第13話 素敵な計画
その夜、クリスはなかなか夫婦の寝室に現れなかった。
何かトラブルがあったとも聞いていないし、こんなに遅くなることは今までなかった。胸騒ぎがして眠れず、部屋まで行ってみようか、いやそれでは小姑のようだし、妻というのはどんと構えていないと、など寝台の上で二時間以上逡巡していると、ようやくパタンとドアが閉まる音がする。
だが足音が違う。エリーゼが身を固くし警戒すると「起きていらっしゃいますか、妃殿下」と、遠慮がちに声がかけられた。
「ユアン。どうしたの」
寝台から下りると、天蓋の幕の向こうにユアンが立っている。
「殿下になにかあったの?」
「やはり……、こちらにもいらしていないのですね」
「えっ、行方不明なの?」
夕食は侍医に言われた通りお酒は控えていたが、他に変わったことはなかった。
「その後、少し憂鬱そうなお顔はされていたのです。傷が痛むのかと思っていたのですが」
着替えに呼ばれないのでおかしいと思い、部屋を訪ねるともぬけの殻だったという。
「気分転換に外の空気を吸いに行かれたんじゃないかしら」
「それなら私に一言仰るはずです」
「だとすると、やっぱり何か隠していらっしゃるわよね」
「そう思います」
気になるのは、日中の試合での囁きだ。
「フレデリク隊長は信用できる人なの? 殿下との付き合いは長いのでしょう?」
「家柄は申し分ないですし、国王陛下が殿下を託した方ですので」
エリーゼは顎に手を当てた。
その時、もう一度扉が開いて、今度こそ現れたのは寝間着姿のクリスだった。
「なんだ? どうしてユアンがここにいる?」
「殿下! どちらへ行かれていたのですか? ユアンが心配して探していたのですよ」
「ちょっと月を見に出ていただけだ。今宵は満月だぞ」
するとユアンが片眉を上げた。
「でしたら、私に一言仰るべきではありませんか」
「ほんの少しのつもりだった。悪かったな」
「少しと仰りながら二時間以上です」
「だから悪かった。脱いだ服は置いてあるから片付けてくれ」
言いながら幕を開け、寝台の中に入ってしまう。まるで早く会話を終わらせようとしているみたいだ。これは怪しい。
わたしが聞き出してみるわ。ユアンに視線で訴えてみせると、彼は寝室を後にした。
寝台の中ではクリスがもう目を閉じている。
「傷は痛みますか?」
「……少しな」
どこで何をしていたかストレートに聞いても答えてくれそうにないので、関係なさそうなことから話そうと考えていると、逆にクリスの方から質問された。
「最近、ダンと会ったか?」
言葉に詰まる。密かに会ったのがバレているのだろうか。それになぜクリスがダンのことを聞いてくるのだろう。
どう答えるべきか一瞬迷うが、答えは一つだった。嘘はつきたくない。
「十日前に心配して様子を見に来てくれました。護衛として工房へよく同行していたマットのはからいで、礼拝堂で少し話をしただけです。マットは善意でしてくれたことです。その証拠に何の見返りも要求されていません。どうかマットも、ダンのことも罰することのないよう——」
「エリーゼ、俺にそんなつもりはない。前に君に言っただろう、好きな男を見つけて幸せになってほしいと」
「えっ、まさか、その相手がダンだとお思いなのですか?」
「工房で会って話したが、粗暴な男ではなさそうだ。職人気質で真面目なのだろう」
「何を仰いますか⁉︎ 確かに彼は優しいですし、わたしを気遣ってくれています。しかしあくまで家具職人でわたしの先生で……!」
「向こうはどうかな。身分が気になるなら、職人としての功績で爵位を与えることもできる」
エリーゼは今度こそ言葉に詰まった。
「わかるだろう、身分や社会的地位などいくらでも後付けできる。あるのは
そう言って傷を負った腕を庇いながら、エリーゼに背中を向けた。
家柄と外見を最重視して選抜される近衛隊を皮肉っているのだろうか。整然と統一された見目麗しい集団。申し子のようなフレデリク隊長と、かつてそこに属していた王子自身をも?
エリーゼにはなぜかそう思えてならなかった。どうしてそんなことを言い出したのだろう。おかげでフレデリク隊長から何を言われたのか聞けずじまいだ。
翌日、寝台での会話を書いたメモをすれ違いざまユアンに渡すと、午後になり返信を手渡された。
『ダンにはお気をつけください。あの男の顔には下心を感じます。いずれ何かを要求してくるかもしれません』
てっきりフレデリクやサンドのことが書いてあると思い込んでいたから、拍子抜けした。
「ユアンはやっぱり殿下が心配なのね」
クリスはダンの下心など意に介さない。求めるものはすべて与えてやれると考えている。一方でユアンはそんなクリスが足元をすくわれないよう、エリーゼの行動も含めて抑止するのが自分の役目と思っているのだろう。
ダンはいい人だ。気の合う友人で、家具作りの先生だ。けれどそれ以上にはなれない。エリーゼが心を許すには、いずれ秘密を分かち合わねばならない。しかし彼に自分と同じ重荷を背負わせるわけにはいかない。
『エリーゼ様が嘘をつくはずがありません。王子が女だなんてありえない』
迷わずそう言ってくれたダンだから、秘密を抱えたらきっと苦しむに違いない。
今以上に好意を持ってはいけないと、自分にそう言い聞かせた。
三日後、追加の布地が届いたので、ダンが持ってきた新しい型紙を写し取ろうと広げた時だった。型紙と一緒に封筒が入っていたのだ。
「これは……?」
ダンからの手紙だった。
『エリーゼ妃殿下
気分転換に田舎へ出かけませんか』
そこには読んでいるだけで心躍る計画が綴られていた。外出を禁じられているエリーゼを思いやり、エリーゼの為に罰されることすら顧みないダンの気持ちが溢れていて、したばかりの決意が揺らいでしまう。
王城で息が詰まっているのは事実だ。できることなら抜け出したいし、ベスから始まりフレデリクやサンドへ疑心暗鬼になるのに少し疲れてしまった。
けれども、この計画にはどうしても協力者が必要だ。ベスに打ち明けるべきかどうか。
「わたしが信じてあげなければ、よね」
エリーゼは心を決めた。
「そういうわけで、勝手に抜け出したのがバレたら大目玉だと思うのだけど、どうかしら?」
「まぁ素敵! ダンも粋な計らいをしてくれるものですね。見直しましたわ。近頃エリーゼ様は溜息をついてばかりですもの。気分転換にとってもいいと思います。一ヶ月半の間、何もかも我慢させられて、いつまで続くか分からないなんてあまりに酷ですわ。やりましょうよ!」
と、ベスはエリーゼ以上にうきうきと率先して段取りを決めていく。話してよかったと、一つ胸のつかえが取れて楽になった。
「殿下にはお伝えになるのですか?」
「いいえ。もしバレた時に殿下も知っていたとなると、具合がよくないでしょう。殿下の留守中にこっそり抜け出すわ」
「わかりました。お留守の間のことは私にお任せくださいね」
そして準備が整った四日後、朝からホワイト工房が修理品の引き取りにやって来た。
「こちらが妃殿下の行李箱です。今日一日、修理のほどお願いしますね」
ベスが引き渡したのは、ダンと親方が二人がかりで運ぶ大きな行李箱だった。
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