第8話 わたしはついてる

 新聞一面の見出しに、朝からエリーゼは愕然とした。

「なんなの、これ……」


【クリス王子 やはり女性だった!】

【本紙独占! 王子の裸を知る人物からの証言】

 サリエリ新聞だ。あのベルナルドという記者だろう。


「一体どうして⁉︎」

「落ち着け、エリーゼ。今はどうしてよりも、どうするかを考えないと。声明を出す。口述筆記の準備をしろ」

「はっ」

 文官が支度をしていると、侍従が入室して告げた。


「国王陛下がお呼びです。妃殿下も一緒にお越しになるようにと」

「父上が?」

 クリスと二十三人の姉たちの父である国王とは、同じ王城で暮らしていても会ったのは結婚式の一度だけだ。クリスもほとんど会うことはないらしい。


 国王の私的な応接間で待つと、恰幅の良い老王とまだ四十代の王妃が連れ立って現れた。老王にとって十五人目の王妃はクリスの実母だ。クリスとエリーゼがお辞儀をすると、かけなさいとソファをすすめられる。四人とも平服ではあるが、部屋にはぴりりとした緊張が漂う。

 切り出したのはクリスからだった。


「陛下、今回の報道に対しても、いつものように私の声明を出しますがよろしいですね?」

「うむ。ただ、今回は情報の出所が問題だ」

 新聞には情報源を守るという名分のもと実名こそ出さないものの、王子の裸を知る者とはっきり書かれている。


「真実を知る者は全員、私の裸を見たことがあるでしょう。いつものことではありませんか」

「前回はいつだったか? 何年も前であろう。それが突然、妃が来たこのタイミングというのがな」

「まさかエリーゼを疑っているのですか⁉︎」

 クリスは立ち上がった。


「そんなの新聞社が狙ってやったに決まっているじゃないですか! 俺たちの仲を引き裂こうという悪質なイタズラです!」

「しかしな、」

「父上! こんな言い方はしたくないが、エリーゼには祖国の民と家族の生活がかかっている。それを見捨ててまで秘密を暴露するメリットが彼女にはない! だから結婚相手に選んだんです。父上も母上も同じご意見だったはずだ!」


「しかし魔が差すということもあろう。妃は城外での友人も多いようだし」

「関係ありません。いい加減になされよ!」

「クリス、陛下の御前ですよ」

 こんなに怒っているクリスを見るのは初めてだった。見かねた母親が止める。


「皆、あなたが産まれた時からずっと秘密を保持してきたのです。エリーゼは一番新参者ですから、信頼が薄いのは当然でしょう」

「それをよくエリーゼ本人の前で言えますね。ほとんど騙し討ちで彼女は嫁がされてきたんですよ。それが人生を奪われた嫁に対するあなたの態度ですか。ひどい姑だな」

「クリス!」

「もう結構です。私一人で対処しますので。行こうエリーゼ」

 王子に腕を強く引かれ、エリーゼも立ち上がるしかない。お辞儀をしている途中で強引に連れ出され、引きずられるようにして退室した。


 外に控えていたユアンが合流する。

「ふざけんな! どいつもこいつも、どうせ面子メンツが大切なんだろ! 国王ですらこれだ!」

「陛下に聞こえますよ」

「黙れ! お前にだって暴露した可能性あるはずだろ⁉︎ なぜお前は疑われずエリーゼだけが!」


「殿下は私を疑っておられますか」

 ユアンのとび色の瞳が揺れる。クリスは手を震わせながら、ユアンに指を突きつけた。

「エリーゼに可能性があるというなら、お前だってゼロじゃない。そのことはよく承知しろ」


「殿下、おやめください。ユアンを疑ってはなりません。殿下がそれを口にされたらユアンは……」

 エリーゼが間に入ると、クリスは手を下ろす。気まずい沈黙が三人の間を支配した。

「頭を冷やしてくる。しばらく一人にしてくれ」


 クリス王子の背中を見送ると、ユアンと二人でもっと気まずい沈黙だった。普段は共通の話題などないが、今なら聞いてもいいだろうか。

「あのぅ、ユアンは物心ついた時からずっと秘密を守ってきたのでしょう?」

「はい。母に厳しく仕込まれました。幼い頃は男か女かなど意識することはなかったのですが」

 ある時から急に、それは現れたのだろう。


「その時にカミングアウトしようと思えば、殿下にはできたのです。しかしそうなさらず、一生男性を貫き通す道を選ばれた」

「あなたはご決断された時の殿下をそばて見守ってきた、数少ない人だもの。だから殿下だって本気であなたを疑ったわけじゃないわ」

「殿下にも面子メンツがあるのですよ。何が何でもあなたを守らねばならないと」

「わたしを?」


「自分のせいで一人の女性の人生を奪うことになると、殿下はご結婚に苦悩されていました」

「そんな、これまでの殿下のご苦労に比べたらわたしなんて! それにわたしは、自分の幸せは自分で見つけるもの」

「妃殿下がそういう方で、殿下は本当に救われたと思います。私からも感謝申し上げます」

 ユアンがほんの少し笑顔を見せた。けれどもどこか寂しそうな笑顔だった。

「できることなら、私が救って差し上げたかったのですが」


 はっとする。そうか、この人は……。

 けれどそれ以上をエリーゼが言うわけにはいかなかった。これもまた彼が抱えていく秘密なのだ。


 田舎の祖国で、エリーゼは毎日親きょうだいと食事を共にしていた。食事の後にはボードゲームをしたり、たくさん話をして家族の時間をもつのが当たり前だったのだ。しかしクリスにとって親はほとんど会うことのない人で、互いにとって秘めた胸の内を話せる相手ではなかった。今の短いやり取りの中でもそれが思いきり伝わってきて、少なからずエリーゼにはショックだった。


「殿下の秘密を知るのは、陛下と王妃様に、あなたとわたし。それから乳母のケリーと侍医、あと近衛隊長よね」

 話題と共に頭も切り替えようとする。全員殿下の裸を知っているという。


「近衛隊長も見たことがあるの?」

「殿下は以前、二年間近衛兵に志願していました。その時の直属上官が今の近衛隊長です。軍では上を脱いで訓練することもありますから、そこを近衛隊長がうまく対処してくれていました」


 彼がどんな人物なのかエリーゼは知らない。しかし近衛兵にはマットがいて、その恋人がベスだ。ベスはやたらとクリスとの裸の関係を聞いてこなかっただろうか。

 侍医についても、嫁いで最初に検診を受けたきりでエリーゼはよく知らない。体が男らしくなる薬を処方し注射しているのが侍医だという。


「医師は元々秘匿性の高い仕事ではあるけど、国王陛下の言う通り魔が差すということもあるものね。調べてみた方がいいかしら」

「私が手を回しましょう」

「ありがとう。わたしはマットを通じて近衛隊長を当たってみるわ」

 もしかしたら近衛隊長とマットとベスが繋がっている可能性だってある。慎重にいかねばならないだろう。


 クリスを恨んでいるという意味ではないが、それでも騙されたという思いはどこかにあるから、国王夫妻から真っ先に疑いの目を向けられたのには傷ついた。クリスがあそこまで怒らなかったら、あの場で泣いてしまっていたかもしれない。

 それでもこうして一人じゃないのは、わたしはついてる証拠だ。


「やりましょうユアン、わたしたちにできる事を」

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