第10話 ふたりでひとつの心の臓 3

 海苔が巻かれた大きなおにぎりが三つと、湯気の立つわかめと油揚げとネギの味噌汁。


 だし巻き卵には大根おろしが添えられて、なすの煮浸しには小口切りにしたネギとおろし生姜がのっている。


 生まれて初めての、誰かが俺のために思いやりをこめて作ってくれた食事。それも和食。家族にさえ、一度も作ってもらえなかったあたたかい食事だ。泣きそうになるのをこらえる。


 テーブルの向かいに座った鬼切さんが、俺の顔を見て首をかしげる。


「もしかして、パン派?」


「いや……こんなしっかりした食事、ほとんど初めてだから……感動してる。……あ、そうだ材料! 俺の家、食材なんかなかったのに、どうしたの? とにかく、材料費とか出すよ」


「そこらへんは心配いらないよ、かえって気を遣わせちゃったね」


 鬼切さんは言う。


「キミの家、立地がいいね。二四時間営業のスーパーが近くにあって助かった。それより、冷めちゃう前に食べよう。あんこ、準備できた?」


「いつでもいいですにゃわん」


 喋れるとはいえ、猫の本能には逆らえないらしい。黒猫さんは、目の前にあるカリカリと缶詰がのった皿に落ち着かない様子でいる。正直、可愛い。


「じゃあ両手を合わせて」

 鬼切さんに言われたとおり、俺は両手を合わせる。黒猫さんも器用に両手を合わせている。


『いただきます』


 朝食は、一度死んだあととは思えないほど美味しかった。





 食事が終わり、作ってもらった側の礼儀として片付けを俺が担当した。鬼切さんに促されて、再び席につく。彼女は、自然に切り出した。


「あんこ、わたしの代わりに説明お願い」


 丸投げかよ!


「にゃむにゃむにゃむ……にゃっ!? 説明って、どこからどこまで、ですの?」


 満足げに顔を洗っていた猫さんが、一転して不安そうに鬼切さんと俺を交互に見る。


「そうだね。どこまで教えたものか迷う。キミは、どこまで知りたい? 巻き込んでしまったけれど、今なら戻れるかもしれない。無関係でいたいなら、その方向に努力するけれど……」


「全部だ」


 俺は即答した。


「全部教えてくれ、鬼切さん。助けるつもりが助けられておいて、無関係でも、無関心でもいたくない。俺が自分から巻き込まれたんだから、できることをしたい」


 ぼっち陰キャモブの俺にも、それなりの意地とプライドというものがある。退いてはならない時がある。今がそうだ。


 投げ出したはずの命を文字通り身を削ってまで救ってもらったのに、はいそうですかありがとうございます、それではさようなら、と日常に戻れるほど俺は腐っていない。


 鬼切さんと黒猫さんはしばらく顔を見合わせる。黒猫さんが「それならば」と姿勢を正した。長い尻尾が上機嫌そうにしゅるりと上に伸びる。鬼切さんはなにやら面白そうにこちらを見ている。


「特別に、と・く・べ・つ・に! 全部まるっと説明して差し上げますから感謝しなさい人間」


「わかった、ありがとう」


 俺は黒猫さんに軽く頭を下げた。


「では、転移いたしますわ。テーブルは……あったほうがいいですわね。わたくしの身体に触れてくださいまし」


 言われるままに、黒猫さんの毛並みに触る。動物特有の高い体温が伝わってくる。


「……ふかふかでつやつやだ」


「そうでしょうそうでしょう、人間にしては見る目がありますわね。自慢の毛並みですのよ。それでは……転移、開始」


 ふっ、と。高層階直通のエレベーターに乗ったときのような、浮遊感に襲われた。


 次の瞬間、俺たちはテーブルについたまま、ドーム状の真っ白な空間に移動していた。針が四本ある巨大な時計が宙に浮いている。


「うわぁ!? なんだここ!?」


「いいリアクションするねえ。ここはあんこの便利空間だよ。外界そとより時間の流れがずっと遅いから、修行とかやっちゃえるって寸法。長い話になるから連れてきたの。時計は、外界そと内側なかの時間を示してくれてるんだ」


