第3話 術後、そしてバンドメンバーとの別れ

病院のベッドで歳をひとつ重ねた。


術後、最初に起き上がる時にはものすごい吐き気とめまいがあったものの、直後の麻酔が効いていなかった痛みに比べたらなんてことはなかった。


痛みは、雲が晴れるように、ひと呼吸ひと呼吸、深呼吸をするたびににおさまっていった。


手術前から「術後はなるべく動いた方がいい」と言われていたので、頑張り屋な性格が顔を出し、点滴してる間は廊下の往復。点滴が取れてからは病棟の階段の昇り降り。ベッドの上では柔軟体操とヨガの呼吸法、とひたすら体を動かした。


痛み止めも含めた点滴は3日ほどで取れた。と言うより、早く取ってほしいと懇願したのだった。


血管が細いということが、がんになって初めてわかったのだけれど、血管が細いと色々と大変で、採血もベテラン看護師さんか医師じゃないと無理だったり、点滴も漏れたりして、もう刺せる血管がなくなってとても痛い手の甲にも刺されたりしていた。

点滴も苦痛なのだ。

なので多少の痛みは耐えられるので必要なければ外して欲しいとお願いしたのだ。


点滴も取れ痛みはあるものの、やっと自由の身になれた開放感から病棟を散歩し始め、そこには屋上があり、街が一望できることもささやかな楽しみになったのだ。


桜の季節。


お花見こそできないものの、春の空気は術後の経過を心地よく導いてくれた。

屋上散歩中、夫が「やっぱここか」と来てくれた事もあり、二人であの辺が事務所じゃない?と探したりもした。

事務所からはこの屋上が見えるのだ。しかし屋上から事務所は探せなかった。


食事は流動食が続いたけれど、確実に治っていく感じが空腹も忘れさせてくれた。多分、胃が小さくなったんだろう。


リハビリを兼ねた術後の入院生活は一週間で終わり、退院前に色々と生活の注意を受けた。

暴飲暴食をひかえる。

大腸が20センチ短くなっているので排便コントロールに気をつける。

便秘をしない。

1週間後の抜糸まで患部はシャワーで除菌(先生曰く日本の水道水は除菌効果抜群だとか…)


退院する頃には、食事も普通食にほぼ近づいていたけど、まだまだ油断はできない。とは言え、胃は元気なので早くいっぱい食べたいという欲望から食べ物ばかりが頭に浮かんだ。

約2週間入院中の食事制限で体重が5キロ以上落ちて、体も軽くなっていた。


退院の日、車で迎えに来てくれた夫のプレゼントはまた赤い薔薇だった。

嬉しかった。

今思い起こしても、がん患者なのに幸せの絶頂だったのだと思う。


その晩は夫がご飯を作ってくれて退院祝いの晩餐。何食べたのか、覚えてないんだ…ごめん…


退院後は、家事をしたり、軽くヨガしたりして徐々に普通の生活を取り戻すのも早かった。痛みもすっかり忘れ、手術を終えてもまだがん患者であることは変わりない状況と、短くなった腸とのお付き合いが始まった。


退院後、2週間ほど過ぎた

2008年4月19日、

以前より闘病中だったバンドメンバーの訃報が届いた…


私たちのバンドは前年2007年より活動を始めたのだけど、当初はドラマーMさんの闘病を元気づけるものだった。


スタジオでマウンテンのカバーから始まったセッション。その流れでこのバンドが始まり、Mさんの大好きなライブハウスで大好きなブルースを、単独ライブを決行したのが2007年の5/26日。


今でも、あのライブは忘れられない。


そして葬儀の事が忘れられない…


生き急ぐように、破天荒に生きたMさん。

その生き様はかっこよかった。彼のドラムでまたライブをやりたかった…

ドラム談義でしょっちゅう盛り上がり喧嘩もしてたという夫とMさん…

夫はとても落ち込むと同時に、私もやはり早く逝ってしまうんではないかととても心配してたんだと思う。

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