第9話 ふたりでひとつの心の臓 2


 どくん、と心臓が高鳴る。

 そうだ、俺が一度だけ鬼切さんと話した記憶だ。


「覚えててくれたんだ。あのときは知らない女の子に囲まれて、すっごく怖かったんだよね。キミがいてくれて嬉しかったよ」


 え? 今、考えていたことが口に出てたか?


 俺は膝を曲げてうつむいていた顔を上げ、鬼切さんを見る。


「っておっぱいいいいいいいいい!?」


 視界いっぱいに白い山の下のほうが二つ現れて、再び頭を抱えてうつむく。なんでまだ丸出しなんだ、しまってくれ。頼むから。


「あ、そっか。しまえばいいのか、うっかりうっかり」


「いや気づくのが遅いよ!?」


 俺は耐えきれなくなってツッコミを入れた。

 鬼切さんは胸をしまい、朝食の準備に戻る。


「よいしょ。見苦しいものを見せてごめんね」


「いや決して見苦しくはなくむしろ素晴らしいものだった。けどいきなり丸出しはやめようね。自分を大事にして。頼むから」


 鬼切さんの胸は見苦しくない。そこは俺が断言する。


『ずっと見てたもんな、ムッツリが』


 そりゃ見るよ、と俺は『葬儀屋』に反論する。健全な男の子としてここは許してほしい。


 真っ白ですべすべでもちもちで大きくてすごいものだった。脳内アルバムに永久保存。

 とにかく色々整理しないとならない。


『心臓を半分あげた』と彼女は言った。


 当たり前の話だが、心臓は半分では動かない。あげるなんて不可能だ。


 そのうえ、鬼切さんはゆうべ制服ごと右腕を切断されていた。


 なくなったはずの彼女の右腕は綺麗にくっついているし、破れていたはずの制服も元通り。

 こんなことがただの人間の理屈で説明できるものか。

 俺は問う。


「鬼切さん、失礼なことを訊くけれど……きみは、ただの人間じゃあ、ない……のか?」


 鬼切さんはぱたぱたと台所を駆けまわっていたが、くるりとこっちを向く。切断されていた右腕は、菜箸を持って器用に卵焼きをひっくり返している。


「わたしは人間だよ? 鬼切ざくろ。くうそうかいを殺すためにいる、普通の女子高生。ちょっとのうがあるだけ。異能はまあ、キミもそのうちそうなるかもしれないし。あ、ご飯もうすぐだけど、お腹すいてる? 嫌いなものとか、アレルギーある?」


「空想怪異? 異能? お腹はすいてます。嫌いなものもアレルギーもないです、なんでも食べます」


「和食でよかった?」


「あ、はい」


 質問に答えてから考える。

 空想怪異。異能。聞いたことのない言葉だ。文脈と、ゆうべあったことから推測してみる。


「ゆうべ鬼切さんが戦ってたバケモノが空想怪異で、持ってた日本刀とか空中を跳んだりしてたのが、異能ってことなのか?」


「大当たり。すごいねキミ、理解が早くて助かるよ」


 どくん。また心臓が高鳴った。鬼切さんが、素直に感嘆している。無表情なのに、彼女の感情が伝わってくる。


 いけない、油断すると脳内に彼女のおっぱいがよぎってしまう。


「……キミ、けっこうえっちだね」


 え? 俺、口に出してないぞ? なんで鬼切さんが胸を隠して恥ずかしそうにしている?




「そういう問題じゃありませんわよ御嬢様!」




 なにもない空中、鬼切さんの肩のあたりから、聞いた覚えのある女性の声がした。


『ここは一旦、お退きくださいませ御嬢様!』


 そうだ、ゆうべ彼女に退却をうながしていた声だ。


 気づくと同時に、透明な空間から黒猫が現れる。ちようちようと『F・P・M』の三文字をあしらった紋章が彫られた、金色の首輪が光っている。長い尾にも、全く同じ装飾のある金色の輪をつけた黒猫だ。


「まったく! 毎回毎回、なにを申し上げても無茶をなさって! 今回なんて、いくら御嬢様でも、し、し……死んでいたかもしれませんのよ!?」


 ダイニングテーブルに音もなく着地した黒猫さんは、毛を逆立てて大声でまくし立てる。

 やはり、ゆうべの声の主らしい。


 俺はもう、驚きのキャパシティを超えてしまっていた。へー、猫って喋るんだー。


「ごめんごめん、心配させちゃったね。二人で座って待ってて」


「ごめんごめんって、軽すぎですわよ! 御嬢様、死にかけてたんですからね!? それと、殿方の前でお胸を出すなんてどういうことですの!? レディとしての自覚を少しはお持ちくださいませ!」


 うーん、正論だ。まごうことなき正論の嵐だ。ちゃんとした猫さんらしい。ちゃんとした猫さんってなんだ。


 俺は鬼切さんの隣に並んだ。


「鬼切さん、なにか手伝えることはない?」


「んー、じゃあ食器出してくれる? あんこも頑張ってくれてありがとうね、よしよし」


 俺が食器棚から手頃な器を久しぶりに出して洗う間、彼女はあんこさんというらしい黒猫さんを慣れた手つきで撫でていた。


「そういう問題じゃ……ゴロゴロゴロ……くっ、あごの下を撫でるのはずるいですわよ……ゴロゴロゴロゴロ……」


「あんこの分のカリカリと缶詰もあるからね、好物のササミ味」


「うにゃあぁぁん」


 黒猫さんは意外と素直だった。

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