「え? それ、あのすごい有名なバトル漫画に出てくる、便利な部屋ってこと?」


「うーん、大正解!」


 鬼切さんが無表情のまま、両手を頭の上で丸の形にする。楽しい気分が伝わってくる。


「パパが――パパっていっても実の親じゃあなくて、わたし両親いなくて親代わりの人? いや人なのアレ? で外国人? いや人なの? まあいいや、人っぽいなんか? でいいや。人っぽいなんか? なんだけど、そのパパ、日本の漫画が大好きなんだ。『これあったら便利じゃん』ってあんこが使える魔法に組み込んだんだって。授業の合間に素振り千本とかできるよ」


「ツッコミどころが多すぎてツッコミきれないけど、授業の合間に素振り千本してるの!?」


「ちょくちょく」


「ちょくちょくしてるんだ!?」


 休み時間にいなくなるのは素振り千本してたからかよ!


「こほん。お二人とも、お喋りが楽しいようですが。解説に入ってよろしいですわね?」


『はい、すみません』


 尻尾を不機嫌そうに振りながらこちらを睨むあんこさんに、俺たちは揃って頭を下げた。


空間投影魔法プロジェクターを起動いたします。『旦那様』が造られた人工愛玩猫ホニヤンクルスの魔法、ご覧あそばせ」


 空間が暗くなり、あんこさんの金色の瞳が光る。瞳から出た光は、白い壁に映像を映しだした。


 あんこさん自身がプロジェクターなのかよ! しかも人工愛玩猫ホニヤンクルスってなんだ。可愛いぞ。真剣な様子で目から出した光で壁に映像を投影する姿に、小さい頃から飽きるほどテレビで観た大昔の映画を思い出す。目がこんな風にライトになってたでっかい猫、いたなあ。


 ちゃらららーん。チープなBGMとともに、壁の白い映像に変化が起こった。

 蝶々と『F・P・M』のロゴマークが現れる。あんこさんの首輪と尾の輪っかについているのと同じものだ。


 俺は姿勢を正し、思考を中断して映像に集中する。それにしても『F・P・M』って、なんの略だ? 天井付近にスピーカーでもついているのか、上からあんこさんの声が降ってくる。


「この世には、現在八〇億人を超える人間が生きています。人間の数だけ、願いや想い、あらゆる概念――つまりは、『空想』が存在します。人間。あなたがゆうべ目撃し、御嬢様が戦っていた存在は、くうそうかいと呼ばれる怪物ものです。空想怪異とはその名のとおり、『人間の空想』から生まれ、人間に害をなす怪異ですわ。対抗するため生まれたのが我々、『F・P・M』。英語で空想怪異対策機関、の略称です。普段は機関、とだけ呼びますが。そのトップが御嬢様の親代わりをなさっている、わたくしの創造主。旦那様、でございますわ」


 なるほど、鬼切さんの親代わりの人がその『機関』のトップなのか。だから彼女は戦っている、ってことでいいのか? それにしてはボロボロになりすぎじゃあないのか? 


 俺はゆうべのことを思い出す。くっついたとはいえ、腕を切断されるなんて重傷が過ぎる。


 というか、くっつきゃ切断されていいものじゃあないだろう。腕とか。


 頭を切り替える。そのあたりはおいおい訊こう。俺は無難な質問を言葉にすることにした。


「空想怪異……空想から生まれる怪異っていうと、いわゆる妖怪とか幽霊とか都市伝説……とか、そういうものか?」


 わかりやすい『怪異』の例を挙げてみる。天井から、あんこさんの感心したような声が響く。


「理解は確かに早いようですわね。ただし六〇点ですわ、人間。幽霊、妖怪、都市伝説も確かに空想怪異です。それだけではありません、アニメや漫画、特撮作品のキャラクター、あるいは神、時には人間すらも、ヒトの想いは造ってしまいます。空想怪異の共通点として、必ず核となるなにがしかの概念を持ち、悪意や不安などの負の感情を代表とした強い感情と結びついている――という二点がありますわ。人間の空想や願望には、果てというものがありませんから」


