第12話 囁き
王城の広い前庭で、マーチングバンドが隊列を入れ替えながら勇壮な行進曲を奏でる。国王夫妻とクリスの隣で、エリーゼは曲に合わせて手拍子だった。
時に一斉に、時に波打つように近衛兵たちが向きを変えるたび、金管楽器が赤地に金モールの肩章と共にキラリと太陽を反射し、行進曲の曲調と相まって興奮が湧き上がる。
マーチングバンドの後ろからは、小銃を持った兵士が入場だ。白地のスラックスを上げる高さや膝の角度、タイミングにわずかなズレすら感じさせない。まさに一糸乱れぬ動きだ。
からっとした晴天の午前中、久々の公務にエリーゼは上機嫌だった。
「すごいですわね! 動きながら演奏するのも信じられませんけれど、どうしたらあのように揃うのですか?」
「厳しい指導と練習と忍耐だよ。誰か一人でも諦めては完成しないからな」
アマデウス王国の近衛兵は、王族の守護だけではなく、儀仗兵でもある。国賓が来国した際には先頭で迎え、国を象徴する存在といえる。だから入隊するにはまず家柄と親の職業が第一で、次に顔立ちと、肌の色。それから身長と体格。髪色こそ違えど一律に揃えられた美男たちが、華やかな赤色のランサージャケットに身を包み、颯爽と行進するのは確かに見ごたえがあるものだ。
「殿下はトランペットを吹いていらしたのですよね」
「ああ。マーチングの練習だけでなく、ちゃんと戦闘訓練もしたのだぞ」
「あちらの近衛隊長が直属の上官だったのですよね」
台の上に乗り、全体を見回して手信号で各隊長へ合図を送っている男だ。
演技を全て終えると、早速二人の元へ挨拶にやって来た。
「お久しゅうございます、殿下」
「久しいな、フレデリク。見事な演技であった。我が国の誇りだ」
「もったいないお言葉です。妃殿下は、お気に召したでしょうか」
ダークブラウンの柔らかそうな髪に、アーモンド形のきりっとした瞳。十人が十人とも美しいと言うだろう顔に加え、この国でも指折りの高貴な生まれの男だ。
「ええ。とても興奮しました。選曲も隊長が行っているのですか?」
「はい、楽隊長と共に全体の演出を決めています。今日は妃殿下の初めての閲兵ですから、テンションの上がる曲を中心にしました」
「気に入りましたわ」
「有難うございます」
そう言って優雅に一礼するが、田舎娘を相手に心まで折る気はないのがありありだった。なんという気位の高さだろう。
「よろしければ殿下、久々に一戦お手合わせ願えませんか」
「よせ。もうずっと剣を振っていない」
「ですから錆落としにいかがですか。せっかく妃殿下もいらっしゃいますし、勇姿を見せて差し上げては」
クリスは気乗りしないようだったが、最後には「手加減しろよ」と席を立ちフレデリクの後に続いた。ユアンが持ってきた剣を抜き、二、三度振ってからクルっと手首を回して感触を確かめている。
大丈夫かしら……。
訓練とはいえ使うのは真剣なのだ。エリーゼは緊張を覚えた。食えない態度のフレデリクは、今も嫌がるクリスを半ば無理矢理だった。
「先手は殿下からどうぞ」
「フン、遠慮なくいかせてもらうぞ」
素早く突き出されたクリスの剣を刃先でいなし、フレデリクが受けに回る。クリスが踏み込んだが、リズムよくフレデリクが弾き返す。今度はフレデリクの剣が前に躍り出るが、見切っていたクリスは難なくかわす。
伸びやかで俊敏なクリスの動きは、ブランクを全く感じさせないものだった。打ち合うフレデリクも額に汗を浮かべ、呼吸が上がっている。
あの二人、戦いながら何かを話しているのかしら……?
