第11話 エリーゼの決意

 布地を大テーブルに広げ、ダンが届けてくれた型紙に沿って木炭でなぞり、丁寧にカットしていく。円みのある背もたれだからといってただ円く切ればいいわけではないし、思った以上に多くの布を消費するようだ。

「これは追加で頼まないと足りないわね」と独り言を口にしながらその実、エリーゼは全く集中できていなかった。


 あれ以来、ベスとはお互いに当たり障りないよう過ごしている。けれど出会った頃のように安心して話せる相手ではなくなってしまった。宮廷内に身内がいないエリーゼにとって、これは体に杭が打ち込まれたようにずんとくる。


 その夜、ベスに自分たちの関係を疑われていることや、恋人のマットも含めて信用できないとクリスに打ち明け、祖国の侍女を呼ばせてもらえないかと頼んだ。

「君の気持ちは分かる。しかし、それはできない」

「なぜですか? 国王陛下が許可されないからですか? それともわたしの身内では信用できないということですか?」

「そうじゃない。いや陛下が許可されないのはあるが、とにかく君の身内が悪いわけじゃないんだ」


「ではなぜ? わたし一人ではもう耐えられそうにありません。もう……」

 不意に喉の奥がツンとして、涙がこぼれてしまった。泣くつもりなんてなかったのに。

「すみません。……ひくっ、泣いてどうにか……しようなんてつもり……ひっ、ないんです。どうしても不安で……」

 必死にこらえようとするが、あとからあとから湧いてくる。クリスは体をぴったり寄せ、エリーゼの肩を抱いた。


 黙ったまま、しばらくクリスは肩を撫でてくれた。やさしいけれど、最近はどこか遠い隣人のような気がする手。最大の秘密を分かち合っているはずなのに、結婚初夜に頬にキスしてくれた時やファーストキスの夜のような、心と心が触れあった気がなぜかしないのだ。


 原因は分かっている。

 本当は王子もわたしのことを疑っているのではないか。

 その思いがどうしてもエリーゼの中から拭えないのだ。なぜなら、クリスは表面的にはエリーゼを庇いつつも、情報元を積極的に探そうとはしていない。


 するとクリスはぽつりと呟くように話しだした。

「俺には昔、ユアン以外にも従者がいたんだ。友だちもいた。一番仲が良かったのはユアンの弟でイーサンといった。一つ年下で、俺は弟が欲しかったから一緒に遊べてすごく嬉しかったんだ。けれど今はその従者も友だちも、イーサンもいない」

 聞いたことのないほど低く、暗い声だった。


「俺が女だという疑惑が出るたびに、一人ずつ疑われてはいなくなった。行方不明だ」

「え……?」

「どこか遠くでひっそりと暮らしているのか、殺されたのか、俺は知らない。誰に聞いても教えてくれないし、調べようとすると必ず邪魔が入る。わからないんだよ。俺のせいなのに」


「それじゃ乳母のケリーは……。それにユアンも」

「イーサンがいなくなったのは十歳の時だ。ケリーは俺のせいで大事な息子を一人失い、ユアンも弟を失った。二人とも心のどこかで、俺のことを殺したいほど憎んでいるはずさ。だから君にはそんな思いはさせたくない。……いや、君に恨まれたくないという方が本音だな」


 もし祖国の身内がある日突然行方不明になったとしたら、エリーゼにはとても耐えられない。

 アマデウス王国から提示された、侍女や召使は連れずにエリーゼ一人で嫁ぐことという条件が、王子の優しさだったなんて、まさか思いもしなかった。


「わたし、全然知りませんでした。心を許した人が一人ずついなくなっていったなんて……、そんなつらいことが」

 体を一部分ずつ切り取られていくような痛みだ。一体クリスは何度味あわされたのだろう。

「できれば君にはこんな話は聞かせたくなかった。嫌な気持ちにさせてすまないな」


 そうまでして、誰かの人生を犠牲にしてまで面子メンツを守らなければならないのか。王位継承者は男性のみという連綿と続く歴史と伝統を守る王国の面子。男児を授からなければならないという国王夫妻の面子。周りの全てのために男性として生き抜くというクリス王子の面子。


 わからない。胸の中がごちゃごちゃになり、一体何が大切なのかわからなくなってしまった。けれどクリスの痛みだけは我が事のように感じられる。

「殿下がどんな思いでいらしたのか少しわかりました。わたしが甘かったです」

 今度はエリーゼの方からクリスの体を抱きしめた。少し驚いたように、クリスが体を固くする。


「一番おつらいのは殿下です。孤独なのも殿下です。せめて殿下の悲しみをわたしに分けてください」

「エリーゼ。俺の代わりに泣いてくれるか。俺はもう、涙の流し方を忘れてしまったから」

 エリーゼはクリスの寝間着を涙で濡らした。そうすることしかできなかった。

 抱きしめ合う体が熱い。これまでは自分のことばかりで、クリスの抱える痛みや悲しみを真に理解しようとしてこなかったのだとエリーゼは痛感した。


「ベスのことは信じてやってくれないか。一番近くにいるのは君なんだ。君に疑われたら、彼女には居場所がなくなってしまう。俺はもう、誰も行方不明者は出したくないんだ。頼む」

 記事が出てからこの三週間、クリスが積極的に情報源を探さなかったのはこのためだったのだ。

「そういう理由がおありだったんですね。わたし、やっぱり殿下からも疑われていると思っていました」


「そんなはずがないだろう! 君の疑いを晴らすために真犯人を見つけたいのはもちろんだ。けれど——」

 実の両親、産まれた時から側にいる乳母と侍医、かけがえのない友、青春時代の苦楽を共にした忠臣。残っているのは全員、真に身内と呼べる人たちだけなのだ。

「その中から裏切者を召し出すなど、今度こそ俺は耐えられないかもしれない」

「殿下……」

 エリーゼの背中で、クリスが寝間着をギュッとつかんだのが分かる。千切れそうな心を必死に保っているのだ。


 耐えなければならない。信じていた身内にまた裏切られたかもしれない、その人を失うかもしれないというクリスの痛みに比べれば、エリーゼの寂しさなど比ではないのだ。そして自身にかけられた疑いを晴らすには、自分で動くしかないと決まった。


「殿下、一緒に眠りましょう。明日は朝から閲兵式ですよ」

 半年に一度、王直属の近衛騎士団が行う閲兵式が催される。近衛隊が日頃の訓練の成果を王族たちの前で披露するのだ。


 王子の秘密を知る一人に、近衛隊長がいる。明日エリーゼが初めて会うことになるフレデリクは、三十歳の若さで隊長となったエリートのうえ、アマデウス王国でも五指に入る貴族の御曹司だという。

 どんな人物か、自身の目で見極めなければ。横になったクリスに寄り添いながら、エリーゼは決意していた。

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