第7話 黒羽聖司という少年 3

 二時間ほどが経過した。


 俺は一人、泣き崩れるサッカー部員とサッカー部顧問、猪原の真ん中で立っている。


 日は落ちていないが、時刻は一八時を過ぎていた。



「痛えな、クソが。んじゃ猪原先生、俺は警察に寄ってから帰りますんで」


 荷物を拾い上げて校門に向かおうとすると、猪原が足元にすがりついてきた。


「頼むから警察は、警察だけは……」


「嫌に決まってるでしょう。録音データありますから、警察でも教育委員会でも、どこにでも訴えますよ」


「ぅぅぅ、あぁぁぁぁぁ……」


 うずくまる六人に対して、俺の中で殺意が芽生える。


『なあ、いっそこいつら、殺したほうがいいんじゃねえか?』


『葬儀屋』が黒い傘を広げ、宙に浮かんでこちらを見ている。


 そうだな、お前の言う通りだよ。きっちり理屈に沿って考えれば、世の中の大抵のことに正解は決まっているんだ。

 だというのにどうして、こいつらみたいな理不尽の塊が生きてるのを許す必要がある?


『人を殴るゴミ共だ。こんな奴ら、いないほうが世の中のためだぜ』

 思考が、すぅっと冷える。例えば、俺の手に本当に杭があれば。こいつらを抉り殺せる凶器があれば。


『殺そうぜ。殺したほうがいい』


「ああ……そうだな……」


 俺は、『葬儀屋』の言う通り、尖ったものを探そうと、手を伸ばして、周囲を見回して。


「黒羽聖司くん、猪原先生。一体、なにがあったんですか?」


 穏やかな声に、止められた。


さかき先生……」


 俺ははっとして前を見る。全く気配がなかった。その人は、いつの間にか息がかかるほど近くに立って軽く俺の腕を押さえていた。眼鏡越しに見つめられるだけで、金縛りにあったように身動きがとれなくなる。


 今年からにんした生徒指導担当、国語科教員で俺のクラスの担任、さかきたそがれ先生が立っていた。


 二〇代半ばほどの男性。黒髪を長く伸ばして、一本の三つ編みにしている。眼鏡をかけて、ピンク色のシャツに黒いネクタイとスラックス、その上に白衣を羽織っている。猪原とは対照的にきっちりとした格好で、妙な色気が漂っている。俺より身長は一〇センチほど高く、常に異様な威圧感と色気がある。威圧感を和らげているのは、穏やかで整った顔立ちと声、そして男子生徒さえ骨抜きにする色香だろう。榊先生はモデルかと思うほど中性的な美貌をしている。女子人気も、男子人気も相当に高いらしい。ぼっちの俺の耳にも入ってくるくらいだ。


『あーあ。邪魔が入ったなあ。面倒になる前に俺は一旦、ずらかるぜ。またな相棒』


『葬儀屋』は残念そうにぽん、と消えてしまう。


 戦闘モードが強制終了となった俺は、力が抜けてその場に座り込みそうになった。


 倒れそうな肩を、榊先生がしっかりとかついで支える。


 細身なのに力あるんだな、この人。俺も細いほうだから、背丈の分だけ楽なのかもしれない。


「大丈夫ですか? いえ、大丈夫ではないですね。傷だらけです。病院に行きましょう。今、タクシーを呼びます。詳しい事情は、その後で聞かせてもらえますか? 見たところ、黒羽くんが一方的に暴力を受けたように見えますが――猪原先生、一体なにをしていたんですか?」


「榊先生! 違うんです、こいつらも、俺も、なにもしてない! むしろ、被害者で……」


「なるほど。天野昴の件から、全く反省していないようですね。ここにいる五人は全員、あなたが顧問を務めるサッカー部の部員ですが。生徒の指導もできないとは……安心してください、生徒指導担当として校長先生と教頭先生にはしっかり報告しておきます」


「……ッ!」


 猪原の顔面が青を通り越して白くなり、黙りこくってしまう。


 榊先生は俺に笑いかけた。


「さあ、黒羽くん。病院に行きましょうか」




  ★




 病院で一通りの治療を受け、薬やら診断書やらのあれこれを終えた頃には、二〇時を過ぎていた。俺は数針縫う傷と、数箇所の肋骨骨折。長くて全治一月半といったところだった。


