第11話 ふたりでひとつの心の臓 4
どくん、とまた心臓が鳴った。
がたん、と椅子を鳴らして鬼切さんが立ち上がる。伝わってくるのは、怒り。
「巻き込んだ負い目はあるけど。『
鬼切さんが低く呟いた。俺、声に出してたか? 思った瞬間、彼女が指を鳴らす。
「『
「――え」
目の前すれすれ、前髪が切れるほどの距離に、赤みを帯びて光る日本刀の切っ先が突きつけられた。
それだけではない。座っている俺の周囲を三六〇度囲って、同じ刀が先端をこちらへ向けている。
ぞわり、と背筋が粟立つ。一ミリでも動けば、俺は文字通り全身串刺しにされる。
「異能とか、空想怪異っていうのはこういうことなんだよ。あんこの魔法も、そう」
立ち上がった鬼切さんが無表情で俺を見つめている。眉間に突きつけられた刀の
「わたしの異能は、キミもわかってるけどこの日本刀、『
「……好き、だけど。異能や空想怪異と、関係がある……んだろうな」
「そう。漫画とか小説も、言ってしまえば異能とか、魔法のひとつなんだ」
鬼切さんは刀を俺に突きつけたまま。俺は座ったまま。両者、微動だにしない。
『試されてるな、お前』
頭の中の『葬儀屋』が楽しそうだ。ああそうだ、今、俺は彼女に試されている。
これから起こることに耐えられるかどうか、ってところだろう。
「異能とか魔法とかは、人の想いが形になったものだから……ってことで、いいのかな」
「そういうこと。人の中身がそのまま異能になる。空想怪異も、それは同じ。小説、イラスト、映画、漫画、芸術、スポーツ……空想怪異。それを殺すための異能」
鬼切さんは、俺が動じないのを見てくすりと笑った。刀を消して、俺の正面に座る。
「キミは、『初月』を迎えればいい異能の持ち主になるよ。だって、いかれてるもの。……『初月』を迎えたいかどうかは、キミ次第だけれど」
「やっぱり、そうなるよなぁ。『初月』、暦の月の間に、最初に出る月……異能が発現する、ってことか」
俺は半ば予想していた言葉に目を閉じて、上を見上げる。目を開けて、視線を戻した。
「鬼切さん。異能には心のありようが反映されるってことは、それまでの人生も、ってこと? きみの心臓を半分もらったことで、『初月を迎える』、つまり異能が現れる可能性ができた、ってことでいい?」
「キミ、頭がいいね。頭の回転が速いし、理解力もある」
鬼切さんが目を丸くして感心する。
「そうかな。妹に比べれば、俺なんかちょっと成績がいいだけの高校生だよ」
俺の妹は、小学生の年齢でありながらアメリカの大学で飛び級に飛び級を重ねている天才だ。今では確か十歳かそこらで、研究者をやっているらしい。両親を含め数年単位で会っていない。
理屈をすっ飛ばして正解の結論に至ってしまう、俺の一番苦手なタイプだった。
比較しておいてなんだが、俺なんかと比較するのもおこがましい。
苦手だったからといって、たった一人の妹だ。可愛くないわけではなかったけれど。
「ちがうよ。成績とかそういう問題じゃあなくて……えーと。あんこ、パス」
鬼切さんは言葉を探したが見つからなかったらしく、黒猫さんに説明を投げた。
「人間。普通、一般人は理解の外にあるものを拒絶し、排除しようとするものですわ。あなたは、ゆうべ一度死んだことも、御嬢様と心臓を共有して生き返ったことも、わたくしの説明も、異能についても、全て受け容れたうえでこちらとの対話をし、情報を整理し、理解している。はっきり言って、人類の八割以上が不可能なことを成し遂げていますわ。誇りに思いなさい」
「と、いうこと。つまりキミ、すっごく頭が柔らかいんだよ。異能も、応用がきくものになるんじゃないかな?」
「……ありがとう、黒猫さん。鬼切さん」
そこまで褒められるとむずがゆいが、悪い気がするはずもない。俺は素直に礼を言った。
「あんこ、でよろしくてよ人間」
「わかった、よろしくあんこさん。それはそれとして、鬼切さん。本題に入るが、俺はゆうべきみを助けて死ぬつもりだったけれど、逆に助けられた」
