第14話 秘密の告白
ガッタンゴットン縦横に揺さぶられ、下からの衝撃もくる。真っ暗で左右も分からぬ中でこれはきつい。本気で吐くかもと思った矢先、ガチャリと留金を外す音がして蓋が開けられた。
「エリーゼ様! 大丈夫で——」
「吐きそう……うぅ」
行李箱から身を乗り出すと、感じる風が王都アスティと違う。ダンが水筒を差し出してくれた。顔を上げると、目の前の景色に晴れやかな気持ちになる。
草と木々が広がっていた。建物と人が競うようにコンクリートにひしめき合う、都会の喧騒はどこにもない。まるで故郷のピアニッシモ公国のようだ。離れてまだ三ヶ月程しか経っていないのに、懐かしさで胸がいっぱいになる。
「ここなら記者や人目を気にせず、エリーゼ様がのんびりできると思って。気に入りましたか?」
地面は一面、新芽の絨毯で埋め尽くされ、上には淡い黄色や黄緑色が混ざった木立。木漏れ日が優しく照らしている。視線を右に移せば、そちらは白い水仙の花畑だ。
「忘れていたわ。いつも見ていたはずの景色なのに」
向こうで敷物を敷いて椅子を並べ始めたナタリーが、大きな声で呼んでいる。
「今行くわ!」
行李箱から飛び出して、エリーゼは新緑を踏んだ。ああ、土って柔らかかったんだわ。走っても足が痛くない。みずみずしい草の香りがなんて心地良いの。パンプスが脱げそう。でもいいわ!
左の靴がすぽんと脱げて、エリーゼはふかふかの緑の中に転倒した。ナタリーとダンがあわてて駆け寄るが、エリーゼは笑っている。
「エリーゼ様、楽しそうだね。あたしも転がろっと」
ナタリーが隣に横になり、一緒に上を見上げる。
「ここはどこなの?」
「王都を出て車で四十分くらい南に走ったよ」
「もしかしてあの蒸気車トラックの荷台に、わたしが入った行李箱を乗せて?」
「そうだよ。ずっとダンが支えてたけどさ、結構揺れただろ?」
「ええ! 吐きそうになるくらい」
こんな風に気兼ねなく笑えるのはいつ以来だろうか。
木立から透ける高い青空は澄みわたり、不意に涙が出そうになる。ずっと追い詰められていた気になったのだ。クリスのため、祖国の家族と民のため、アマデウス王国のために、ずっと。
しばらくぼうっと空を見上げた後、敷物に座って食事になった。運転手の親方は、今度はみんなの分の弁当を広げている。
「料理はうちの家内が作ったんで、エリーゼ様のお口に合うかどうか」
甘辛いタレに漬け込んだ鶏肉に、マッシュポテトはなめらかに濾されている。これを野菜と一緒に全部胚芽パンに挟んで、親方とダンはかぶりついているが、エリーゼは皿に取って別々に食べた。
「とっても良い味ですよ。親方、今度これも納品してくださいな」
「いやいやとんでもねぇ!」
あとはカットしたチーズに、小さなかごに山盛りのイチゴとシンプルながら、外で食べるというのがいい。
「ピアニッシモ公国でも、よくこうして外で食事をしました。父がオレンジを絞ってジュースを作ってくれて、母は得意のチェリーカスタードパイを焼いて。マンドリンを弾いて祖母が歌い、姉と兄が踊って、弟とわたしは木の実の殻をぶつけ合って遊んだわ」
「うわぁ、さっすが絵に描いたような貴族の暮らし」
「そうかしら? アマデウス王国の貴族に比べたら貧相なものよ」
「だって兄と妹で踊るなんて、うちじゃ絶ーっ対ありえないもん」
「ないない。ありえねえですよ」
珍しく兄妹で意見がピッタリ揃ったのがツボに入ってしまい、エリーゼはお腹を抱えて笑った。
食事を終えるとスケッチブックを取り出し、ナタリーと思い思いにデザイン画を描く。ダイニングチェアの背に彫りこむ模様や、引き出しの表面にあしらう葡萄のツル模様などマニアックな部分を描いては「キャー! それ良いわっ!」「でっしょ? エリーゼ様なら分かり合えると思ってたー!」と二人でジタバタして萌えた。
親方は少し離れたところでパイプをふかしている。
「エリーゼ様、向こうにきれいな小川がありました。行ってみましょうよ」
ダンに誘われ、ブルーベルが咲く小路を歩く。鳥の声がすぐ近くで聞こえて、頭上を見上げた。
「コマドリですよ。ほら、あそこ。柿色のがいるでしょう」
「ダンは王都育ちなのでしょう? それなのに見ただけでわかるなんて、物知りなのね」
「そうですか? よく見れば王都にも自然はあるし、鳥くらいいますって。王城にも森があるでしょう」
「そうね、今度散策してみようかしら」
「あそこには大蛇の住処があるので気をつけた方がいいですよ」
「大蛇⁉︎」
以前に王子が伯爵夫人のお茶会を大蛇の巣と例えたのを思い出したが、そうではないようだ。
「悪い子を探して、夜中にすごい速さで城内を這いずり回るんです。戸棚の中、クローゼットの中、トイレの中。どこに隠れていても大蛇は必ず見つけ出して、一飲みに食っちまうって」
「まぁ怖い」
「だから大蛇に食われたくなきゃ、決して秘密を喋っちゃならねえと、母親からきつく言われたもんです」
ざあっと木立が風に煽られる。
