混乱

 三峰たちはようやく浦山ダムに到着した。ここから進藤トモヤの写真と、同じ景色が見えるところを探さなくてはいけない。


「恐らくもっとあっちの方です」浜田が一度車から降りて、SNSの写真と見比べる。徐々にだが景色は重なってきている。山道を進んでいくと前方に立派な建物が見えてきた。その建物は宿泊施設ではない。恐らく個人が所有している別荘か何かだろう。


 三峰はここに飯島ジュンゴたちが居ると確信した。別荘の前の駐車場には黒いミニバンが止まっていた。浜田の予想は結局命中していたのだ。


「志田さん。ここで間違いないですね」


「‥‥あぁ」


 志田は浮かない顔で頷いた。娘のことを思い出して、少しナイーブになっているのかもしれない。


 しかし何故かその別荘に差し掛かる道の脇に、一台のタクシーが止まっていた。その運転手は自分たちに気がついたのか、窓から顔を出した。


「何かこの屋敷に用ですか?」運転手はそう言った。むしろそれを聞きたいのは自分たちの方だと三峰は思った。


「須田さんじゃないですか!? こんな所でどうしたんですか!?」後からやってきた山本が突然大きな声を出した。この運転手は山本の知り合いだろうか。


「大声出さないでよ。ここに少年たちがいるかもしれないんだから」


 しかし、三峰の注意も聞かず山本は話し続ける。「この方は須田萌乃さんの父親です。まさかこんな所で会うとは思いませんでしたけど」


「こちらこそだよ刑事さん。俺はここで休憩してたんだが‥‥ここに誰かいるのか?」


 被害者の娘なら知る権利はある。三峰はそう思い志田を見た。しかし志田はただ別荘を見つめていた。そんな三峰の代わりに山本が答えた。


「須田さんの娘さんを襲った犯人が恐らくここにいます。絶対に確保するので安心してください」


 運転手は突然のことに整理がつかないのか、状況の理解が追いついていない様子だった。とにかく今は確保が先だと三峰は思った。


「とにかく危ないので近寄らないでください」


 そう言い残し別荘へと近づいていく。扉に耳を近づけると中から話し声のようなものが聞こえて来る。中にいる。三峰は脅し程度には使えると思い、警棒を握りしめた。浜田と山本は少年たちを取り逃がさないように別荘の外で待機をさせる。


 三峰は音がしないように静かにドアを開く。しかしドアにはチェーンが付けられている。三峰は胸に入っていたボールペンでチェーンを難なく外す。このような縦についているチェーンは、細いものがあれば簡単に開くことができる。


 U字ロックも輪ゴムがあれば外から開くことが出来るのは、三峰には常識程度のことだった。扉を開き、三峰と志田は土足のまま侵入していく。どうやら話し声は前方のリビングから聞こえてくるようだ。


