第6話 ファーストキス
その晩もパジャマに着替えてクリス王子と並んで寝台に横になり、いつものように今日起こったことを話していた。
「お茶会はもう生きた心地がしませんでした」
「あそこは大蛇の巣みたいなものだろう。うちの姉たちも苦労したみたいだ」
「気を遣いながら、言葉の裏を勘ぐりながら人の話を聞くって、本当に疲れますね。殿下はいつも臣下や民の話を熱心にお聞きになっていて尊敬します」
「君からそう見えたなら合格だな。半分くらいは演技だから」
「まぁ」
「机は明日納品されるのだったな?」
「はい、ぜひ見にいらしてくださいね。実はその帰りに——」
「新聞記者に突撃された? サリエリ新聞か。あそこは王家に批判的なんだ。俺も何度も槍玉に挙げられてる」
「そうなんですか? 王子が女なんじゃないかと聞かれて。正直冷や汗が出ました」
「それも昔からだ。見せつけるためにせっかく女性とデートをしても記事にしないくせに、取るに足らぬ批判ばかりを取り上げてな」
「あら、殿下はデートをしたことがあるのですか?」
「あるさ。食事やコンサートに行ったり、わざと人前でキスしたりした」
「えっ、でもお相手の方を好いてはいないのですよね」
「まぁ……。でも好きになろうと努力はしたんだ。これでも」
王子と二人っきりで過ごしたら、相手の女性はきっとすぐに恋に落ちる。その甘い瞳で見つめられたクリスは、どんな思いでどんな言葉を返してきたのだろうか。そしてあるところで別れを告げるか、女性から別れを告げられるよう仕向けたのだろう。
「結婚して一番良かったのは、もうそういう必要がなくなったことだな」
「たくさんご苦労があったのですね」
田舎でのびのびと好きに生きてきたエリーゼとは大違いだ。
「こうして秘密を共有できる人が増えたんだ。俺はついてる」
そう笑って、クリスはエリーゼの瞳を見つめた。
わたしもこの人の力になりたい。一人では重い秘密なら、共に分かち合いたい。
「殿下、キスしてくださいませんか」
「えっ?」
「わたし、まだキスしたことないんです」
「結婚式でしたじゃないか」
「あんなのは形式で、ちょっと触っただけじゃないですか。もっとこう、求め合うというか」
「そういうのは、好いた男のためにとっておけ」
「最初は夫とがいいです! キスもしてないのに夫婦だとこれから言い続ける自信がないんです。やっぱり嫌ですか?」
「えっ……と、君は嫌じゃないのか?」
「全然です!」
視線を上下させて、王子は本気で困っていた。しかし「大丈夫、俺は世界が憧れるいい男。やればできる奴だ、大丈夫」と小声でブツブツ唱えると、真剣な目でエリーゼに向き直った。
「エリーゼ、目を閉じて」
「はぃ……っ!」
もういきなり、腕の中に抱きしめられて柔らかい唇に覆われていた。結婚式のような乾いたキスではない。唇と舌で優しく吸われてなぞられて、自然とエリーゼもそれに応える。なんだろう、親きょうだいからされるキスとは全然違う。とろけていく。こんなに気持ちいいものがあるなんて。
「……どうだ? 夫婦になれたか?」
「はい。とっても」
心なしか、王子の呼吸が上がっている気がする。それが急に恥ずかしくなり、枕で体を押し返す。
「もう殿下ったら!」
「なっ、君がしろと言ったんだぞ⁉︎ こういうのはな、ちゃんと気持ちから作らないと!」
「だっていきなりなんだもの!」
「女はそういうのが好きだろう!」
枕を投げ合ううちに爆笑になり、二人で涙を流しながら笑い転げた。
「はー、笑いすぎてお腹痛い」
「これでは明日、ずいぶん激しい夜を過ごしたと思われてしまいますね」
ぐっちゃぐちゃの寝台で仰向けになり、朝になり寝台を整える召使たちの顔を想像してまた笑い合う。
「殿下のファーストキスのお相手は?」
「ユアンだ。女性とのデートで必要だから練習台になれと、今の君みたいにせがんだ」
「練習されたのですか?」
「当たり前だろう。王子が外で失敗するわけにはいかないんだよ。サリエリ新聞のパパラッチに写真を撮られるから、顔の角度までちゃんと研究したんだぞ」
その時のユアンも、目を白黒させたのだろうか。
彼は王子に付き従い、常にクリスの先を読んで行動している。しかも意図して読んでいるのではなく、自然と分かるようなのだ。王子が集中を切らすちょっと前に飲み物を持ってきたり、「よしっ、終わった!」の一言で剣を持ってきて外へ連れ出したり。言外で通じ合っているとはこの二人をいうのだと思う。
物静かだし、あまり会話がはずむタイプではない。エリーゼなど未だ慣れないが、クリスの秘密を実の家族よりもずっと近くで保持している人なのだ。
「あいつはついてないよな。俺の乳兄弟なんかになってしまったばっかりに、よく耐えているよ」
「ユアンは結婚は?」
「するつもりはないそうだ。嘘をつかなければならない相手を増やしたくない気持ちはわかる」
「そうね……。殿下にとってはかけがえのない存在でしょうけど、本人は逃げ出したくなる時もあるのかしらね」
「あるだろう。けれどどうにもならないことを悟って、一人で酒を飲む。そういう奴だ」
機会があれば同じ秘密を抱える者同士で話をしてみたいが、ユアンは応じてくれるだろうか。
そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
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