴った。

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