第16話 君主の器
フレデリク・フランシス・ブルーデネル伯の邸宅は、王城から蒸気車で十五分ほどの場所だった。呆れるほど広い敷地内には、手入れの行き届いた庭園や噴水、温室まであり、市民が自由に出入りできる憩いの場になっている。
「すごいですね」
「わたしの実家とは桁が違うわ」
ベスと共に、執事の後に続いて玄関扉をくぐる。ダンスホールのような玄関には、当主フレデリクが乗馬大会や剣術大会で獲得したトロフィーがずらりと並んでいた。
客間で出迎えたのは清楚な感じの背の高い夫人だった。内務大臣の娘、イザベラだ。
「ようこそお越しくださいました。我が家に妃殿下をお迎えでき、大変光栄にございます」
「会えて嬉しいわ。今日はありがとう」
曇り一つないガラス製の戸棚には、ちょこんとした姿がいかにも高貴な磁器のティーセットや、切子細工の美しいグラスが飾られている。
ダリア柄のソファに掛けると、召使の手でお茶と小さな菓子が給仕された。
「まあ、かわいらしいケーキですこと」
一つは薄紅色の生クリームとシロップ漬けにした赤すぐりで飾りつけたケーキ、もう一つはショコラケーキだ。
「私が作りました。主人には、自ら調理場に立つなどはしたないと叱られるのですが……」
「見た目も味も素晴らしいですわ。小さくて食べやすいし夫人の個性もあって。今度わたしのお茶会に持ってきてくださいな」
夫人は顔を赤くし、嬉しそうに笑った。
「めっそうもありません。精進いたします」
「ケーキ作りがお好きなのね」
「はい。主人に嫌な顔をされても叱られても、どうしてもこれだけはやめられなくて」
「その気持ち、よくわかるわ」
手作りケーキをわざわざ出してくれたのは、夫人の方もエリーゼにシンパシーを感じていたのだろう。
「もしお父上が大臣でなければ、あなたも職人を志せたと思う?」
夫人は曖昧に微笑み、答えるのを避けた。貴族の子は貴族として生き、職人の子は職人になる。例外はほぼないが、それでもエリーゼは考えても無意味だとは思わなかった。
その時フレデリクが現れ、テーブルの菓子をチラリと見る。
「よくお越しくださいました。ああ、このような低劣なものを大変失礼しました。職人の真似事など馬鹿馬鹿しいにも程がある。すぐに下げなさい」
控えていた召使に命じるが、その前にエリーゼは食べてしまった。
「全く低劣ではありません。夫人の腕前は宮廷でも通用します。わたしのお茶会にご招待しましたわ」
「それは大変名誉な事ですが、妃殿下のお顔に泥を塗ることになりませんか」
「心配には及びません。あなたのした事と比べれば、夫人のケーキは美容クリームですよ」
客間の空気が一変する。フレデリクは、エリーゼの宣戦布告を受け取ったようだ。
「全員下がりなさい。ここからは妃殿下と二人で話す」
夫人とベス、召使らが全員退室し、態勢が整った。
「一体、私が何をしたと?」
「二人きりなのだから、とぼけるのは時間の無駄というものでしょう。ユアンを貶めたのは、あなた自身の別の罪を隠すためよね。自白なさい」
フレデリクは鼻で軽く笑った。
「貶めた? 別の罪? 何のことを仰っているのかさっぱり分かりませんね」
「あなたはこの国では指折りの貴族かもしれないけれど、所詮は地主に過ぎないわね。あなたに税を納めてくれる領民がいるわけではないし、いくら伝統ある家柄でも君主ではない。だから今以上の権力を手にするには王女と結婚するしかなかったけれど、認めてもらえなかったのよね。内務大臣の娘ではあなたの望むものは与えてくれないし。あるいは義父の跡を継いで次の内務大臣になるつもりかしら? でも選挙に出馬して民衆から選ばれるために挨拶回りをするなんて、あなたのプライドが許さないわよね」
「何のことです?」
「一方でわたしは田舎の小国の出自で、あなたのような高貴な一族ではないけれど、祖国には魔鉱石があるわ。わたしの輿入れと同時に、アマデウス王国とピアニッシモ公国で向後五十年間にわたる通商条約が結ばれるの。わたしのおかげで人々の生活が豊かになり国が栄える。あなたにはもたらせない恵みを、わたしはこの国に与えられるのよ。お分かり?」
「だから何だと言うのです」
「今どき、伝統と血統だけではどこの国の王家も婿になど取ってくれなかったでしょう? だからあなたはわたしに敬意を払うべきだわ」
「……下賤な開拓者の血筋が!」
苛立ちと共に本性を現し始めた男に、エリーゼは一歩も引かなかった。お腹に力を込めて告げる。
「わたしの祖先が山を拓いて街を作り、その精神が今でも受け継がれたからこそ、魔鉱石を掘り当てたのよ。そして鉱山で命懸けの危険な仕事をしているのは、あなたの言う下賤の者たちです。この国の富は下賤の者たちに支えられているのですよ。いいえ、アマデウス王国に限ったことではないわ。どの世界でも国を支えるのは下々の民。血筋にしがみつき、民を蔑むあなたは君主の器ではないわ」
フレデリクの瞳が怒りに燃える。だが怒っているのはエリーゼも同じだった。
「ユアンが黙秘しているのは、殿下の秘密に関わることだから。あなたはそれを逆手に取り、卑怯な行いをしたわね」
「彼は黙っているのだから、私が真実だ」
「もう一度言います。自白なさい。そうすれば酌量をわたしから国王陛下に願い出ましょう」
「生憎、妃殿下よりも私の方が古参でしてね、近衛隊長なので陛下とも近しい立場なんですよ。あなたよりも」
「ではなぜカトリ王女との結婚を反対されてしまったのかしらね。あなた、最も身近な奥方の夢ですら否定しているでしょう。ご自身よりも低劣なはずの奥方が好きな事をしているのが、そんなに不満なの? 野心はあってもプライドが邪魔して身動きできず、王族にもしてもらえなかった哀れな方」
低劣だの馬鹿馬鹿しいだの言いながら、この夫は八つ当たりをしているだけなのだ。
ついにフレデリクが立ち上がる。エリーゼは足の震えを悟られないよう、スカートの上から膝をギュッとつかんだ。
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