 なるほど、どうやら思ったより『空想怪異』というものは多岐に亘るらしい。「質問していいか」俺は手を挙げた。「どうぞ、人間」黒猫さんが応じる。


「空想怪異が人間の空想から生まれる、概念や共通認識、感情と結びついた存在なのはわかった。それを踏まえて、ゆうべの空想怪異はどうやって、鬼切さんや俺を攻撃したんだ? 空想や概念なのに、あいつらには実体があったぞ」


 そうだ。怪物はしっかりとした実体を持っていた。心臓をしっかり握り潰されて殺された俺が言うんだから間違いない。


 壁の映像が変わり、さまざまな怪物を映し出す。こいつらが空想怪異、ということなのだろう。その中には、俺を殺したマネキンピンク肉柱もいた。思わず背筋がぞっとする。


「……人間にしてはいい質問ですわね。この土地――東京都水木区が『特異点』と呼ばれる場所だから、ですわ――『機関』の用語で言うなら、ですが」


 映像に日本地図が映し出され、水木区がクローズアップされる。


「『特異点』? 空想怪異が実体化できる土地、って認識で合ってるか?」


 天井から響く黒猫さんの声が、少し楽しそうになる。


「八〇点、ですわ。東京都水木区ここは空想怪異が実体を持ったうえで、怪異本来の力を振るうことができる土地なのです。もちろん、水木区だけではありません。世界各地に特異点は発生いたします。ですが、どういうわけか常に特異点として存在するのは、東京都水木区だけですの。水木区ここは、空想怪異に対する、日本における最終防衛線なのです。だからこそ、御嬢様がいらっしゃるのですわ」


 地図の水木区に大きなバツ印がついて、おばけの可愛らしいイラストが日本中から世界中へ広がるアニメーションが映る。ポップな調子だが、もし現実になったらと思うと背筋が寒い。


 人間の空想、核となる概念、それと悪意から生まれる、空想怪異。


 東京都水木区という特異点。


 鬼切ざくろという少女が、ゆうべあれだけ必死だった理由。


 異能。


 なるほど。頭の中で、一本の線として全てが繋がった。



「空想怪異は、異能がある人間にしか殺せないってことか。空想怪異を抑え込む戦力になる異能を持つ人間は、東京都水木区っていう『特異点』には鬼切さんしかいない」


 黒猫さんの声に、感嘆の響きが混じった。


「一〇〇点ですわ。『機関』のトップである旦那様は、世界中の特異点を抑えるために飛び回っておりますの」


 黒猫さんがふん、と鼻を鳴らした。


「お察しのとおり、東京都水木区で空想怪異を殺せるのは御嬢様、鬼切ざくろ様だけですわ。なにしろ相手は『空想』で『怪異』です。実体を持っているとはいえ、通常の武器などでは歯が立ちませんの。旦那様は辛い任務を与えると袖を涙で濡らしながら、御嬢様を水木区ここに置いていますわ。御嬢様がいなければ、空想怪異は文字通り、この土地からあふします。御嬢様は最悪の事態を防ぐため、人類防衛のための、唯一の要なのですわ。そしてわたくし、旦那様の最高傑作たる人工愛玩猫ホニヤンクルスのあんこには、御嬢様をサポートするための様々な魔法が組み込まれております」


 映像が消えて、部屋が明るくなった。


「空想怪異も異能も、根っこのところは同じようなものなのか……」


 ぽつりと呟く。


 それにしたって、『旦那様』とやら。無責任が過ぎないか。日本の最終防衛線に、自分が親代わりをした娘を一人で配置するのは、戦力が薄すぎるだろう。

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