第6話 黒羽聖司という少年 2


 二〇二二年七月の半ば、放課後。


じめじめとした暑さが鬱陶しい、嫌になるほど晴れた日だった。俺は、天野をいじめていたサッカー部員に呼び出された。



「黒羽ゴキブリくーん。ちょっとツラ貸してくれるー?」


 ぞろぞろと教室に入ってきたサッカー部員に気づいた瞬間に、俺はスマートフォンのボイスレコーダーを録音モードにして尻ポケットにしまう。


 四人のサッカー部員が、げらげらと笑いながら日に焼けた腕で俺を引きずる。


 俺は抵抗しない。連れて行かれた先は体育館裏だ。古典的すぎるだろう、馬鹿か。


 まあちょうど良い。俺も、はらわたが煮えくり返る程度には、お前らに腹を立てていたんだ。


 体育館裏には天野をいじめた主犯、サッカー部員のリーダー格がいた。


名前は確か、くりあいだったか。


栗城は顔や身体のあちこちにガーゼが貼られていて、にやにやと俺を見ていた。


「お前、目障りなんだよ」


「陰キャがやたら背ェ伸ばしてんじゃねーよ」


「おいなんか言え。金持ってんだろ、出せ」


「聞こえてんのかよ、ブッ殺すぞ!」


「つーか天野とヤってたんだろ? あんなブスでよく勃つなクソ童貞猿がよ」


 この場にいるサッカー部員は栗城を含めて五人。やいのやいのと、うるさいことこの上ない。


 ブッ殺す、ねえ。俺は鼻で笑って、一言だけ告げた。


「やれるもんなら、やってみたらどうだ」


 五人の頭に一気に血が昇るのがわかった。


 俺は、狙い通り殴る蹴るの暴行を受けることになった。



『おい。おいお前。力が欲しいか』


 なんだようるせえな。いつもの頭の中の奴か。


忙しいから静かにしてくれよ、力は欲しいからくれ。


 俺は棒立ちで顔面に拳を食らい、鼻血を垂らしてうつむきながらぞんざいに答える。


『いいから前見ろって、前』


 前?


 顔を上げ、正面に向ける。




『よう、はじめまして。俺の相棒、黒羽聖司』


 とうとう頭がいかれたのかと、真剣に悩んだ。


 そいつは栗城の横に寄りかかるようにして、俺に向けて手をひらひらと振っていた。



 俺と同じくらいの背丈。黒いシルクハットを被り、顔にはどくめんを被っていて表情は見えない。けれど笑っているのはなんとなくわかる。服は真っ黒な燕尾服タキシードを着ていて、靴は黒いハイヒール。手には黒い傘を持って、俺の胸ぐらを掴む栗城を小突いている。


『出てきてやったぜ、感謝しろ。俺は葬儀屋、お前の友達さ。ってわけで、俺がお前に力をやろう』


 声からして間違いなく、いつも話している別人格イマジナリーフレンドだった。


 こんな見た目してたのか、お前。


 俺は『葬儀屋』を見つめている。


『葬儀屋』はひょいと俺の精神を抱えてふよふよと浮いていく。


「なにぼさっとしてんだオラァ! 調子に乗ってんじゃねぇ陰キャがよぉ!」


 また栗城に顔面を殴られる。

 俺は無反応だ。

当然といえば当然で、俺の精神はそいつらをかんする視点にいる。肉体はただの抜け殻だ。


 しばらくの間、殴られる自分と暴行を加えているサッカー部員を上から観察する。

 なるほど、自分の痛みを俯瞰して解析できれば、遮断してしまうことも可能なのか。

 割と便利だなというのと、ここまで俺はぶっ壊れていたのかという感想が同時に浮かぶ。


『さあ、相棒。そろそろ次の段階に行こうぜ? パーティーはこれからだ、戻るぞ』


 俺は元の視点に戻る。


『葬儀屋』は俺の横に立って、俺を殴り、蹴る栗城の胸のあたりを黒い傘の先で指す。


 どうしたらいい? 俺は頭の中で問いかける。


『葬儀屋』は笑って、俺の肩を抱き寄せる。



『簡単だ。想像してみろ。なにか、こいつの心をえぐるものだ――釘とかそういうのを、好きなように。いかにこいつを効率よく、理屈で抉るか。それでお前の勝敗が決まる』


 目をしばらく閉じる。イメージが大事だ。


頭の中で、一つの武器ができあがる。




 白いくい


 そうだ、白い杭がいい。


金属とも木材ともつかない素材の、真っ白で手になじむ杭だ。


 目を開ける。頭の中でイメージした杭を掴み、栗城の胸に狙いを定める。どう抉るか。


 武器はある。感情任せで他人を殴る奴には、正論と理屈が一番効く。


 ありがとう、『葬儀屋』。俺は、勝てる。


『それでいい、相棒。武器が用意できたなら、あとは好きに抉り抜け』


 栗城藍。


 こいつは家庭が荒れていると、ぼっちの俺にも伝わってくるほどに有名だった。


 額や口元のガーゼががれて落ちている。明らかに殴られてできた傷が見えているが、当人は俺を殴るのに夢中で気づいていない。あざもあちこちにある。


 父親が仕事をリストラされて、毎日のように殴られているらしい。両親は再婚で、栗城だけが父親の連れ子だという。母親は自分の連れ子である弟と妹だけを連れてさっさと家を出て、そのまま帰ってこないそうだ。


