夜に沈む 1

 黒鉄の汽車は水飛沫をきらめかせながら走っていた。

 車窓から見える色はたったの二色だけ。海の青と空の青とそれから入道雲の白。水平線の果ての果てまでそれ以外の景色は何もない。ときおり昼食を探している海鳥が窓のそばをかすめるくらいだろうか。


 信じられないことにこの汽車は海の上を走っている。

 どういう技術で造られたのかは分からないが、ヒノモトの港からアズーロの港まで線路で繋ぎ汽車を走らせている。


 アズーロは海の上にぽつんと浮かぶ小島である。

 この孤島周辺は潮の流れが複雑で天気も変わりやすい。それだけならば海に慣れた者にとってはどうってことない話なのだが、厄介なのがアズーロ近海に生息する人魚の存在だ。人魚の歌声には船を転覆させる魔力があり、どれだけ船の操縦に慣れた者だろうが、うっかり彼女たちが歌っているところに遭遇してしまえば一巻の終わりである。たとえ彼女たちに害意がなかったとしても。

 そのため天候や潮の流れ、そして人魚に左右されずにアズーロまでアクセスできるこの海上汽車が人々に重宝されているそうだ。


「子供みたいに窓にへばりついているが、そんなに珍しいかい」

 真白に声を掛けられ、私はようやく窓から顔を離した。私たち三人は四人掛けのボックスシートに座っていた。私の向かいの席には真白が、その隣の通路側の席には黎が座っている。黎の膝の上には空になった駅弁の容器が五個つみ上がっていた。

「映画の中みたいですごいじゃない。私がいた世界にはこんなすごい乗り物はなかったもの」

 私が目を輝かせながら答えると、真白はふっと口元を緩め「君は反応が純粋でかわいいな」といい、黎は「俺はナオのそういうところが好きやわ」と笑った。

 私はどういう反応をすればいいのか分からず曖昧な笑みを浮かべた。あまり他人に褒められ慣れていないので、ストレートに褒められると困ってしまう。しかも目の前に座る彼らは芸能人にも負けないほどの整った顔立ちをしているのだから尚更だ。


 私は恥ずかしさを誤魔化すように慌てて話題を変えた。

「そういえばアズーロには何をしに行くの?」

 仕事でアズーロという小島に行くとは聞いていたものの、具体的にどんなことをするのかまでは全く知らされていなかった。そもそもこの二人はいったい何の仕事をしているのだろう。

「トレジャーハントや、トレジャーハント」

「映画とかでよくある、山や海に隠された財宝を探し出すようなやつ?インディ・ジョーンズみたいな」

「あんな大冒険じゃないけど、そんな感じや」

「知人からアズーロに関する奇妙な噂を聞いてね」真白が黎の後につづける。「一カ月ほど前からアズーロに住む人々が毎晩同じ夢をみるようになったそうだ。青い海の底から海面を見上げている夢を」

「島民たちが共通の夢をみるというのは不思議だけど、そのことがトレジャーハントとどんな関係が?」

「僕たちが生業にしているのは骨董屋だ」

「骨董屋って、美術品とか古道具なんかを売っているあの?」意外だ。真白はなんとなくイメージができるが、黎が目利きをしている場面がいまいち想像できない。

「真白はともかく俺に目利きなんかできんのかって顔しとるな~」黎がこちらに身を乗り出して言う。

「べ、べつにそんなこと思ってないよ」

「ま、ナオの言う通りやけど」黎が親指で真白を指さした。「俺もこいつも目利きの能力はゼロ。なにが本物でなにが偽物かなんか、俺らにはさっぱりわからん」

「だけどうちの店には贋作は一つも置いていない。全て正真正銘の本物の逸品だ。それに偽物をつかまされたと顧客から苦情を言われたことも一度もない」真白がこちらに身を乗り出して尋ねる。「なぜ目利きの能力がない僕たちが、真作と贋作の区別をつけられるかわかるかい?」

 私は真白の青い瞳にどぎまぎしながら首を振った。端正な顔がいきなり目の前に現れるのは心臓に悪い。

「心を込めてつくられた品には、愛情や憎悪、悲しみなど様々な念が宿る。そして宿った念は大なり小なり周囲の生物に影響を与える。アズーロの住民たちがある日突然、共通夢を見はじめたようにね」

「つまり、奇妙な現象が起こっている場所には本物の骨董品が眠っている、ということ?」

 私の言葉に二人は大きく頷いた。


 なるほど、それなら目利きができなくても本物を手にすることができる。不思議なことが当たり前におこる異世界ならではの方法だろう。


「お、見えてきたで」黎が七個目の弁当を開封しかけていた手をとめ、窓の外に顔を向けた。「あの白い建物がぎょうさん並んでるのが、白亜の島アズーロや」


 白い波をうねらせる水面の向こうに浮かぶ小さな島。ギリシャの街並みを連想させる白い石造りの四角い家々、上空を旋回する海鳥の群れ、島の東側にある山の生き生きした緑の木々。それらが一枚の絵画となって私の視界に飛び込んできた。

「すごい…」

 私は思わずつぶやいていた。深夜残業ばかりで家と会社を行き来するだけだった元の世界では、決して見ることができない風景だった。

 山の麓には白い壁の大きな西洋風のお屋敷が立っていた。あそこにはいったいどんな人が住んでいるのだろう。


 黎が島の東側の山を指差した。「ほらあそこ、見えるか。山の崖の部分が洞窟になってるところがあるやろ。あそこには海賊が隠したお宝が眠ってるっていう噂があるんや」

 彼が指差した先には、海にむかってぽっかりと口を開けている洞窟があった。いわゆる青の洞窟と呼ばれる、波によって崖が削られることでできた海蝕洞だ。ここからでは奥の方まで見ることは出来ないが、たしかに彼の言う通りお宝が眠っていそうな雰囲気が漂っている。


「ヒノモトとはずいぶん雰囲気が違うね」と私。「少し海を渡っただけで建築様式まで変わるんだ」

 汽車に揺られていたのはせいぜい四十分ほどである。たったそれだけの距離なのにここまで様相が異なるとは驚きだ。

「当然だ。この世界には様々な種族が存在していて、それと同じ数だけ文化がある。こちらの地域では常識だったことが、隣の地域では通用しない、なんてことはよくある」

「争いが起こったりしないの?」

「基本的にはない。この世界の住人にとって、街や種族によって文化が異なるのは当たり前のことだ。だから肯定もしないし否定もしない。どんなに最悪な文化でも、その地域に入ったならそこのルールに従う。それがマナーだ」

「いちいち文句言ってたらキリないからな」と黎。

「それってすごくいいね」

 本心からの言葉だった。


 波が車窓に当たって砕ける。ひときわ大きな汽笛が鳴った。島の景色が大きくなるにつれて汽車は徐々にスピードを緩めていった。魚をくわえた海鳥が車窓を横切った一分後、私たち三人を乗せた水上汽車はアズーロの港に停車した。



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