 小声で三峰は志田に呟く。「‥‥一気に行きましょうか?」その問いに志田は黙って頷いた。


「警察です! 手を挙げなさいっ!!」


 しかし、三峰は目の前に広がっていた景色が思いもよらぬもので驚いてしまった。そこには白石仁が赤く染まったナイフを持ち、その横には初めて見る少女。


 捕獲すべき容疑者の少年たちは拘束されていた。進藤トモヤと飯島ジュンゴにおいては、身につけている衣服が赤く染まっている。


 そんな三峰たちを見て、飯島ジュンゴは叫んだ。「助けてくれっ!!!」


「じ、仁君。あなたがやったの‥‥?」


 三峰自身、状況が全く読めない。しかしあの手に持っているナイフで傷つけたとしか考えられなかった。


「‥‥警察か」仁はそう呟き、とても冷たい目で三峰のことを見た。


「何してるの仁君! その少年たちから離れなさいっ!!」


 仁は三峰のことを気に止める様子もなく静かに、拘束された三人の目の前にナイフを向ける。


「動かないでください三峰さん。動いたらこいつら殺しますよ」


 仁が言ったことは恐らく冗談なんかではない。犯罪者はみんな同じような目をしている。目の前の仁もそれらと同じ目をしていた。


「‥‥何が目的なの? ‥‥復讐?」


「そうですね。朱理の為の復讐です」


 仁は何かをポケットから取り出し、三峰の前に放り投げた。


「それ、返します」


 それは三峰がなくしていた手帳だった。やはりあの時ファミレスで忘れていたんだと三峰は思った。目の前の少年は完全に復讐心に支配されている。そんなことは絶対にさせてはならない。三峰はこの状況を打開する方法を模索していた。


「‥‥朱理ちゃんはそんなことをきっと望んでない。仁君にはきっと幸せになって欲しいと願っている筈」


 三峰は説得するしかないと思った。どうにか彼を心変わりさせ、絶対に殺人なんてさせてはならない。


「朱理の何があんたたちにわかるんだ!」


「分かるとは言えない‥‥。でも、絶対にこんなことは望んでる筈がないっ!!」


 仁はため息をついた。そしてビデオカメラを取り出し、それを三峰に向けた。


「‥‥こんなクズたちをこれでも生かしておこうと思いますか?」


 そこに映っていた映像を見て三峰は震え上がった。一人の無抵抗の少女を獣のように、欲望のままに蹂躙する三人の少年が映されていた。やはり今村朱理は脅されていたのだ。こんなものが流出したと考えると、もし自分が今村朱理の立場だったとしたらなんて恐ろしいことだと思った。


 仁はそのビデオカメラを床に落とし、思い切り何度も踏みつけた。


「‥‥それでもこの子たちに裁きを与えるのは仁君じゃない。法がしっかりと罰してくれる」


「その法が甘ちょろいって言ってんだよっ!! 人を死に追いやって、それで何年か反省して終わりなんておかしいだろっ! ふざけんなよ、この国も法律も最っ低だよっ!!!」


 三峰は仁の言っていることは正しいと思ってしまった。こんなことを少年に言わせてしまっていることが、どういうことなのか、それを見て見ぬ振りをしてはいけなかった。三峰だって、この事件にはとても腹が立っているし胸糞が悪い。でも、それでもーー。


「あなたの言っていることは正しい。気持ちはわかる。でも、人を殺したら仁君も同じになる。私はそんなことを絶対にさせないっ!!」


 しかし仁は興味がなさそうに冷たい目をして言った。「別にいい。もう生きてる意味なんて俺にはない」


 三峰は涙が出そうだった。仁は何も悪くないのに、彼は何もしていないのに、こんな奴らの為だけに大切な人生を狂わされたのだ。それでも大人としてここは三峰も引くわけにはいかない。彼はまだ誰も殺していない。今ならまだ引き返せる。


「もういい。もう殺す」


 仁がナイフを掲げた瞬間、三峰は気がつくと仁に拳銃を構えていた。


「その手を下ろして。言うことを聞かないなら私は発砲する」


 仁は一瞬驚いたような表情を見せた。まさか拳銃まで向けられるとは思っていなかったのだろう。しかしこれは三峰にとってあくまでハッタリだった。


「‥‥未成年の俺相手に発砲できるんですか? 今の時代、警察の動向はメディアのオモチャにされますよ」


「‥‥私は本気で言ってる」そう言って三峰は拳銃についている安全装置を外した。心の中では止まってくれと願うしかなかった。ここで仁に殺人をさせてしまっても、もしくは三峰が発砲したとしてもダメだ。何事もなく三人の少年を確保する道だけがハッピーエンドだった。


