夜に沈む 8

 屋敷は背の高い松の木々が立ち並ぶ山の麓に建っていた。

 ほかの家々と比べてはるかに荘厳な造りをした屋敷は、まるで西洋の貴族でも住んでいそうな佇まいである。

 太陽の光を反射させ眩しく輝く白い壁は、美しさと同時にその建物の歴史の深さを私たちに感じさせた。

 パルテノン神殿の柱のような縦に溝の入った太い円柱の柱が、玄関入り口の庇屋根を支えている。この柱にはシミや汚れが全くなく、また短く刈りこまれた庭の芝生や、落ち葉ひとつ浮いていない池はこの屋敷に住んでいる人間の几帳面さを物語っていた。


「ダグラスお爺さまはコウモリを捕まえられたのかしら」

 屋敷の女主人は私たち三人を応接間に案内する道すがら言った。

 お爺さんが毎日山でコウモリを追いかけているのは、この街では有名な話らしい。コウモリの代わりに蜘蛛が害虫駆除大臣に任命されていたことを伝えると、彼女はくすくすと笑った。


 四十歳前後と思われる女主人は名をアルマといい、先々代から受け継いだ事業を切り盛りするかたわら、五人の子供たちを女手一つで育て上げたタフな女性だった。現在はその事業は息子たちにバトンタッチし、気ままな隠居生活を送っているらしい。

 聞けばダグラスお爺さんとは旧知の仲で、彼が現役で漁師をやっていた頃は、彼が捕った魚を直接仕入れていたこともあったそうだ。そのためお爺さんの紹介だと言うとすんなり家に上げてくれた。


 明るい陽射しがさしこむ開放感のある広い応接間には革張りの椅子や、周囲の景色が映り込むほど磨き抜かれた机などが置いてあった。天井にはきらびやかなシャンデリアまでぶら下がっている。どれもこれも目利きのできない私でも一目で高級品だとわかるものばかりだった。

 四人の前には淹れたてのハーブティーが熱い湯気をたてていた。


 椅子にゆったりと腰掛けたアルマ夫人がティーカップを傾けながら尋ねる。「失礼ですけど、皆様はどういったご関係で?仕事のパートナーというわけでもなさそうだし…、お友達、というのもなんとなく違うわね」

「僕らは夫婦です」

「あなたと彼女が?だったらこちらのキュートなお耳の彼は二人のお友達かしら」

「いや、俺もナオの夫。俺とこいつとナオ、三人で夫婦や」

 黎がそう言うと夫人は「まあっ」と驚きの声を上げた。「二人があなたを見るときの目が優しかったのは、そういうことだったのね。一夫多妻…じゃなくて一妻多夫!とってもうらやましいわ。ねえナオさん、二人の男性から同時に愛されるというのはどんな感じなの?やっぱり夫の数が多いほうが身も心もより満たされるものなのかしら?」

「えっと…どう、でしょうね…」私はきらきらした目で矢継ぎ早に質問を投げかけてくるアルマ夫人に困惑しつつ、曖昧な返事をした。


 二人に目線でSOSを送ったが、真白は苦笑を浮かべるばかりで、黎に至ってはにやにやしながら「どんな感じなの?」と夫人に乗っかり意地悪な質問を投げかけてくる。いや、そもそも夫婦になってからまだ二日しか経っていないのだから、どんな感じも何もない。


「あ、あのっ。私の話はいいですから、人魚の水晶玉の話を聞かせてください!」私はこちらに身を乗り出しているアルマ夫人を押し返して言った。

 二人の前であらためて夫婦の話を持ちだされるは、なんとも恥ずかしい。まして“身も心も満たされるか”なんてセクハラまがいの質問だとなおさらだ。アルマ夫人は貞淑そうな見た目に反し、なかなか下世話なことを聞いてくるものだ。

「あら残念。もっといろいろ聞きたかったのに」

「すんませんね。うちの嫁さん、照れ屋なもんで」

「いいのよ気にしないで。夫の前では言えないことってあるものね。また今度、二人きりのときに根掘り葉掘り聞かせてもらうことにするわ」

 まだ諦めていなかったのか。というか根掘り葉掘りとはなんだ。


「そうそう、碧水晶あおすいしょうの話だったわね」夫人が思い出したように手を叩く。

「人魚から授けられた水晶玉の名前は、碧水晶というのですね」と真白。

「深い紺碧の色をたたえているから、碧水晶と一族の者は呼んでいたわ。それはそれは美しい水晶玉でね、中を覗くと海が見えたの。それに夜になると人魚の歌が聞こえるし、その歌を聴くと不思議な夢も見ることができた」


 覗くと海が見えるという話以外はダグラスお爺さんから聞いたことと一致している。ただ彼女の話がすべて過去形だったのが少しだけ引っかかった。

 私が尋ねる。「中を覗くと海が見えた、とはどういうことですか?」


「碧水晶の中には海の底が広がっていたの。桃色のサンゴ礁や、波に揺れる海藻、イソギンチャクの間を縫うように泳ぐ橙色のクマノミ、色とりどりの小魚たち…。まるで水晶玉の中に海を閉じ込めたみたいに、いろいろな美しい海の生物たちが、いきいきと動いていたの」

「夢で見た海の底の景色とそっくりやな」

「あなたたちもあの夢を見たのね」夫人が言った。彼女は困ったような、それでいて悲しむような表情を浮かべた。「だけどあなたたちが見た夢は本当の夢じゃないの。本来、碧水晶が見せてくれる夢は、もっと楽しい夢なのよ。色とりどりの海の世界で楽しく遊ぶ夢。だけど今アズーロの街が見ているのは、それとは正反対のひどく悲しいもの……。私のせいなのよ、夢が変わってしまったのは」


 あの夢が悲しい夢になってしまったのはアルマ夫人に関係がある?

 私は夫人の目をみた。彼女の言葉の意図を探ろうとした。

「それはどういう意味でしょう?」真白が問う。


 夫人は目を瞑り、ハーブティーを一口飲んだ。窓から差し込む日光が彼女の横顔を照らしている。伏せられた睫毛がわずかに揺れた。内に抱えた秘密を打ち明けるべきか否か迷っている、そんな感じだった。

 私たち三人はなにも言わず、彼女が自分から話しはじめるのを待った。こういった場合は無理に急かすと、かえって口を閉ざしてしまうということをみんな分かっていたのだ。


 夫人はしばらくの間黙り込んだあと、ようやく口を開いた。

「私は女でありながら先々代から受け継いだ会社を切り盛りしていた、というのはさっき伝えたわよね。

 私はその間にたくさんの人と渡り合ってきたの。信頼できる者、そうでない者、嘘をつく者、私を貶めようとする者…。だからね、人を見る目はあるつもりよ。

 私があなたたちを家にあげたのは、ダグラスお爺さまの紹介だからじゃない。私がこの目で見て信用できると思ったからよ」

 夫人はそこまで言って私の目を正面から見つめた。夫人の褐色の瞳が日光の下できらきらと輝いていた。

「あなたたちは私がこれから話すことを絶対に他言しないと約束できる?」

 私たち三人も彼女の目を見つめ、大きく頷いた。

「約束します。絶対に誰にも言いません」私が言う。


 アルマ夫人は引き結んでいた唇をふっと緩め、椅子から立ち上がった。その顔には決意と安堵の表情が浮かんでいた。

「ではどうぞこちらに。寝室に案内するわ」



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