 俺の知ったことじゃあない。


もちろん天野もだ。殴ってきた奴の事情なんか知るものか。


「栗城」


 俺はクソ野郎くりきをまっすぐ見て、静かに言った。


 頭の中で、杭をずぶりと目の前にいる標的の心臓に刺し、抉る。


「お前の家庭環境は理解するが、なにがあろうと他人を殴っていい理由にはならねぇぞ?」


 いきなり喋った俺に栗城は驚いた顔をする。


数秒したあと言葉の意味を理解して、目の前の顔がみるみる真っ赤になった。


「うるせえッ! 死んだ魚みてぇな目したクソオタクがッ! クソ、死ね! 死ね!」


 顔面を殴られる。こいつらの暴力は中途半端でまるで痛くない。反撃されることも知らない素人のくせに、るなよ。


『俺が相棒の痛覚を遮断してるのもあるけどな。クソ野郎にはてきめんに効いてるぜ。やっちまえよ、相棒』


 ああ、『葬儀屋』。やってやるよ。


 頭の中で更に強く杭を握り、ぞぶぞぶと栗城の胸を深く貫く。容赦は一切、しない。




「お前、親父みたいになりたいのか?」


 俺の一言に、栗城の拳がぴたりと止まる。顔がみるみる青くなる。他の四人もたじろいでいた。にやりと、俺は笑う。さあ、戦争をしようじゃあないか。俺は胸を抉る手を緩めない。口も止めない。


「学年中に広まってるぞ。顔と口のガーゼ、痣も親父にやられたんだろ。親父と同じように、うまくいかないことがあるからって他人をサンドバッグにしてストレス解消するクソ野郎になりたいのか? ああ、そうだろうな。おめでとう、鏡見るか? お前はご立派な親父そっくりだよ。そりゃあ母親もお前だけ残して出ていくよな。親子そろって人を傷つけるしか能のない産業廃棄物なんだ、丸ごと捨てて正解だよ。目が死んでる? オタク? 陰キャ? どんな理屈だよ。目が死んでたら殴っていいのか? オタクでなにがいけないんだ? 群れて他人を傷つけるお前らのほうがよっぽど有害じゃねえか、お前らこそ調子乗るなよ人間のクズ共が。そもそもお前ら、一体なんの権利があって他人を殴っていいと思ってるんだ? お前らが俺を殴る権利があるってんなら、まず天野に死ぬまで殴られてからだろゲロカス。傷害罪の前科持ちになりたいのか? 栗城藍、お前は本当に親父と同類になりてぇのか? お前を傷つけてる奴と同レベルに堕ちたいのか? もう高校生のくせになにしてんだ? 成人するまで、猶予なんざ三年もねぇぞ」


「……ッ、ぅあ」


 栗城の顔が泣きそうに歪んだ。他の奴らも手を出せないでいる。


 ぼろぼろと、歪んだ顔から涙と鼻水がこぼれる。汚えなクソが。


「俺は……俺はッ! ぅ、あぁぁあぁ!」


「別に泣いても喚いても、お前に学校生活潰された天野は戻ってこないし、お前らが俺を殴った事実も変わらねぇけどな。俺は? 俺はなんだ? 知るかよ。色々抱えてるのはお前だけじゃねぇだろ。単純にお前ら全員、酔っ払いがドブに吐いたゲロ以下に性格がド汚えクソなだけだっつーの。反論されただけで被害者ヅラか? おめでてーなクズが。……さて残り。きくながあつきなつむらきよしほとはらひでつじたにとおる


 顔色がすっかり変わって突っ立っていた四人の名前を呼ぶ。全員、びくりと身をすくませた。


『そうだ相棒、それでいい』


『葬儀屋』が言う。逃がすかよ、クソ共が。


 SNSのお前らの本名アカウントは捨てアカウントで特定してある。下調べはきっちり済んでるんだ。


「黒羽! 黒羽聖司!」


 太い声で名前を呼ばれる。ビール腹にジャージを着た男がどすどすと走ってきた。


 サッカー部の顧問で三組の担任、いのはらげんだ。

 見て見ぬ振りをしてたくせに、自分の可愛がっている生徒が劣勢になったらこの剣幕だ。

 攻撃対象に設定。ロックオン。

 目の前に、五本の白い杭が並ぶ。



「なんですか、先生。俺はこいつらに呼び出されただけですけど。なぁお前ら。先生も一緒に、じぃっくり、お話しようなぁ?」


 俺は、にっこりと笑う。

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