第2話 桜の下で舞う少女と、心臓を貫かれた少年 2

 彼女が、べっと口の中に溜まっていた血の塊を吐き捨てる。


残った左手で刀のつかをしっかりと握り直し、セーラー服の赤いスカーフを口で巻きつけて固定した。


「いくよ」


 全身の傷も、なくなっている右腕も、まるで意に介さない淡々とした声だった。


 ぎゃり、と地面を削るような音がした。落ちた桜の花びらが舞い上がる。

 目にもとまらぬ速度で鬼切さんが動き、元の位置に戻った。

 同時に、バケモノの一体が黒いちりになってざぁ、と夜風に流れる。


 ああ、なるほど。


 右脚を軸に回転し、その勢いで怪物を斬り倒したのか。と、数秒考えてわかった。


 俺が納得する頃には、彼女はもう動き出している。


「次」


 もう一体のバケモノにひとっびで接近し、逆袈裟に斬りつけて殺す。


「次」


 塵になったバケモノを目視確認したあと、戸惑っている様子のマネキンピンク肉柱に向かって駆ける。


 バケモノもやられてばかりではいない。青白い手脚を伸ばして鬼切さんを攻撃する。

 彼女は全てかみひとでかわして、斬り倒しては次の標的めがけて走る。

マネキンの手脚が当たれば当然血が流れるが、鬼切さんはまるで気にする様子がない。


 

 俺は悟る。


 彼女は、俺と同じだ。


 ひとりきりで、誰にも顧みられず戦っている。


 誰にも、自分自身からも顧みられない。自分なんかどうだっていい。


だから、他人のためにいくらでも自分を粗末にする。


 見返りなんて期待しない、自分は見返りをもらえるほど価値のある人間ではないからだ。


 夢のような光景を見ながら、俺はどうしようもない憤りを感じていた。


 鬼切ざくろという少女を助けたい。


俺が助けなければ、彼女を認めてやらなければならない。



 そうじゃなければ、あんまりにも寂しいじゃあないか。


 ひとりぼっちでぼろぼろで自分を粗末にする女の子を、この世に繋ぎ止めなくてはならない。


 俺が、この命を捨ててでも。




だから、俺はためわなかった。


 背後から鬼切さんの心臓を狙っていたバケモノ。


 そいつが伸ばしていた、マネキンの白い腕。


 彼女の意識の外にあった青白い腕は、放っておけば間違いなく鬼切さんの心臓を貫くだろう。


 俺は、腕の軌道上に、迷わず身を投げ出す。


 バケモノの腕は、鬼切さんの代わりに俺の心臓を正確に貫いて潰した。




 俺は、鬼切さんのために、死ぬことにしたのだ。

 

『あーあ。まあ、これが最善手だよなぁ』

 頭の中から声がする。いつもの癖の、自問自答ってやつだ。

気が合うな、俺もそう思うよ。

「が、ひゅっ」

 俺は脳内の声に答える代わりに、を吐いた。


「キミ、は!?」

 鬼切さんは驚いた様子だが、まあ許してほしい。

 俺の心臓を握り潰したバケモノも突然割り込まれて戸惑っているらしく、彼女がすきを逃さず斬り殺した。

 お前らごときが俺をどうしようが、知ったことか。

 俺の心臓は、鬼切ざくろのものだ。

 ああ、神様。アンタを信じたことはなかったけど、謝るよ。

 俺のクソッタレな人生は、最期に鬼切さんを助けるためにあったんだ。

 失血で急激に身体が冷えていく中、俺は生まれて初めて神様に感謝した。

 倒れた身体の下に赤黒い、大きな血溜まりができている。

 これじゃ助かるのは無理だ。

 鬼切さんは、殺し合いを続けている。

 怪我をしないでくれ、頼むよ。

 なんで空が赤いのかとか、なんで月が黒いのかとか、なんでバケモノがいるのかとか。

 俺が死ぬこととか。

 そういう些細なことは、心底どうでもいい。

俺は、彼女がこれ以上傷つくのが嫌だった。

 いつの間にか、バケモノは最後の一体になっている。

「いくよ、『あやきり』。これで、最後」

 一度だけ俺に向けられたことがある、鈴の鳴るような澄んだ声。

鬼切さんが、はっきりと口にする。

 だぁん、と彼女が跳ぶ。

どういう原理かはもうどうでもいい。

  一段、二段、三段と空中を蹴って、駆け上がる。

 マネキンピンク肉柱が腕を伸ばすけれど、鬼切さんの頬を皮一枚切っただけに終わる。

「どおぉぉぉ、りゃあぁぁぁぁあ!」

 鬼切ざくろが、黒い月を背に降ってくる。

 ほのあかく光る日本刀の刃が、バケモノを縦二つに断ち斬った。

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