剣と剣が合わさるたびに、金属音に混じって声が聞こえるのだ。だが内容までは届いてこない。
そしてフレデリクが何かを言った次の瞬間、時計の針が逆回転したかのようにクリスの動きが鈍る。これまでの動きなら難なくかわせるはずの突きを避けきれず、赤が散った。
「殿下!」
エリーゼは立ち上がったが、それよりも早くユアンが駆け寄る。
「ちょっと腕をかすっただけだ。心配ない」
ユアンに支えられ、痛みで顔を歪めながらクリスが立ち上がる。
「申し訳ありません、殿下。私としたことがお怪我をさせてしまうなど」
「訓練や演習では年に何名か死ぬこともある。俺にそう教えたのはお前だぞ。気にするな」
すると王子を庇うように、ユアンがフレデリクを遮った。
「部屋へ戻り、すぐ侍医に見せましょう」
二人が何か話していたのはユアンも気付いているのだろう。フレデリクへ懐疑的な一瞥を向けると、クリスを抱えてその場を去った。
震える手をギュッとして、国王夫妻へお辞儀をするとエリーゼもクリスの元へ急ぐ。
部屋に入ると、ユアンに上着とブラウスを脱がされ、袖なしの下着だけを纏ったクリスが椅子に座っていた。左腕からまだ出血しているのか、ユアンが布で押さえている。
「殿下! 傷は、お怪我はどうなのですか⁉」
「情けないところを見せてしまったな。かすっただけだし、心配はない」
そう言うクリスの顔は晴れないものだった。やはり痛むのだろうか。それとも——。
するとユアンが結んでいた口を開く。
「フレデリク殿も本気でしたね」
「俺もあいつも腕が
「何か話されていたように見えましたが」
「いいや、何も」
「声も聞こえましたが」
「何でもない」
「フレデリク殿が何か仰った直後、殿下の動きがおかしくなりました。何を言われたんです?」
「しつこいな。何でもないと言っているだろう!」
二人が睨み合う。ユアンが聞いてこうなのだから、エリーゼが問い詰めたところでクリスの態度は変わらないだろう。
ドアがノックされ、侍医が入室する。白髪の多い長い髪をオールバックにまとめた、熊のような体格の男性だ。エリーゼも来国して最初に検診を受けた。そして侍医の後ろには薬品と器具を載せた銀盆を手にした女性が控えている。
侍医はクリスの腕を取り、丁寧に傷口を洗い消毒していく。
「ふむ、刃がかすめたのじゃな」
「思った以上に体が鈍っていたよ。面目ない」
その横で孫と言っていいほど歳の離れた女性が、血が付いた綿を器に受け取った。
「二人は、サンドとは初めてではないか?」
クリスに言われ、サンドと呼ばれた女性は凝視していた傷口からはっと顔を上げた。そしてエリーゼの顔を見て膝まで頭を下げる。あまりの勢いに、一つに束ねた量の多い黒髪が逆向けに広がった。
「もっ、申し訳ありません。サンドと申しまして、ロナルド先生の見習いをさせててててていただいておりろりおりますっ」
裏返った声であまりに慌てたサンドの顔は、真っ赤になっていた。歳はエリーゼと同じか、下かもしれない。
侍医が穏やかな視線でサンドを見て、それからエリーゼを向いた。
「失礼をお許しくだされ。わしの家内の親戚の娘で。このように人に慣れるまで時間がかかるのじゃが、勉学の飲み込みは恐ろしく早く、探究心には目を見張るものがありますんじゃ」
サンドは化粧気のない顔で大きな目をキョトキョトさせているが、その下にはクマが茶色く染みついている。寝食を忘れて没頭するタイプにみえた。
「エリーゼです。サンドさん、これからよろしくお願いしますね」
微笑みかけると、サンドはまた直角以下まで腰を曲げた。
「殿下、傷は縫った方が治りが早いでしょうな。よろしいか」
「うむ。頼む」
「サンド」
侍医に呼ばれてサンドは頷いた。さっきまでの動揺が嘘のようにテキパキと注射薬を準備していく。そして侍医と場所を代わると「失礼します」とクリスの腕に麻酔を打った。縫合はサンドが行うらしい。
「わしはもう視力が弱くなり、細かいところが見えづらいのじゃ。サンドの腕は確かですぞ。妃殿下のご心配は無用じゃ」
エリーゼの表情を察して、侍医がやさしく述べた。
「ちなみにサンドは俺のことも知っている。男性らしくなる薬の調合は最近、彼女がしているんだ」
ユアンによれば、侍医と彼女は師弟を超えてかなり親密ということだ。親族というだけでなく、同じ秘密を抱える者同士だからだろうか。
どこの宮廷でも、侍医とは医療者としての腕と同等に口の堅さが求められるものだ。エリーゼには祖国の家族と民の生活という質があるが、彼女はどうなのだろう。自分とさほど歳の変わらぬ女性が、果たして侍医という使命感だけで秘密を抱えていられるものだろうか。人付き合いが苦手そうにしているのも、中身が優秀な医学者ならば演じている可能性だってある。
「終わりました。一週間程度様子を見て、抜糸致します」
腕に包帯を巻き、器具を銀盆に戻して確認する。サンドはぺこりとお辞儀をして侍医の後ろに下がった。
侍医が目を細めてクリスに言う。
「くれぐれも飲酒は禁止ですぞ。それとせめて今日は安静にすることじゃ」
「わかったわかった。いつまでも子ども扱いするな」
退室する二人を見送りながら、エリーゼとユアンは視線を交わすのだった。
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