第2話 赤い薔薇とまさか麻酔が・・

がん宣告を受けたのが2月の終わり。

クリニックの担当医O先生が某大学付属病院消化器内科の先生という事もあり、すぐにそちらへ転院することになった。

この病院は以前友人が入院していたことがありお見舞いで訪れたことがある。

まさかこんな大きな病院に自分が患者として通うようになるとは思ってもいなかった。

外来棟はガラス張りの広い吹き抜けのホールが最上階までつながっていて、陽の光が降り注ぎ明るく清潔で、私のイメージする病院の消毒液の匂いが立ちこめた閉鎖的な空間とはかけ離れていた。

この外来棟の陽光と開放感が、これから数年続く病院通いを支えてくれることになる。


執刀してくださるのは凄腕と評判らしいI先生のチームになり、早々に手術日程が誕生日前日の4/1日に決まった。


何度も通院し、何がなんだかわからないうちに、色々な検査を受け手術計画が進められていった。そして自分でも大腸がんの事を検索し始め、大きく開腹しなくとも、腹腔鏡手術という道もある事を知る。そして、ストーマ(人工肛門)になる可能性が高い事も知った…


当初開腹手術でいく計画だったけれど、I先生に腹腔鏡手術はできませんか?と聞いてみたら、先生は目を輝かせて、「やってみますか!」と。


まだ大腸がんでは術例が少なかったそうで、先生も腹腔鏡手術を試してみたかったのだろうか。それに患者からお願いされたのでは願ったり叶ったりという感じだったのだろうか。もちろん、私のお腹の中のがんの状態がその術法でいけるという確信があったのだろうけど、私としてはバッサリ切られるより、最小限の方がいい。傷も誰にも気がつかれないかもしれないし、早く退院できるかもしれないと思ったのだ。


入院日は手術一週間前に決まり、それまでの間に私たち夫婦はお互いにあれこれ検索しては話し合った。がんのステージが低ければ生存率も高いのだと、なるべくポジティブに考えるように、夫はいつもの明るさで支えてくれた。


入院後は腸閉塞防止のためか内臓の癒着を防ぐためなのか、痩せましょう、という事で流動食になった。重湯と具のない味噌汁やスープのみ。生まれて初めての食事制限は辛かった…近所に住む友人が差し入れてくれたジュースやお茶がとてもありがたかった。

検査がある以外は特にする事もなく、かといって貧血もひどいので運動も制限されベットで本を読みまくっていた。

この時に読んだ本は、船戸与一の「砂のクロニクル」と「かくも短き眠り」

夫が読んでいた本で一番私が手に取ることのなさそうなものを持ってきたのだった。今までの自分の人生とは違う、別世界に身を置いていたかったのかもしれない。

同室の方々は術後や抗ガン剤治療中で、起きる事も話す事もままならない状態で、とても静かな病室だったため、病室には生と死の両方の匂いが漂っているような気がして、読書の間だけでも別の空間に身を置き、平静を保つことが必要だった。


事務所から近い事もあり夫は毎日顔を出してくれた。

私たち行きつけのBarのバンド仲間や常連さんたちのたわいもない話や、仕事仲間の若手の頑張りや失敗談を面白おかしく話してくれた。

夫は話をする時の身振り手振りがとても面白いのだ。

指が長く大きな手で話にアクセントをつけていく。

その手の動きによる表現力は仕事ではプレゼンなどに生かされ、

バンドのボーカルとして活躍する時には歌に説得力をもたらした。


私たち夫婦の出会いは音楽、夫のバンドに誘われたことがきっかけで付き合うようになり結婚した。子育て中はバンド活動から離れていたが、娘たちが独立した後、再びバンド活動を再開したのだった。当初夫はドラムで私はキーボードだったが、再開し結成したブルースバンドで夫は昔からやりたかったボーカルを担当することになったのだ。そのバンドはオヤジバンドコンテストで優勝経験もあり、NHKのバンド自慢コンテストにも出演している。


手術前日、夫が大きな赤い薔薇の花束抱えてやって来た!