 仁との距離は一瞬で飛びかかるのには厳しい距離だった。三峰のすぐ後ろにいる志田にはもっての他だろう。どうにか隙を作り出すしかないと三峰は思った。


「‥‥三峰。銃を下ろせ」


 三峰は背後から聞こえた志田の声に振り向くと、そこには志田が拳銃を三峰に向けていた。


「し、志田さん。どうしたんですか‥‥?」


「俺もこういうガキを殺してしまいたいと願って生きてきた。白石仁。お前に電話をかけていたのは俺だ」


 志田が何を言っているのか、三峰には全く理解ができない。ただ、志田の持つ拳銃が三峰に向けられているということだけが事実だった。


「‥‥あんたが? ‥‥どうしてこいつらの居場所を知ってたんだ」


「そんなの簡単だ。なぁ長田茂?」


 志田は茂のことを見た。茂は怯えながら黙って首を何度も縦に振った。


「長田茂に絶対に警察に捕まらない所を知ってる。そこにいれば安全だと俺が知らせたんだよ。そこのバカは、警察の俺の言う事をまんまと信じたわけだ」


 三峰は頭が混乱していた。志田は初めから裏切っていたのだろうか。それともこれは仁を油断させる為のことなのだろうか。様々な思考が脳裏を駆け回る。


「三峰、覚えているか? コンビニの前で俺たち二人に気づいた、長田茂が逃げた時のことを。俺はあんとき長田茂のことを確保してたんだ」


「う、嘘ですよね志田さん‥‥?」


 しかし三峰の問いに志田は何も答えない。


「よく分かんないけど、メチャクチャだなおっさん」


 仁は笑っていた。裏で志田と仁は繋がっていて、仁の手助けをしていたということなのだろうか。三峰にはにわかに信じられなかった。


「こいつらは社会のゴミだ。別に殺したってどうってことはねぇさ」


 もうここには三峰の上司であった志田は存在していなかった。志田はさっき言った。「三峰の正義を信じろ」と。「絶対道を踏み外すな」と。あれはでまかせだったのだろうか。いや違った。あれは志田の本当の気持ちに違いなかった。


「志田さん‥‥どうして?」


 志田は咳払いをした。そしてタバコを取り出し火をつけた。


「三峰。俺は道を間違えたんだ。実はあの話の結末はちょいと違う。犯人の少年たちは釈放された後、再び強姦で捕まった。しかもその時も被害者は死亡した。俺は後悔したよ。奴らは全然反省しちゃいなかったんだ。俺はその時思ったよ、あの時殺しておくべきだったんじゃないかと」


「でも、この子たちはわからないじゃないですか!?」


 志田は天井を向きながら煙を吐いた。タバコの臭いがリビング中にすぐに広がっていく。


「被害者の気持ちはどうなる。被害者が犯罪者の更生を願ってるとお前は思うのか?」


 三峰は言葉に詰まった。三峰自身が信じていた正義とは本当に正義だったのだろうか。確かに法に則るのなら間違いなく正義だと言えるだろう。だが人の気持ちまでは法には含まれていない。法律とは所詮、人が作り出したものでシステムでしかない。


 だから、きっと志田がいうことは正しいのかもしれない。


「それに三峰、お前が今救おうとしてるのは誰だ?」


 三峰は気がついた。三峰自身、仁のことを救っているつもりだった。しかしそれは容疑者である少年たちをも守ることになっているのだ。矛盾している。正当に裁きを受けさせるために、三峰は彼らを守ろうとしている。


「お前は人を傷つけ、人の人生を壊した犯罪者が殺されるのはおかしいと思うか?」


 三峰は手が途端に震えてきた。拳銃を持つ手が震える。今まで自分は正しいと信じてここまで生きてきた。それが今この瞬間分からなかった。


「ふ、ふざけんなよっ! 助けろよ! 警察だろっ!!」


 飯島ジュンゴの声が聞こえる。考えてみたらおかしい話だ。自分たちは散々悪さをしておいて、今更助けを求めている。確かに志田の言う通り、彼らはきっと何の反省もしないだろう。そしてなぜか三峰自身は正義だのと言い、そんな彼らを守ろうとしている。


 何が正しいのかわからない。自分は正義という舞台の上で踊らされている道化のようだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る