突如ナイフを突き立てられたように、エリーゼの息が止まった。
一体何の秘密なのか。やり過ごすために「そう」と相槌だけを打つことにした。
「足元が悪いですから気をつけて」
差し出されたダンの手を取るかどうか迷う。しかし断るのも不自然なので、手を重ねて倒木を飛び越える。繋いだ手を離さずに、ダンはそのまま歩き続けた。
「オレもエリーゼ様と同じ、秘密を抱える者なんですよ」
「なっ、なんのこと?」
声が裏返ってしまった。ダンはいつもの屈託ない顔で笑う。
「エリーゼ様って隠すの下手ですねぇ。ヤバいって顔に書いてありますよ」
「なっ……何でもないわ!」
「殿下はオレのこと、覚えてましたか?」
そう言うと、空いた右手で前髪をかき上げてみせた。きれいな形の額が露わになると、髪型と顔立ちにはどこか見覚えがある。
「……イーサン、なの?」
ユアンに似ているのだ。
「殿下は忘れてなかったんですね。嬉しいな」
一緒に遊んだという昔を懐かしむように笑んだ。
ようやく離された手で、エリーゼは口元を覆うしかなかった。衝撃に手が震えている。
「オレとナタリーは本当の兄妹じゃないんですよ。ナタリーは親方の姪っ子だけど、オレだけ別で。子供の頃に王城から連れ出されて、遠い田舎の指物職人に引き取られました。それから間もなく流行り病で養父が死んじまって、今の工房に養子で迎えられたのは偶然です。まさか宮廷に関わるようになるなんて思いもしなかったですよ」
たどり着いた小さな清流は、水の音が心地よいはずだが、今はそうと感じられない。血が上った頭ごと浸かりたい気分だった。
「あなたの目的は何? 記者へリークしたのもあなたなの?」
「違いますよ! 誓って、オレはそんなことしてません。記事が出たのは、オレがコーヒースタンドで記者を止めなかったせいかもしれねえですけど。でもオレはただ、エリーゼ様がお一人で苦しいんじゃないかと思って。目的なんてそんなの、ねえです」
「ごめんなさい。でも、誰も信じられないのよ」
ダンのことだけは疑いたくなかった。秘密とは関係ないからこそ安らげた。けれどもそれはエリーゼの幻想に過ぎず、最初から最も深いところで知っていたなんて。
クリスが気づいたのは工房を訪れた時だろうか。エリーゼにダンを勧めてきたのは、失ったはずの幼馴染みが生きていて嬉しかったからなのか。
「エリーゼ様」
ダンはもう一度エリーゼの手を取った。
「オレはもう宮廷の人間じゃありません。秘密をバラしたところで何の得もねえです。でも秘密を抱えて嘘をつき続ける苦しみは分かります。あなたの力になりたいんです。身分違いなのは分かってますけど、一目会った時からずっと」
婚礼祝いにダンが作ってくれた
そしてダンは、製作に向き合っている時が何より幸せという顔をしていた。時間を忘れて木材と対峙する時の、厳しさと優しさという相反するものを内包した職人の眼差し。その横顔を見ていると、温かい気持ちになって、なぜか体が熱くなる。ずっと隣で見ていたいけれど、いけないと思っていつも途中で目を逸らしてきた。
「ずっと苦しかったのよ。あなたがわたしを、嘘なんてついてるはずがないと言ったから。あなたを騙していると思ったら、苦しくて……」
「すいません。わざとでした。そうでもしなきゃ、オレのことなんて気にしてくれないでしょう?」
「ひどいわ」
強い力で腕の中に抱きしめられた。
「すいません。何度でも謝りますけど、離しません」
クリスとは違う、男性の大きな胸と力強い腕だ。首筋から木材のような香ばしい匂いを感じ、愛しさが湧き上がる。嘘をつき通すために心を許してはならないと決心したばかりなのに。
あっさりと自分を見失わせる、これが恋なのかしら。
「……もうあなたに嘘はつかなくていいのね」
「オレは味方ですよ。何があっても、絶対に」
「好きになってはいけないと思っていたのよ」
「オレだって。それに打ち明けるべきかずいぶん悩みました」
彼もまた、秘密に関わったことで人生を大きく曲げられた人だ。それを思うと何と言っていいか、エリーゼは口をつぐんだ。
「そうだ、ナタリーはオレを本当の兄貴だと思ってるんです。秘密を増やしちまいますけど、言わないでやってくださいね」
「血は繋がっていなくても、あなたたちは本当の家族だと思うわ」
「そうなんです。全然寂しくなかったし、職人の生き方が天職だって、いつか殿下に伝えたくて。オレはついてるんですよ」
「ありがとう。殿下を恨まないでいてくれて」
思った以上に近くで目が合って、恥ずかしくて顔をうずめた。ダンはそれ以上無理強いはせず、もう一度ぎゅっと抱きしめてくれた。
帰りのトラックでは途中まで運転席の横に座らせてもらったが、王都近くでまた行李箱へ入った。親方とダンに両側を持たれ、ゆらゆら城内を運ばれていく。
「うあああああああああぁぁぁあああっ!」
その絶叫は、箱の中からでもよく聞こえた。
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