第10話 女の勘

「エリーゼ様、今日はお疲れみたいですがどうかされましたか?」

 夕食後、エリーゼの長所の一つであるブロンドの長い髪をほどいて、ベスがくしですいてくれている。ダンがこっそり訪れたことはまだ伝えていないが、手引きしたのがマットなのだから近くバレるだろう。


「疲れてるわけじゃないわ。どこへも行けず、ずっと閉じこもっているからよ。陛下と王妃様はいつまでこうさせるおつもりかしら」

「仕方ありません。外に出れば記者に捕まるでしょうし、無神経な職人たちに根掘り葉掘り聞かれるかもしれないですし、いい事なんてありませんよ」

「それは偏見よ、彼らは無神経ではないわ。あなたまでわたしが嘘を言ったと思っているの? そんな虚言を言いふらして騒ぎを起こして、一体わたしに何が……」


「そうじゃありません。私はエリーゼ様が記者に伝えたとは思いませんけれど、ただ、殿下が女性だというのは案外嘘ではない気がして」

「どうして?」

 平静を装ったが、うまくできているだろうか。怖くてベスの顔は振り返れない。


「マットの話だと、近衛隊に従軍時代の殿下は練兵中に絶対に脱がないし、着替えもトイレも他の近衛兵たちとは別だったのですって。ちょっとおかしくありません?」

「それは、きっと一緒にしないほうがいいという殿下のお考えがあったのよ。ほら、お美しすぎるから」

「でも近衛兵はみんなそこそこの貴族の子息たちで、選抜されて入隊しているのですよ? 将来は殿下の臣下になる方たちです。むしろ信頼を深めておいた方が良かったと思いませんか?」


「殿下には殿下のお考えがあるのよ。それに男性にだって体を見せたくない感情があってもおかしくないと思うわ」

「殿下のような恵まれた容姿の殿方に限って、そんなことありますか?」

「あるわよ。ほっそりしていてまるで女のようだとか……」

 ダメだ。これでは自ら墓穴を掘っているようなものだ。エリーゼは髪を振り乱して頭を抱えたかったが、なんとか我慢した。


「とにかく、殿下にも体のコンプレックスはあると思うの。言葉ではおっしゃらないけれど。妻だもの、わたしには分かるわ」

「そうですか? うーん、でもエリーゼ様、殿下とまだ同衾どうきんされていないですよね」

「……なんですって?」

 心臓が激しくドクドクいっている。この音がベスに聞こえているのではないかと思うほどだ。


「エリーゼ様は嫁がれるまでご経験はないでしょう? 殿下が初めての男性で。でも結婚式の前と後で、エリーゼ様はなにも変わっていないんですよね」

「何を言うの! わたしと殿下の婚姻は成立しているわ。神官も証明しているし、いくらあなたとはいえ失礼よ!」

 思わず振り返ると、ベスは愛らしい丸顔に蠱惑的な笑みを浮かべていた。


「女の勘です。ほら、誰とでもすぐ寝る女性ってなんとなく分かるでしょう? 逆にまだ女になっていない人のことも分かるんですよ」

 ベスが両腕を組むと、衣服越しにも分かるほど豊満な胸が強調される。田舎娘のお嬢さんはまだ知らない男というものを私は識っているのよと、その肢体が主張してくる。経験した男の数でマウントを取る女がいると知ってはいたが、目の前にすると嫌悪感すら覚えた。もしかすると今現在もマットの他に複数の男と関係を持ち、品定めをしているのではないか。


「ひどいわ。いくらあなたでも許せない。もう出ていってちょうだい」

 命じられて、ベスは何も言わずしずしずとエリーゼの居室を後にする。

 一人になると涙がこぼれた。

 ばれたらどうしようという不安と、馬鹿にされた屈辱と、真実を言い当てられたという動揺。手が震えてどうすることもできず、クッションに顔を押しつけて泣き声を抑えた。


『エリーゼ様が嘘をつくはずがありません。王子が女だなんてありえない』


 ダンは善意でそう言ってくれた。けれどわたしは最初から嘘をついている。

 この嘘はつき通さなければならない。できるだろうか。


 真実を言ってしまえたらどんなに楽だろう。けれど信じてくれているクリスやユアンを裏切ることになる。アマデウス王国の平安そのものを揺るがすことになるかもしれない。そんなことになれば、祖国の家族も没落は免れないのだ。

 だがこの先何十年も続く結婚生活を思うと、真っ暗な道がひたすら延びている気がした。


「そうだわ、ユアンの手紙が」

 今の態度を見ても、ベスが秘密を嗅ぎつけたか、あるいはエリーゼが暴露したと疑っているのは明らかだ。こうなってはマットも信用ならない。

 一方侍医の周辺を当たっているユアンから、日中すれ違いざまにメモを渡されたのだ。どこで誰に聞かれているか分からないから、情報の共有はこの形で行うことにしている。


 ポケットからメモを取り出すと几帳面な字で「最近弟子にとった若者がいる。優秀な女性で侍医とは親密な様子」と書かれていた。

 だれもかれもみんな怪しい。なのにわたしが一番疑われている。その事実には傷つくしかなく、いくら自分は一人ではないと鼓舞してみても、ちょっとやそっとでは浮上できそうになかった。


 ドレッサーで顔を確認し、絹鈴花という花から抽出した化粧水で、赤くなってしまった目や鼻を潤す。これもクリスからのプレゼントだ。そうして丹念に準備し、夫婦の寝室へ向かった。


「遅くなりすみません」

「どうかしたのか?」

 なるべくクリスに顔を見られないようにして、「ベスと話し込んでしまって」と短く答える。

 以前は寝つくまでよく話していたが、エリーゼが外出できなくなってからは話すことがあまりなく、クリスも疲れているようですぐ眠ってしまうのだ。この日もそうだった。


 寝顔までも整っている。唇は花びらのようで、長い睫毛が左右対照に広がり、人間の瞼はこんなに美しいものなのだと初めて思い知らされる。

 王子が傷つき蔑まれる姿など絶対に見たくないし、これまで王子を守る為に尽力してきた人たちの努力を無駄にしたくない。

 そうは思えど、エリーゼの胸から不安が断ち消えることはないのだった。

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