薔薇の香りが病室中に広がり同室の方々も華やかな甘い香りを喜んでくれた。照れ屋の夫に花束をもらったのはそれが初めてだった。

「赤い薔薇を抱えて歩くのちょっと恥ずかしかったぞ」

と照れていたその笑顔が忘れられない。

そしてその後、赤い薔薇が彼のトレードマークになったのだった。


教授も交えての手術説明と色々な同意書にサインをして、その後麻酔科の担当の先生が硬膜外麻酔の説明にやって来た。

硬膜外麻酔というのは脊椎の中にある脊髄近くの硬膜外腔という場所に麻酔薬をいれて、手術部位の痛みを無くす麻酔法で、手術をする箇所によって場所が変わるそうだ。その硬膜外麻酔が・・・


2008年4月1日、いよいよ手術当日。

約1週間の流動食と規則正しい生活で心身ともに冴え渡っていた。

病院の外の桜並木はほぼ満開となり、年度初めの世の中は前向きな風に包まれていたことだろう。

こんな春に手術をしなくてはいけないのか、という負の感情と、

こんな年度初めのめでたい日に桜満開の中手術できるのか、という正の感情が同居していた。


病室からベットのまま運ばれるのかと思っていたら、手術室前まで夫と二人で歩いていってドアの前で

「じゃあね」

「行ってらっしゃい、がんばれよ」

と短い言葉を交わし、別れる。

そんな、旅行にでもいくような、これからお腹の手術をするとは思えないような心境の中、手術室に入っていった。


手術室は無機質で清潔な、いわゆる病院という感じで、担当の看護師さんたちが手際良く準備をして手術用の服に着替えた私をベッドに導いてくれた。

部屋にはクラシックの交響曲が流れていた。

この交響曲はなんだっけ?

そんなことを考えながらもそのあとはまな板の上の鯉状態。

「全身麻酔から覚めても硬膜外麻酔が効いているから全く心配ないですよ」

と言われ安心して身を任せた。

「数を数えてくださいね」

という看護師さんの指示に、1か2までしか数えられなかったのではないか思われるような深い眠りに落ちていった。


どのくらい時間が経過したのか全くわからず不意にぼんやりと目覚めた。誰かが声を掛けているのが遠くの方から聞こえ、またそのまま眠りに落ちていった。


そして次に目覚めたのは病室のベッドの上だった。

それは今まで経験したことの無いような激しい痛みを伴った目覚めだったのだ。


夫がそばにいたので「痛い…」と打ち明けると、

「多少の痛みは仕方ないよ、がんばれ」と。

そうだね、仕方ないよね。


しかし痛みはその晩もおさまることなく、冷や汗をかきながらその痛みで気を失うようにうなされながらやり過ごし、夜を明かした。


夢の中だったのか、あちら側の世界への入り口だったのか、

気がつくと夜が明けて、病室の窓から春の陽光が差し込んでいた。

痛みは癒えていない。

朝、また来てくれた夫が、脂汗をかき痛みに耐えている私の異変に気付き、看護師さんに伝えてくれる。最初は「痛みは強く感じる人もいますからね」と相手にされなかったが、夫が

「こんなに痛がってるのにおかしい」

と何度か伝えてくれて、婦長さんが見に来きてくれたらなんと、硬膜外麻酔が効いていない事が判明する。どうやらちゃんと効く部分に刺さっていなかったらしい。


「あら大変…よく我慢できたわね…」


婦長さんのその言葉を聞き、夫も私も安心した。

わかってくれたのならいい。痛みに弱いのではなく、本当に心底痛かったのだとわかってくれたのならいい。


しかしながら、もう硬膜外麻酔をやり直す事は出来ないので点滴で痛み止めを入れることになった。効果は低いため痛みはあると思うけどがんばってくださいと言われたが、この時、呑気にも「切腹ってこんなだったんだろうなぁ…武士は大変だったなぁ…」とぼんやりと思ったのだ。


こうして人生初めての手術はかなり痛い思いをしたけれど、綺麗に患部も取り除かれ、かなり深く腸壁に広がってたものの、他に転移は認められずとりあえずステージ2と診断され、痛みも喜びに変わったのだった。

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