 タクシーで帰る途中、定食屋に寄った。榊先生は、「内緒ですよ」と笑って俺に夕飯を奢ってくれた。


 ついでというか、本題として事情を訊かれた。


『葬儀屋』がいなくなり痛覚が戻ってきた俺は、向こう数日は通学できないだろう。


 質問された全てに、正直に答えた。スマートフォンの録音データのコピーもその場で渡す。もちろん、もしもの時のため原本はクラウドにバックアップ済みだ。


「理不尽な目に遭いましたね。友人も学校に来られなくなって、黒羽くんが怒るのもわかります。しかし……あまりに、危険でした。黒羽くん、もしここがアメリカだったら、どうなっていたと思いますか?」


「アメリカ、ですか?」


 俺は榊先生の唐突な質問にしばらく考え込む。日本とアメリカの違い。


「……もしあいつらが銃を持っていたら、ってことですか?」


 榊先生は満足そうに微笑んだ。


「正解です。理不尽な暴力に怒るのは正当です。自分からは手を出さず、理論で対抗しきったのも、素晴らしい。しかし、口の中にグロックを突っ込まれて脳幹を撃ち抜かれたら、どんな反論もできません」


「それは……」


『正論だな。くくく』


 お前ずらかったんじゃあなかったのかよ、『葬儀屋』。


 ちゃっかり隣に座った髑髏面に燕尾服の男が、楽しそうに俺を黒い傘の先端で小突く。


『まあいいじゃねえか相棒、コイツの方が暴力には詳しいぜ』


 確かにそうだ。暴力に正論で対抗できても、殺されればそれまでだ。どんな武器を持っていても、死んでは使えない。


「なにが言いたいかというとですね」


 目の前の美形の生徒指導担当が微笑を消し、真剣な顔になる。


「暴力に対抗するには、暴力しかないんです。今回、栗城くんたちは、五対一という数と、肉体的な暴力に頼った。運動部所属の男子五人に、今回の黒羽くんのように論理で対抗して相手の戦意を削ぐこともできず暴行を受けたら、最悪死にます」


「なら、どうするのが最善でしたか?」


 俺は訊ねた。


『暴力は欲しいよなあ』


 そうだ、俺は暴力が欲しい。あの白い杭が現実にあれば、あいつらを全員抉り殺すことができた。


 暴力が、欲しい。次は殺せるかもしれない。


『つくづくお前はぶっ壊れてんなぁ、相棒』


 自覚はあるよ。お前がいるんだからな、『葬儀屋』。

 脳内会話をしながら、俺は自然に前のめりになった。榊先生が眼鏡を直し、微笑む。


「呼び出された時点で生徒指導室か職員室に駆け込んでください。そういうときは、廊下を走ってもいいです」


 提示された答えに、俺は少々どころではなく失望した。


『まあ、相手は教師だ。そりゃあそうなるさ』


『葬儀屋』が俺の肩を叩く。

 榊先生は俺の心境を理解しているのかいないのか、穏やかに続ける。


「権力も、立派な暴力です。教師には生徒を守るために権力が与えられています。……間違った使い方をする教師もいますが」


 言葉を切って、榊先生は苦々しい顔をした。猪原によほど腹が立っているらしい。


「私は生徒指導担当ですし、今回の事件はむしろ良い機会だと思っています。部活とクラスぐるみで隠蔽されていて、天野さんを守ることができなかった。今回は、明確に暴行事件として立件できます。校長先生や教頭先生、教育委員会の役員さんの前で、証言していただけますか?録音データの使用許可もいただければ、助かります」


「……俺でよければ、喜んで」


 俺が独りであいつらの呼び出しに応じたのは、驕っていたからではない。


 好機チヤンスだと思った。あいつらをわざとあおって暴力を振るわせ、人生丸ごと台無しにしてやるまたとない好機チヤンスだった。俺は、待ち構えていたのだ。


『そうだな相棒。お前の計画は、うまくいったさ』


『葬儀屋』がハイヒールで俺を小突く。実際、思い通りに事は進んだ。


 俺に暴行を加えたサッカー部員は全員、退学処分。

 天野を虐めていた三組のほとんどは停学。

 栗城は転校先で虐められ、不登校になったと風の噂で聞いた。

 猪原は懲戒免職され、二学期から一年三組の担任は替わることになった。




「もうすぐ夏休みです。みなさん、なにかあればいつでも私に相談してくださいね」

 俺のクラス、一年一組の担任教師である榊先生は、黒板の前に立ってにっこりと笑った。


 前の席には、鬼切さんが座っている。どこか寂しそうな顔で、窓の外を見ていた。


 あれ。思い出してみれば、このときだけじゃあない。


 俺はずっと彼女が視界の端に入っていたのを、改めて認識する。






 ああ。最期に思い出すのがクソ野郎どもじゃなくて、鬼切さんの横顔なんて。


 


 最高だ。

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