第3話 桜の下で舞う少女と、心臓を貫かれた少年 3


 鬼切さんが俺を見下ろす。


黒いセーラー服に紅い瞳、学校にいるときと変わらない無表情だ。


 彼女は何も言わない。


 俺のか細くなっていく呼吸音だけが、やけに大きく聞こえる。



『合理主義のお前らしくもねぇことをしたからこうなるんだ。どうだ? 死ぬ気分は』


別人格が問いかけてくる。


ああ。俺らしくないと思ってるよ。


 頭の中の、もう一人の俺に返事をする。


 俺は頭の中に別人格を作る程度には壊れているが、理屈の通らないことはしない主義だった。


 鬼切さんを助けたかったから、仕方ないんだよ。


 あんな寂しそうな顔で戦ってるの見たら、理屈なんてすっ飛ぶだろ。


 俺が助けなきゃ、この世に繋ぎ止めなきゃ、すぐ死んでしまいそうだったじゃあないか。


『ま、それもそうだな。代わりに相棒、お前は死ぬけど』


 あっけないものだ。


  死ぬってもっとこう、なんというか一大イベントだと思っていた。言うなれば、映画のクライマックスのような。


 こうしてみると日々の出来事の一つに過ぎない。こんなもんか、とすら思う。


 家族は泣くだろうか。 両親はおそらく動じないだろう。


 妹には悪いことをしたと思うけれど、割とどうでもいいと思っているあたり俺も薄情だ。


 いざ死ぬとなると、思ったより腹は据わっている。


もう終わる、という実感だけがある。


 頬に、あたたかいものが触れた。いや、俺が冷たいのか。


 鬼切さんのてのひらだった。


頬に手を添えられて、上を向かされる。



「キミは、どうしてわたしを助けたの?」


 彼女が顔を寄せて、無表情のまま問う。


夜に光る紅い瞳が、じっと俺の目を見つめる。


 俺はひどく重たい腕をあげて、鬼切さんに向かって手を伸ばす。


伸ばそうとしただけで、もうまともに身体なんか動いてくれない。


ああ、畜生。情けないな、俺。


 少し悲しかった。


こんなにボロボロになってまで、もう死ぬ俺の心配なんかしないでくれよ。


 笑ってほしい、そう思った。


 鬼切さんが生きていてくれてよかった。俺は心から安心する。


 死ぬのが俺で、本当によかった。これで彼女は助かった。




 ありがとう、クソッタレな世界。さようなら、クソッタレな人生。


 笑う。正確には、笑おうとした。うまく笑えているだろうか。もういよいよ命が尽きるらしく、頬の筋肉さえうまく動かない。ひどくいびな顔になっていることだろう。



 俺、かっこ悪いなあ。


せめて最期くらい、笑って彼女の記憶に残りたかったのになあ。


 鬼切さんは無表情で俺を見つめている。気のせいだろうか、泣きそうな顔をしているように見える。


 だとしたら、泣く必要なんてないんだ。俺は、きみに笑ってほしい。


 鬼切さん。


 頬に添えられた手を、握りたい。大丈夫だと言ってやりたい。なのに動けない。


 俺のことなんかどうでもいい。 なくした右腕は痛くないだろうか。傷は大丈夫だろうか。


 みんなを守るためとか言っていたけど、きみがこんなに傷つかなくていいんだ。


 鬼切さんの心と身体が、とにかく心配だった。





『みんなを守れるなら、わたしなんか死んだって、どうなったっていいんだ!』



 悲鳴のようだった彼女の言葉を思い出す。


もうないはずの心臓が締め付けられる。あともう少し身体が動けば、手を握って、頭を撫でてやりたかった。


 もし叶うなら、最期に話がしたかった。言いたいことが、あった気がする。けれどひどく眠くて寒くて、もう何も言えない。


 俺は、鬼切ざくろをこの世に繋ぎ止めたかった。文字通り死んでもいいくらいに。


 どうか、これからは彼女がひとりぼっちで戦わずにすみますように。


 どうか、これ以上彼女が自分を粗末にしませんように。


 


  さよなら、鬼切さん。


  地面の底に吸い込まれるように、俺は目を閉じた。

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