到着

 思いもよらない事態で思ったよりも時間がかかってしまった。もう少しで着くというところの、少し先の道路で交通事故が発生してしまった。迂回しようにも後方も自動車は詰まっていて、花を乗せたタクシーは数時間立ち往生をしてしまった。


 ようやく道路は普段通り解放された時には、空はすっかり明るくなっていた。


「お客さん。申し訳ありませんでした。まさか事故が起こるなんて」


 運転手は申し訳なさそうに言ったが、事故なんて誰も予測することは出来ない。運転手は悪くない。それはわかっているが、花はとても焦っていた。


 到着した時、すでに手遅れだったらどうしよう。白石は目的を達成し自ら命を投げ打っている可能性すらある。さっきからGPSはずっと同じところで止まっている。きっと何かしらの接触をしているに違いない。


「大丈夫ですよ。もうすぐ着きますし」


 白石の元まではもう僅か。目の前には大きな水源が広がっている。ここは確か浦山ダム。日本屈指の大きさのダムだと聞いたことがある。実際に見たのは初めてだが、想像よりも広く大きいことに花は驚いていた。


「すいません。到着しました」


 タクシーが停車した先には建物が構えている。間違いなく白石はこの中にいる。


「ありがとうございます。これお金です」


 運転手とは濃いと言っていいのかわからないが、とても深い話をした。それゆえに花はもうこの運転手を他人だとは思っていなかった。


「‥‥殺すのですか?」


 普通だったらこんな質問を人に聞く人なんていないだろう。しかし花と運転手は似た感情を持っていた。それがたまたまこうして出会えたのはまさに偶然の奇跡と言ってもいいだろう。


「それは答えかねます。もし私が本当に殺したら、運転手さんも罪に問われるかもしれません」


「あなたは冷静で高潔な女性ですね。私は少し疲れました。ここでタクシーを止めて休憩でもしようと思います」


 そういって運転手は帽子を深く被った。花はタクシーから降り、酸素を肺いっぱいに吸った。空気が美味しい。こんな形ではなくて、もっと違う形でこの大自然に触れたかったなと花は思った。


 花はインターフォンを鳴らそうか悩んだ。そもそも白石と花の復讐の対象は三人。いくら武器を持っているとはいえ、白石が返り討ちにあっていてもおかしくはない。もしそうだとしたら白石は酷い目に遭っているかもしれない。


「‥‥ダメだ。落ち着け」


 どうにも白石のことを考えると最近胸が痛い。常に冷静で達観していたはずの自分が惑わされる。


 一応インターフォンを鳴らす決断を下し、花は静かにボタンに触れた。しかしなんの物音も聞こえてこない。もう一度鳴らしてみても、まるで誰もいないかのように静まり返っていた。最悪の事態が花の頭をよぎった。


 扉を開こうとすると、鍵は開いていなかったがチェーンが付けられていた。そこから中を覗くが奥までは見えなかった。


「‥‥た、助けてっ!!」中から声が聞こえてきた。誰かが助けを呼ぶ声だった。しかしこの声は白石の声ではなかった。さらに次の瞬間には痛みを堪えるような、悲痛の叫び声が聞こえてきた。お互いにまだ生きている可能性が高いと花は思った。


 花はすぐに中に入れる場所を探した。すると裏の窓が割れ、そこが段ボールで補強されているところを見つけた。花はすぐにそこから入り込み、別荘内の声の聞こえた先へと急ぐ。リビングに四人の人影が見えた。


 映像で見た三人が拘束され、その前には白石が立っていた。


「白石っ!!!」


 気がつくと花は大声を出していた。そこには彼に対しての色々な感情が込められていた。


「‥‥野田‥‥か」


 白石は花のことを見て、なんの驚きも示さなかった。その瞬間、やはりGPSのことは忘れていたわけではないのだと花は思った。


 彼の手に持つナイフは赤く染まっていた。花は慌てて三人を見るが、飯島ジュンゴは睨むように白石のことを見つめ、進藤トモヤは太腿の辺りを血で赤く染め、ぐったりとしている。長田茂だけは未だに無傷のように見える。


 三人とも生きている。そのことに花は少なからす安堵した。


「‥‥殺しちゃダメだよ。白石が殺しちゃいけない」


 花のセリフに拘束されていた三人は、まるで救世主が現れたような表情をして花を見る。


「‥‥わざわざ俺を止めに来たのか? 心変わりでもしたのか?」


「勘違いしないで。こいつらは私が殺す」


 白石はそんな花を見てため息をついた。ナイフを持つ手に力が入っている。花を見る三人の表情は希望から絶望に変わっていた。


「俺が殺さなきゃ意味がないんだ。そうじゃなきゃ朱理は‥‥」白石は言葉に詰まった。瞼からは涙が一粒落ちた。


「‥‥ダメ。白石が殺したら悲しむ人がいる。だからやらせるわけにはいかない」


「‥‥誰だよ、そんなやついないだろ」白石は花から目を逸らした。きっと彼自身もその存在は分かっているのだろう。


「両親。‥‥あと、私」


 白石は驚いた表情で花を見た。この時、花は自分が抱いた彼への想いの正体がようやく分かった。この最低な気持ちは朱理に顔向け出来ない。花はそんな自分に呆れ、小さく笑った。


「‥‥それでも、俺がこの手で殺したいんだ。そうしなきゃ俺は一生後悔をする」


 花はもう何を言っても無駄かもしれないと思った。自分が先に殺すしかない。そう思った。


「‥‥そっか。じゃあ私が先に殺すよ」しかし白石は花がそう言ったのと同時に、ナイフで飯島ジュンゴ肩を切り裂いた。飯島ジュンゴは痛みで顔を歪めている。白石はそれを見て嬉しそうに笑った。その笑顔は花の知る白石のものではなかった。


 完全に復讐を果たすことだけが原動力となっていた。思えば初めて家に行った時は、抜け殻のようになっていた。それでもこうして立ち直ったのは復讐という目的があったからだろう。


「野田。これ以上邪魔するならお前にも容赦はしない」


 怖い。花はそう思った。手に持っていたナイフは床に滑り落ちた。


 恐怖と同時に、白石をここまで変えてしまったこの三人が心底憎くかった。


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