「助けられたら助け返す、が道理だからね。キミは一年の夏、女子に呼び出されて怖かったときも心配してついてきてくれたし。腕もそうだけど、あんこが頑張って心臓半分でも動くように治してくれたから、心配はいらないよ。でも……キミは、そうじゃないんでしょ?」
目の前に、鬼切ざくろがいる。彼女は赤い瞳で、正面から俺を見つめている。
全てを見透かすような眼を、俺はまっすぐに見て言った。
「俺は、俺の異能に『初月を迎えさせたい』。それで、鬼切さんを手伝いたい」
迷いはなかった。
『まあ、一度捨てた命だしなあ』
『葬儀屋』が皮肉を言うが、気にしない。
「俺は、鬼切さんの役に立ちたい。きみを助けたいんだ。できることなら、なんでもする」
驚いた様子で、彼女が目をまんまるに見開いている。俺は、直角に頭を下げた。
「それと、助けてくれてありがとう。ごめん、言うのが遅くなった」
本来なら、最初に言うべき言葉だった。死んだり生き返ったり、朝ごはんを食べたり、黒猫さんが喋ったりプロジェクターになったりでうやむやになっていた。
しかし、まず助けてもらった礼を言うのが人としての道理だ。
「……お礼、なんて。そんなこと、初めて言われた……」
ぽつりと、薄紅色の唇から言葉がこぼれる。鬼切さんが、完全に放心している。
声の響きに、俺はひどく切なくなった。あんなにボロボロになって戦っているのに、礼も言われないなんて。
「……えーっと、とりあえず頭上げて」
明らかに困っている声に、俺は頭を上げる。鬼切さんが、赤くなった両頬に手を当てて、照れていた。うわ、可愛い。
「わたしがキミを助けたことだけれど、キミを死なせたくなくてわたしが勝手にやったことだし、わたしも助けられてる。だから、そこは貸し借りなしでいこう。そのうえで、聴いてほしいんだけれど……」
す、と彼女は手を机に置き、無表情に戻る。赤い瞳が鋭くなった。
「キミがどんな異能と『初月』を迎えるかわからないけれど、わたしはひとりだから。手伝ってもらえると、すごく助かる。けれど、また死ぬかもしれないよ? 次は、助けられない」
「そこは、正直まだわからないけど……やるだけやってみるよ。俺だって、鬼切さんを死なせたくないし」
「……そっか。うん……ありがとう」
彼女は薄く微笑んだあと、とんでもないことを言い出した。
「じゃあ、わたしとあんこも今日からここ――キミの家に住むから。よろしくね」
「え」
さすがに俺も固まる。鬼切さんと黒猫のあんこさんが、今日からこの家に住む?
「心臓、分けたって言ったでしょ? 分けたっていうより、二人で一つの心臓を共有してるの。片方が死ぬと、もう片方も死にはしないけど、ものすごく弱るの。お互いを守るには一緒に住むのが一番手っ取り早くて安全なんだ。キミの家、実家で持ち家でしょ? 一軒家だし、話を聞く限り問題なさそうだし」
え? ホワットハプン? いきなり
「心配しなくても大丈夫ですわよ、人間」
「あんこさん……」
フォローを入れてくれるのか、さすがに反対するだろう、と思いきや。
「旦那様にはすでに許可を頂いておりますわ。必要なものや当面の生活費は、御嬢様とあなたが学校に行っている間に旦那様に届けていただく手はずが整っております。今朝の食材も、わたくしが買ってきましたの。なんの心配もありませんわよ」
「さっき言ってた心配ないっていうのはこういうこと。家賃代わりに、食費とか光熱費はパパ負担だよ」
あんこさんが上機嫌に尻尾をしゅるりと伸ばす。鬼切さんが無表情で言う。
いや、そういう心配じゃあないんだけれど。『旦那様』まで巻き込んでの確定事項なのかよ。
俺は年頃の男子だぞ。鬼切さんの親代わりなら、心配じゃあないのか。年頃の娘を同い年の男子の家に住まわせて、あんなこととかこんなこととか、なにかが起きたらどうするんだ。
『ナニかを起こす気なのか? あんなことやこんなことやそんなことを?
うるせぇよ『葬儀屋』。あんなこととかこんなこととかは言ったが、そんなことを起こすとは言ってないだろ。ああもう、ぼっち陰キャモブの俺が学校一の黒髪美少女ヒロインと同居とか、ありえないだろ普通! どういうことだ神様! ありがとうございます!
『そういうところが俗っぽいっていうんだ、ムッツリスケベが』
俺は『葬儀屋』のツッコミを無視した。
「ねえねえ」
いつの間にか、隣に鬼切さんが立っていた。寄り添って、俺に耳打ちしようと背伸びをしてくる。俺は耳打ちができるようにかがむ。
近い近い、距離が近い。腕にふにゃっとしたふくらみが当たっている。めっちゃいいにおいする、甘いにおい。なにこれ。心臓が爆発する。
「あんこに指、
「こ、こう……?」
言われたとおりに、後ろ足で耳の後ろを描いていたあんこさんの鼻先に指を持っていく。クンクンと、においを嗅がれる。
「そうそう。それから顎の下撫でてあげて。ゆっくり……そう、優しく」
言われたとおり、俺はそっとあんこさんの顎の下を撫でてみる。
「ゴロゴロゴロ……あなた、なかなかやるじゃありませんの……ゴロゴロゴロ……耳の裏とふわふわしたとこもお願いしますわ……ゴロゴロゴロ……ゴロゴロゴロ……にゃぁぁん……」
可愛い。あんこさん、可愛い。
「うん。あんこも懐いたし、大丈夫だね。これからよろしく、聖司」
鬼切さんが、手を伸ばしてくる。俺は呆然と、差し出された手を見る。
「俺の、名前……」
「あってるよね? わたしのことも、ざくろって呼んで」
「……ああ。よろしく、ざくろさん」
俺は、伸ばされた手を握り返す。信じられないぐらい、小さくてあたたかい手だった。
「そろそろ支度して学校行こうか。あんこ、空間戻して」
「承知いたしましたわ」
俺たちは一瞬で白い空間からリビングに戻る。白昼夢でも見ていた気分だ。
「三〇分後に、着替えて玄関に集合ね。遅刻したらまずいでしょ? それと聖司、シャワー浴びてきたほうがいいよ。血のにおいがぷんぷんする。さすがにキミの身体がおっきくて、洗ってあげるのは無理だったからね」
リビングの時計を見ると、いつもの出発時刻の三〇分前だ。軽くシャワーを浴びて髪を乾かし、着替えるくらいの時間はある。
「『初月』を迎えたいなら、放課後から修行だよ。少なくとも戦えるようになるまで叩きこむから、まあ死ぬかもしれないけどがんばろー」
無表情だけれど、ざくろさんは楽しそうだ。俺に好意を持ってくれているのが伝わってくる。
小さな頭のつむじを見ていると、俺はむずむずとした衝動にかられた。
昨日、ひとりで戦っていたざくろさんを思い出す。孤独に戦っていた、まっすぐな彼女の姿。
『みんなを護れるなら。わたしなんか死んだって、どうだっていいんだ!』
ずきりと、胸が痛んだ。それから俺が昨日、死ぬ前に願った最期の望みが頭をよぎる。ざくろさんの手を握って、妹にしていたように頭を撫でてやりたかった。叶うなら、いろいろ訊きたかった。最期に話がしたかった。この世に繋ぎ止めて、守っておきたかった。彼女が、もう自分を粗末にしませんようにと、俺は最期に願った。
今、俺は彼女に助けられて、生きている。
しかし、いきなり女性の頭を触るのは失礼ではないだろうか。俺はしゃがんで目線を合わせ、恐る恐る問う。
「ざくろさん。その……頭、触っていいか? 嫌じゃあ、ないか?」
「いいよ? 割るの? ぱっかーん、って」
「割らないよ!? その、嫌だったら、すぐに言ってくれ」
俺はそっと、ざくろさんの頭を撫でた。
「今までずっと、独りで戦ってくれてたんだな。偉いよ。ありがとう、ざくろさん」
彼女が、まんまるに目を見開く。困惑した様子で、目を泳がせて手をわたわたさせている。
「え、褒められて、る……? なんで、わたし、褒められてる、の? なんで?」
「俺が褒めたいから」
誰かが彼女を認めて、褒めないとならない。誰もやらないなら、俺がやる。
初めて触れた髪の毛は絹糸のようで、俺はそっと、壊れ物を扱うみたいに撫でる。
ざくろさんが耳まで真っ赤になった。ぷるぷると、小刻みに震えている。
「……わたし、今までそんなこと、言われたことない……褒められるのも、助けられるのも、なでなでも、はじめて……うれしい。聖司、また、撫でてくれる? 撫でて、褒めてくれる?」
「撫でるのも褒めるのも、俺でよければいくらでも」
「ありがとう、聖司」
ざくろさんはさっきまでとはうってかわって真っ赤な顔に、少し涙を浮かべて微笑んだ。
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